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幽霊船、異世界を航海する  作者: 七色春日
二章 殉教者のシーサーペント
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黒鉄の微笑

 あ――やばい。


 <レイス・ザ・フォール号>の船匠長を務めるリズ・フェルビーは小瓶に詰められた幽霊たちが出現するといち早くヘルビアの足元に滑り込んだ。


 足を掴み、股下に身を寄せてる。本人は予期していたのかちらりと一瞥しただけだった。


 その際、ぼんやりしていた新人の腕を引っ張り込むのを忘れなかった。つんのめりながら背中から倒れてきたので首に腕を回した。がっしりとホールドする。


「船匠長」

「危ないからさ」


 抗議を無視した。幽霊を呪縛しているヘルビアは比類なきの死霊魔術師(ネクロマンサー)であり、持ち霊は戦争中に手に入れた恐るべき尖鋭の魔術師ばかりだ。


 封じ込めてあることを考えると凶悪さは折り紙つきだ。そのことを言葉で教える必要はない。


 戦闘が終わるまで一歩も動かないで置こうとリズは決心した。敵にやられるよりも味方にやれる方が救いがない。


『球体よ、完全なる曲線よ、貴様は頑迷なほどの円』


 中空に浮かぶ煙のような『がんじがらめの(ジャング)囚人たち(ルールズ)』の幽霊の一人が厳かに詠唱を終えると同時に海賊たちのマスケット銃が火を噴いた。


 四方八方から弾丸が飛来してきたが、銃弾は球体状に張り巡らされた防護円に弾かれて跳ねる。


 海の向こうへ跳びかい、あるいは船首楼や甲板やマストの木枠の奥深くへとめり込んでいった。


 予想外にも味方の胴を貫き、血を流す結果となった弾のせいで一人が驚愕の表情で倒れる。鳥の巣を突いたようなどよめきがあがった。


 短銃がそれほど効かないと見たトールズは「剣で斬りかかれ! なます切りしてやれ!」とすぐさま激を飛ばす。顔を真っ赤にして歯噛みし、ぷるぷると唇を震わせながら頭の羽帽子を握りつぶした。


