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幽霊船、異世界を航海する  作者: 七色春日
二章 殉教者のシーサーペント
16/17

強奪者の作法

 吊り座板(ボースンチェア)が『闇夜に踊る剣旗』を掲げたスクーナー船から降ろされた。


 舷側から海賊たちが顔を出している。色褪せて脱色された髪と日焼けした小麦色の肌。顎も髪の毛もぼうぼうに伸び生やし、一つに縄で縛ってねじり、弁髪にしている者も目につく。


 興味深げに<レイス・ザ・フォール号>から向かってきた短艇を見つめ、相手が若い女ばかりと気づいて卑品な薄ら笑いを浮かべて仲間内で娼婦を形容した冗

談を飛ばし合った。


 固定されていた手すりが底溝をこすって移動した。舷門が開かれる。


 オールを持ったトーヤは意気揚々と立ちあがったヘルビアが後足に体重を傾け始めたのを見て、心配になった。


「無用!」


 宣言は勇ましい。階段状になっている舷側外板を駆け登るのが勇気のある男にとって造作もないことであるが、筋力の乏しい婦女子には困難な技だ。


 三メートル半ほどの高さに加えて船体ならではの傾斜がある。足を運ぶ際にバランスを崩せば海に向けてひっくり返るし、目測を誤れば踏み板から滑り落ちる。


 吊り座板に腰掛けて乗船するのは屈辱であるし、礼儀として降ろされたものなので実際に乗れば陰口程度は叩かれる。


 しかし、海に落ちれば表立っての笑い者になる。


 後者よりも前者を選択すべきなのだ。


「よし……!」


 短艇を足場にしてヘルビアは飛翔した。


 たん、たんと順調に踏み板を駆け登る。しかし、思わぬところでバランスを崩し、足の向きが不自然に曲がってしまった。


 戦闘行為をしていたときの残りだったのか、腰板に虫食いのような欠けがあったのだ。


 足首がひねられて目に見えて失速した。ゆらりと浮遊したところですぐ後ろを追走してきたトーヤは血相を変え、腰に手を回して強引に押し上げた。そのまま出っぱった舷側板を片手で握る。


 握力を最大限にし、体勢を維持してぶら下がりながら身体の揺れが収まるのを静かに待った。


 ちょうど甲板からは死角になっていたので滑るところは全員には見られてはいない。失笑はあっただろうが船員が船長に手を貸すことは当然である。


 華麗ではないが、落ちずに済んだのは及第点だ。


「もういい。離せ」

「アイアイ・サー」

「いいか、今のは運が悪かっただけだ」

「アイアイ・サー」

「いつもはうまくいくのだからな」

「アイアイ・サー」


 おうむ返しだがヘルビアの矜持を刺激しない最良の返事を続けた。か細い腰に回した手から体重が消える。


 呼吸を乱しながらもヘルビアは舷門をよじのぼった。筋力も体力もリリードの十分の一もないだろう。甲板に足を踏み入れると深呼吸し、仁王立ちでぐるりと周囲を見回している。


 船長らしき壮年の洒落者が集団から一歩前に進み、羽付き帽子を芝居かかって脱帽した。


 こげ茶色の口ひげを生やしているが、容貌は整えられて小奇麗になっていた。


 開襟のジャケットは薄手だが素材の見事な黒絹、希少な種の蚕から摘み取ったものだろう。内着もまた有名な仕立て人のものであることは繊細な造りからして疑いようがない。


 金刺繍の黒ブーツはがっしりとしているが曲線が優美だ。縦縞模様の短い丈の膨らみズボンは牛革でぴかぴかしているし、ベルトは馬革で巷では最上級の品だ。


 血と臓物がまき散らされる戦場にいる男とは思えない身なりだった。


「ようこそいらっしゃいました。ご婦人の方々。お許し頂けるのならば我々の自慢の艤装について一つ一つ講釈をさせて頂きたいものですが、生憎と男所帯ゆえに多少のことながら散らかっております。すぐにお茶をお持ち致します」

「お招き感謝します。私は共和国連盟海事海難組合に属します探査船のヘルビア・ラースと申します」

「私はトールズ・ガバナーと申します。アルド公国の公王陛下の仕える三番艦隊の海尉としての官位がございます。しかし、ご覧のとおり拝命賜った公務を遂行しているわけではありません。ご希望であれば私の信頼保証書並びに私掠免状をお見せいたしましょう」


 トールズは軍役から離れて休職中の身分であると語った。


 海尉の階級では到底手に入らない高級衣類を身にまとっているのはこうした“アルバイト”のおかげか。或いは階級を金で買った可能性もある。正式な辞令さえ降りなければ陸地暮らしでろくな軍命もなく何年も過ごすことになってもおかしくはない。


 ヘルビアの斜め後ろに立ったトーヤは右舷側の横静索(シェラウド)と支索の間に日除けの(ほろ)がかけられるのを見ていた。


 素早く適正な位置に日陰を作っている。とろ臭くなく、優秀な船員たちだ。


 簡素なテーブルと椅子が用意される。椅子は赤樽であったが、中身は空のようで苦もなく船員は運んでいた。だが、わざわざハンカチを敷物にしたのは妙に鼻につき、キザでやりすぎだとトーヤは感じた。


 舷側を乗り越えて三爪錨のロープが幾筋も伸びている。先には現在のスクーナー船よりも一回り大きなキャラック船があり、舷側で繋ぎとめられている。牽引するか、操船要員を配置するだろうが目下作業中である。


 海賊たちが拿捕したキャラック船に乗り込んで動き回っていた。やや高い位置にあるせいか上半身だけが行き来しているのが見える。荷物の運搬はないようだが、野卑な怒鳴り声が響いて聞こえてくる。


「……さっさと集まれっ! 服も脱げ! 何も持つことは許さねえからな!」

「底樽の中はどうだ! 火薬庫の樽もだぞ!」


 声量が大きいせいか自然と視線が向かう。


 トールズも顔を向けてから肩をすくめた。広げた手の平を斜めに突き出して優雅に促す。


「失礼いたします。どうぞこちらへ、コーヒー豆のよいのがありまして。砂糖諸島で取れた上質の砂糖もございますよ」

「頂きましょう」

「噂に名高き死体安置所(モルグ)の芸術(アート)殿をお迎えできて大変喜ばしい。噂通りの白髪紅瞳の美貌です」

「ははっ……」


 小間使いに引かれた椅子に座るヘルビアはこめかみを痙攣させて引きつった渇いた笑みで応じる。


 あだ名が気に入らないというのはトーヤも知っていたし、地雷ワードだと認識していた。


 高名であることには身近にいるせいで実感がなかったが、広く知れ渡っているようだ。


 対面に腰掛けたトールズは一口だけコーヒーを飲むとテーブルの上に置いた両手を組んだ。


「さて、早急になるようですが、ご用件につきましては我々の方でも慎重に話し合いましたが、なんら不都合はないとの結論に達しました。ご希望に添えるように努力いたしましょう」

「お互いにとって望ましいことです」

「我が船の主計長とそちらの主計長が検分した結果をすり合わせ、適正な価格でお支払したいのですが」

「私自身が立ち会いましょう。しかし艦長、アドレア国の船が敵国との密輸に関与しているとはにわかに信じられませんな」


 トールズは絶えず浮かべていた微笑を打ち切り、目を光らせてヘルビアに鋭い視線を向けたが、胸襟を正してコーヒーの波紋に目を落とした。


「友人たちの中とは時勢によって下心を抱く者もいます。大変に心を痛めることでもあります」

「どのようにしてことが証拠をつかんだのでしょうか」

「申し訳ありませんが、私は正式な公務をしているわけでもなく、ご明察頂けると信じています。視認範囲にいらっしゃった同輩の貴船に分け前をお渡しするのも難しい判断が必要だったのです。どうぞご理解くださいませ」