 銃からカットラスや長槍に持ち替えた男たちがじりじりと近づくと、合図もなくに次々とおどりかかった。雄叫びをあげながら魔術の防護を切り裂こうと振りかぶる。


『空へ駆け登る者よ! 灼熱の雲よ! 水の変性よ!』


 老人の霊が威勢のいい詠唱を歌う。三人の足下から出現した焼けつく蒸気がもうもうとたちのぼる。


 超臨界を越えた千度近い気体が囲おうとした五人の海賊の皮膚を沸騰させた。ぶすぶすと皮膚下が泡が浮かんで肉が裂ける。


 激痛にたまらずに絶叫があがり、火傷のショックで白目をむいて倒れ伏した。


 遠距離でも近距離でも歯が立たないと見て海賊たちは一様に黙り込んだ。


 次の手を探るために仲間同士で目配せし合う。


 物理的にはもしかすれば魔術の防護円は砕けるかもしれないが、最初の数十人は確実に死ぬことになる。誰もそんな役目など負いたくない。


 平静を保つヘルビアの指の一つ一つから霊気の糸がひらひらと伸び、三人の幽霊の延髄に繋がっている。


 『がんじがらめの(ジャング)囚人たち(ルールズ)』の特性は死霊術の生前の得意な魔術を唱えさせ、本人は魔力を供給するだけで済むことだ。


「なかなか素晴らしい術をお使いだ」

死霊魔術師(ネクロマンサー)と相対するのは初めてだが、腐った死体でも出てくるかと思ったよ」


 双子の魔術師が代わる代わる感想を述べた。


 ヘルビアは弾みで胸に寄ってきたポニーテールを後ろにかきあげて人差し指を左右に振った。


「腐った肉は疫病を呼ぶ。船上には不似合な不衛生さだ。それに媒体に肉の身体を必要なのは下位の死霊術師(ネクロマンサー)だ。高位の者のすることではない」

「ではモルグよ。我々、開閉の魔術師がお相手しよう。我々に出会ったことを地獄で悔やむがいい」

「お前のような高位を名乗る者など散々殺してきた」

「貴様らの遺言は確かに受け取ったぞ」


 会話が終わると緊迫した空気が戻ってきた。


 お互いに出方をうかがい、空気の流れがよどませる睨み合いはすぐに終わった。


 ヘルビアの操る飼い殺しの幽霊がぐるりと回って真正面に出る。


『上は一、中心は二、前に七、簡単な死を落とす』


 中空に雷雲が結集した。音もなく黄色い閃光が舞い降りる。


 双子の片目メガネをかけたやや身長の高い方の男が手の平を掲げ、前傾になって落雷をいなした。灰色のローブが焼けて焦げた臭いが充満する。


 頭上に墜落するはずだったそれはまたたく間に血まみれの甲板の上を火花を散らして滑り、立っていた海賊の一人をしびれさせる。


 片目メガネの魔術師は一息に迫った。


 雷を防ぎはしたが余裕のあるものではなかったのか、あるいは勝負を決めるためなのか、決死の形相だった。


 ヘルビアの防護円に到達し、手の平を押し付けると短く息を吐いた。


「『剥がれる魔よ!』」


 空気中で丸くなっていた薄膜は急激にねじれ、波状になったかと思えば一気に集束した。排水溝に流れる水のように手の平で吸い取られている。


 自らの防御が破壊されたとヘルビアが理解して片眉をもちあげると、もう片方の男が間隙を突くように呪文を唱えた。


「『鋭針の猛威を!』


 片割れの魔術師の胸元に針が現れ、ぐるぐると縦に回転する。それも僅かの間で、ブレが収まると一直線にヘルビアの顔に向けて疾駆した。


 飛んでくる細針にヘルビアは目を見開いて見つめた。


 頭を傾けてかわそうとした瞬間。


「よっ」


 飛んできたボールをグローブでキャッチする仕草でトーヤは飛針を手の中で消滅させた。


 その手で腰のナイフを抜き取り、防護円を破壊した魔術師に振るった。銀の刃の斜線が空中にじぐざぐに描かれる。


 なんらかの術を行使しようと手の平に火球をまとわさせていた魔術師は術を中断し、斬撃を受けて後退した。手首や胸を浅く斬られただけだったが、だらだらと血が流れ出ている。


 リズはトーヤの手の平からぼんやりとした暗闇が現れたのを不思議に思ったが、噂の『悪食(デットイーター)』だと考えついて納得した。


 魔術を無効化する吸魔。生命を奪う吸命。そして後は――思い出せなかった。


「トキミズ、私は今の攻撃を防げた。なぜ、出しゃばってきた」

「ええ、船長。もちろんわかっています。でも、誰だって急に針が飛んできたら「危ない」って叫ぶ権利はあると思いますし、場合によってはとっさの行動をとってしまうでしょう。言うならば単なる反射です」


 ナイフにべっとりついた血液を服でぬぐいながらトーヤは返答した。機嫌を損ねるかもしれないが、今回ばかりは構いやしなかった。


「手柄が欲しいのか? それとも単なる闘争心か?」

「道義的な行動です。俺が海賊船に接近しようと船長に提案しました。俺は事態に対して最大限努力すべきかと。それに俺は船長に傷ついて欲しくない」

「……では、残り三人は責任を持って始末しろ」


 最後はいくばくかの情感を込められていたが、トーヤの狙い通りには進まず冷たい目線と共にぶっきらぼうに返された。


 リズにしてみても、もう少し色っぽい言葉を付け加えるべきだと考えた。できるならばおおげさの方がいいのだ。口説き文句やなだめるための言葉は。


 三人――誰もがその単語に疑問符を浮かべたが、ヘルビアは手すりに向かって歩き、手近な小樽に腰掛けて足を組んだ。腕組みをしながら目を伏せる。


 拘束された幽霊の一人が霧となって空気と同化しようとしていたが、最後の呪文を唱えた。


『下は三、中心は二から五に減少、一部を陽圧とする』


 突如として周辺に突風が巻き起こり、海賊たちが空中へ飛んだ。


 恐怖と驚きの声をあげながらも四肢を放り出して斜め向こうへと吹っ飛んでいく。放物線を描き、あえなく大海原に落水した。


 落ちた者は外傷はないのか立ちこぎしながら呆然と船を見上げるだけだった。


 まるで見えざる大きな手ではたかれたようでトーヤはがく然としていたし、それは敵方のトールズも同じだった。


 先ほどまでいた心強い味方があらかた飛ばされてしまったのだ。


 つけくわえるならば甲板に散らばっていた切れたロープ、木材の木端や砕けた三つ目滑車などの艤装も海賊と一緒に消え、それに海賊たちが床に置くように指示した乗客の財布や装飾品などの財産も突風にあおられてどこかへ行ってしまった。


 そのことは罪もない乗客の消え入るような嘆きで発覚したが、ヘルビアは額に汗したもののわざと気付かないふりをしていた。そこまで配慮がいかなかったようだ。


 場を取り繕うようにトーヤはこほんと咳払いして三人の男の前に出た。うるわしの船長のうっかりには慣れてきている。生真面目で誇り高い分、対処に困るのだが。


「ええっと……すいません。ここからはヘルビア船長に代わりまして俺がお相手します」

「お前も抗魔の力があるのか?」


 片目メガネをかけた魔術師がローブの布地を切り裂き、自らの流血する手首に巻きつけながら詰問した。自分自身の能力と比べて推し測っているのか、眉間に強くしわが寄っている。


「どうでしょう。あんまり俺には魔術とかわからなくて……わかってるのは」


隠剣(ダウン・ピン)』を腕から伸ばした。黒々とした直線の鉤爪はただそこにあるだけで人目を惹く。輝きもなければ芸術性もない。ほんの数十センチの切れ味のない剣なのに深淵を覗くような気持ちにさせる。


 リズはえも知れぬ羨望を抱いた。首なし騎士(ディラハン)にしてくれるように頼んだことはある。すげなくされただけで終わってしまった。


 魔術師にならなくても、魔術師のように振る舞える。それがどれだけ憧れを抱かせることか。


「これを使えば大体の人が倒せる」


 仲間の誰にも見られないようにトーヤは口の端を緩めた。残虐な笑みだった。




 ◇◆◇




 

「えーっ! 私が拿捕船の船長ですか……やだなぁ」

「エティール。独立するいい機会だぞ。前々から言っていたではないか」

「だったら、このキャラック船が欲しい」

「これは人様のだ」

「でもこれがいい」


 船長と副長の討議を横目で見ながらトーヤは海賊に奪われた品物を乗客の一人一人に返還していた。


 トールズと魔術師二人がノックアウトされると力の差を見せつけられた海賊の大部分は降伏を申し出て、もごもごとした口で長艇と食料及び水を自分たちに渡すように要求した。


 賊とはいえ、戦意の消えた相手を皆殺しにするほど冷酷無比ではなかったヘルビアは海賊たちが海原に旅立つと補給の不足分が確保できたとうきうき気分ではあったが、留守番をしていたエティールは新しい仕事を押し付けられて顔をしかめていた。


「この銀製の腕輪の持ち主の方いらっしゃいますか?」

「あっ、私です」

「はい、どうぞ。あ、怪我や体調の悪い方は申し出てください」


 トーヤは年老いたマダムに腕輪を手渡した。


 海から骸骨水夫がかき集めた財宝は山となって板張りの上に積まれている。返還を「さぁ、手に取れ」とやってしまうと懐にしまいこむ不心得者が出てくる可能性もあり、トーヤはホテルマンのように慇懃に乗客たちの前で配っていたがやや喉の渇きを覚えてツバを飲み込んだ。


 日差しはまぶしい。手の平を額に持ってきて、陰にしたが効果はない。


 ヘルビアとエティールは向かい合いながら寄港地について相談している。海賊のスクーナー船は売却先についてや、自船から渡さなければならない乗組員の構成などだった。


 規模にもよるが中型船ならば最低でも六人以上は帆船を操るには必要だ。操舵や操帆を適切に行えるとは言い難い少人数ではあるが帆の数を最小限に削って速度を減らし、下手回しで航行すれば可能だ。


 海賊の船籍はオルト公国ではあり私掠免状も船長室で発見されたが、法的に許された獲物を狩ったわけではなかった。


 キャラック船の荷物からはトールズが語ったような軍需品は見つからず、でっちあげで違法な略奪であることが精査のよって証明された。


 まるまると太った貨物船というのは私掠船にとって垂涎の品だ。それがたとえ味方の船であったとしても欲望が渦巻くものではある。


「おもっ……なんだこのでかい槍」


 荒削りの木材に鋼鉄の穂先がついたシンプルな槍を手に取ろうとしたところで、重量のために腕から持ちあがらなかった。身体が持っていかれそうになったが足を前に出して態勢を維持する。