 暗喩しているのは秘密任務であったが、本当にそうなのか示す材料は一つもなかった。


 戦時協定において拿捕船を手に入れた船は視認距離に居た他船に分け前を渡す義務がある。


 これは単に仲間同士のいざこざを避けるためであり、帆船同士のせめぎ合いが短時間で決着がつくとは限らないからだ。


 一日目で発見し合い、二日目で交戦し、三日目でお互いに離れて損傷を修理し、一週間後に強風下で再戦するようなことだってある。


 何日もかけ、人員の機材を損耗したにも関わらず、目の前にいる弱らせた敵船を急に現れた仲間にかっさらわれるということは許されない。


 ヘルビアは海賊に拿捕船の分け前を請求したのだ。ただ通りがかっただけだとお互いにわかっていたとしても、要求を無視することは罪となる。


 いわば権利の乱用ともいえる形だが、海賊の魔の手から捕虜を“買い取る”のはそれくらいしか方法がない。


 ――ただでは働かんぞ。助けた人間から謝礼をもらう。


 自分だけなら多分、むやみやたらに暴れて無駄な人死を出すだけだった。トーヤは船長の判断が一番いいものだと納得した。


「後日、交易品取引所の目録をお渡ししてもよろしいですが、本当にご覧になるのでしょうか」

「ええ、何か不都合でもございますか」

「散らかっておりますので……とてもご婦人が目にするものではございません」

「ご配慮は重々承知しておりますが」

「では仕方ありませんな……」


 手の平を立てて見せて、ヘルビアが拒否を示したのでトールズで顎でしゃくって渡し板(タラップ)をかけるように部下に命じた。


 小麦色の肌をした海賊の一人が分銅をつけたロープを中空でぐるぐると回し、ひゅんと向こう側に引っかかる。


 数人がかけ声をあげ、予備の横静索(シェラウド)を斜め上方に向かう縄梯子にした。


 がっしりとロープが結ばれて繋がれるとトールズが先導するように進み出た。トーヤはヘルビアの後を追った。リリードは短艇の見張り番をすることになり、船匠長がトーヤの後ろに続いた。


 背後から、緊張感を引きはがすような気軽な声が飛んでくる。


「ねえねえ、トキミズ君。今日の夜さ、皆でボーリングするから一緒にやらない?」

「金は賭けませんよ」

「えー……面白さ半分じゃん。つまんないー」

「船匠長。俺の尻を撫でないでください」

「げっ、リリードが怖い顔してる。ねえ? あの娘とどこまでイッてる? 私、あの娘の隣の部屋だから少々騒がしくしても怒らないよ」


 船匠長は癖のない顔つきで大きな目と八重歯が特徴的ではあったが、船では誰よりもマイペースで活動的だ。体格は小柄だが仕事は常に丁寧で、損傷や急場に対しての対応の仕方が上手だった。


 藍色に染色された厚皮の半袖ジャケットを半ズボンに身にまとい、十字架のペンダントを胴を包むベアトップの谷間にぶら下げている。


 たまに茶化すように声をかけてきて人懐っこいが一定の距離は保っている。職業的な備品なのか腰に短い鎖を下げているので、じゃらじゃらと音がしていた。


 四本マストのキャラック船の甲板に降り立つと巨大な刀を持った男や短銃をぶら下げた男たちが余所者を見るように顔を向けた。


 自船の船長の動向を見極めるために視線を固定し、自らの仕事に不手際がある者は慌てて走っていった。


「よっと……」


 トーヤは大型船に乗船するのは初めてだったが、構造そのものに大きな差はなさそうだった。ミズン・マストの船尾楼の前にキャラック船の乗客たちは固まっている。背面に壁にしたざっと五十人ばかりの老若男女だ。平服を着た気弱な老人もいればドレスを着た上品そうな少女もいるし、亜人と思われる者の姿もあった。


 海賊は金目のものを探すために身体検査をしているところだった。武器を持っていた者はあらかじめ床に置いておかなければ反逆の意志ありとみなされる。


 あちこちにある血液の水たまり。死体は次々へと海へ投げ込まれたようで甲板から手すりまで血の帯線があった。


 交差していた索具は無残に切り裂かれ、天空から切れたロープたちが垂れて地面でとぐろを巻いている。


 とりわけ、メインマストの損傷がひどすぎる。第二トップ台の真下でへし折れてしまっている。木端が辺りに散っているのはもちろんのこと、完全にマストと船が分離しておらず、左舷側に倒れているのでその影響で船体が傾いてしまっている。急な荒波がくれば横転しかねない状況だ。