 ぬっ、横から影が差した。


 真横に来た普通の人間よりも二回りも身体の大きな亜人――長耳と茶色の目。


 ふさふさの体毛で覆われた二足歩行する巨大なウサギがそこにいた。


 頭の大きさはトーヤの三倍もある。ずんぐりとして小太りのようにでもあり、たるんだ腹の肉か毛皮のせいか足先まで肉がずり落ちていた。足はぺたりとして鈍重そうではあったが拳大の前歯が凶暴さを秘めている。


 リアルなマスコットキャラのように思えたが唇や露出した肌から血管が透け、桃色の地肌が見えている。


 威容に少しおののいたトーヤだったが、怪訝な顔を作って尋ねた。


「貴方の槍ですか?」

「わしのだ」


 老人の声だ。小さな針のような警戒心がある。


「肩を怪我をしてるじゃないですか。よければ医薬品が俺の船にあります」

「不要」

「ガーランド。手当してもらいましょう」


 名前からして男性のようだな――トーヤが両手で槍を手に取って目の前で持っていくと、ガーランドは片手で手に取り、麻紐で背中に括り付けた。腕の力こぶは大きく、のそりとしているが屈強であることがわかる。


 亜人に声をかけた少女は年頃は十五かそこらで前髪が額の両脇で跳ねて子供っぽいが不思議な品があった。


 活動的な半袖ドレスを着ているが腕飾りに大輪の花をあしらって粗雑に見えぬようにしてあり、純白のスカートの丈は長く、裾部はフリル状になっていた。深紅色の腹部帯を巻いているせいで腰の細さが際立ち、胸元には何かを示すように小斧のアクセサリーがぶら下がっている。


 海賊に異を唱えた勇敢な少女だったのでトーヤは口の前に手を持っていき、ぱかぱかと手のひらを開いたり閉じたりして冗談を飛ばした。


 亜人に少し怯えたことを押し隠すためでもある。


「これは並みいる男どもを驚かせたクジラのお嬢さん。もう少しで終わるから大人しくしていてくれるかな」

「ふふん、無礼者……知ってるわよ幽霊船の船乗りさん。でも、女だけだと聞いていたわ」

「職業規則に改正があったんだ。それにヘルビア船長が新しい椅子を欲しがってたことも関係してる」

「そう。座り心地はいいのかしら」

「試してみればいい」

「おい、トキミズ。聞こえてるぞ」


 ぎくりとしてトーヤが振り向くとヘルビアは一喝し、また話しに戻った。


 エティールはうんざりとした顔で明後日の方向を向いている。説得は説教へと移り変わってくどくどと続けられていた。


 会話を聞いていたのか、キャラック船の船医が手を挙げた。


 包帯と消毒液を持ってくる。ガーランドの肩と背中の傷口を洗浄し、脱脂綿で消毒したが包帯を巻こうとしたところで反発する体毛のせいでうまく巻けなかった。


 少女はガーランドの肩を労わるように手を置き、船医に首を横に振って包帯を巻く努力を止めさせた。


 トーヤは分配の仕事を終えると、スクーナー船でせっせと荷物運びをしているリリードの元へ向かおうとしたが背中に声を浴びせられた。


「トキミズさん、だったかしら。私をそちらの船へ招待して頂けないかしら」

「俺はそういう許可を出せなくて」


 顔だけ振り返り、弱った顔でトーヤは肩をすくめた。


 乗客への最低限の義理は果たしたし、生き残った船員がいるので申し出がない限りは曳航したり手を貸したりすることはない。


 助けた形にはなるが、お互いの領分を守って引き下がるべきではあった。


 ましてや乗客を奪い取るのは商船乗りのプライドを刺激する。好んでやるべきことではない。


「『ファンノーニア重工業』に投資頂いて感謝しておりますとヘルビア・ラース船長にお伝え頂ければわかるはずよ」


 少女は両手を腹部で重ねて優雅に微笑した。


 はべるガーランドが巨大なまぶたを閉じた。彫像のように動かずに傍らに佇み、瞑目している。




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