 トーヤの首筋に冷たいしずくが落ちた。


 指でこすって臭いを嗅ぐと独特の苦みのある臭気がする。帆布の端に溜まって落ちたミョウバン水だとわかった。


 火災の余波を避けるための処置であり、赤熱する砲弾の火を止めようとしたのかもしれない。まるっきり丸腰でぶん殴られたというわけでもないのか。防衛するよりも攻撃を優先した方がよかったとは思うが。


「さて、死体安置所(モルグ)の芸術(アート)殿のお気に召すものがあればよろしいのですが……物品でもよろしいでしょうか?」

「人質はどういたしますので?」

「無論、端船で帰路について頂きますとも」

「嘘よ! 残らず殺すって言ってたわ!」

「これは失敬……おい」


 海賊の一人が厚い刃を叫んだ少女に向けた。蜂蜜色の長髪の一部を結った気の強そうな娘は唇を結んで大男を睨み返した。


 場を取り成すようにトールズは咳払いした。


「肉親が死んだ哀れな娘でしょう。戦争とはいえ、気の毒に思います。最初から降伏さえしてくれれば誰も死なずに済んだのですが」

「あんたたちは卑怯者よっ! 味方のふりをして噛みついてきたって今サメのえじきになってる船長さんが言ってたわ!」


 声には振り返らず、トールズが人指し指で空を切る合図をした。二度目はない。海賊の一人がその意図を忠実に遂行するために刃をためらいなく振り下ろした。


 迫った刃は肩を切り裂くかと思いきや、横のけむくじゃらの亜人が少女をかばって突き飛ばした。


 ぱっと赤い鮮血が飛び散り、動揺の声が次々にあがりはじめた。


「失礼ですがトールズ船長、私掠免状を拝見させて頂けますか? 非武装の市民を傷つける紳士の行いとは思えませんが」

死体安置所(モルグ)の芸術(アート)殿。我々も魔術師を抱えております。至急、退船して頂けるなら無用な騒動はおかけしません。我々は分別のある女性には乱暴したくないのです。お互いにとって懸命な選択を促しましょう」


 二人のフードをかぶった男がトールズの横に侍る。


 同じ顔をした人間が二人。片方は片目メガネをかけているが、どちらも頬が病的なほどこけていた。


 すらりとした長身で頬に魔術的な入れ墨が額に描かれている。干からびた髪を後ろに流して縛っており、肌は真っ白で目を大きく開いていた。


 剣呑な気配を察した海賊たちもまたそれぞれの武器を持ち直した。


 ならず者たちは無言で命令を待っている。数は四十人ほどか。既に銃を向けている者もいる。


 周囲を警戒しながらもトーヤは船匠長と背中を合わせた。海賊の数は多い。傷を受けずに全員を速やかに始末するのは難しい。


 やっぱり俺が一人でくればよかったか――いや、二人に海に飛び込んでもらうべきか。それともまさか、何も見なかったことにしてしまうのか?


 トーヤの懸念とは裏腹にヘルビアは顎に手をやり、ため息をついた。


「トールズ船長。どうやら我々はお互いの要求を達成できそうにはなさそうだ。至極残念な結末を迎えましたな」

「ええ、そのようですな。しかしながら、幽霊船(ゴーストシップ)(きみ)を慰み者にするのは楽しそうです」

「貴様のような分別のない着飾った豚に欲情されていると思うと舌を噛み切りたくなるものだ」

「私は貴方のような年若くで強気な女性は好きですな。部下もきっと好きだ。舌を噛んでくださっても結構ですよ。こちらとしても何も不都合はありません。お楽しみが増えただけというものです」


 蛮性を表すようにトールズは黄ばんだ歯を見せてにぃっと笑った。ヘルビアも非道な冷笑を見せた。自らの皮ベストの裏側から小瓶を三本取り出し、足元へ落下させ、叩き割った。


 極彩色の煙と共に三人の霊魂が形作られる。いずれも顔だけしかなく、上顎と下顎に針金が埋め込まれ、ぱかりと口が開くように拘束具がつけられていた。


「では全員、速やかに死ぬがいい」




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