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その六

 

 閉じた瞳に朝の陽光を感じて、私の脳は緩やかに覚醒する。

 今日もいい朝、と思った瞬間、ガンガンと頭全体に響く様な激しい頭痛に襲われた。反射的に身体をよじれば、全身が凝り固まったように重くて筋肉がピキピキと痛い。

 な、なにこれ……?

 瞼さえも重りがついているかのように開かなくて、私は気合いを入れて目をこじ開けた。


「……え?」


 どいういう状況なんだ、これはーーー!?

 いまだ半分寝ている頭はまともに働かず、自分の身に起きていることがこれっぽっちも把握できない。


「起きたかい? 美桜」


 そこには、寝起きの目に眩しいほどの美貌があった。


 私は頭痛や身体の辛さも忘れて飛び起きた。そのままレドも真っ青の高速移動でベッドの端まで後ずさる。同時に中級の治癒魔法を全身にかけて、二日酔いと筋肉痛を取り去った。

 どうやら、丸一日迷宮に潜ってこなした運動量は、私の能力値を超えていたらしい。鍛練の必要性を痛感しながらも、今はそんなことを悠長に考えている場合じゃなかった。


「どういうこと? な、なんでレドと……」


 昨日の夜、たらふくお酒を飲んだ後の記憶が一切ない。どうやって宿に帰ったかとか、お風呂に入ったかも定かではないというのに、私はしっかりと寝巻に着替えていて身ぎれいだった。寝巻の上から自分の身体を確かめる。さっき筋肉痛を取ってしまったから、身体の変調がよく分からない……


 大混乱中の私とは対照的に、広いベッドに悠々と横たわり涅槃のポーズで朝の気だるさを全身で表わしているのは、どこからどう見ても某国第一王子だ。彼も起きたばかりなのか、薄絹の寝衣は軽く寝乱れ、肌蹴た胸元から覗く均整のとれた身体が妙に生々しかった。


「落ち着いて、美桜。何もしてないから」


 やけに晴れやかな笑顔でレドがのたまう。


「何もって何よ!?」


 これが落ち着いていられるかとキレ気味に訊き返すが、相手はどこ吹く風だ。


「昨日は美桜が酔い潰れてしまったから、宿まで運んだのは私だが、着替えと清拭は部屋付きの女たちに任せた」

「……本当に?」

「ああ。信じてほしい」

「…………」


 冷静になって五秒ほど考える。確かに聖女の力の希少性を知っているレドが、そう易々と私に手を出すはずがない。それに、変態の気があるとはいえ、生粋の王子様である。寝ている人間を着替えさせるなんて面倒なことをするだろうか。


「だとして……一緒の寝台で寝てたのは?」


 寝起きだというのにやけにキラキラしく爽やかなレドを睨みつける。


「それは、これを見てくれ」


 そう言って、ベッドサイドのチェストからレドが取り出しだのは銀色の手鏡だった。


「?」


 訝しみながら起き抜けの自分の顔を渡された鏡に映してみる。


「これは!?」


 私は何度も瞬きをしつつ鏡を覗き込んだ。

 驚いたことに、鏡に映った私の瞳は、澄んだ青い色に変わっていたのだった。はて、この色は……


 一人だけ訳知り顔で余裕ぶったレドと鏡を交互に見た。


「これってレドと同じ色?」


 明度の高い薄い青は、光の加減や角度によって冷たい氷のようにも見える。私はマジマジといつもと違う自分を見つめた。


「そうだよ。昨日の夜、王都から瞳の色を変化さえる魔法の詳細が届いてね」

「それが、どうしてこんなことに?」


 胡散臭げな視線と共に苦々しく言う。


「この魔法は、大陸の北部に住む少数民族に伝わる呪術のようなものでね。本来は婚姻の儀の夜に行う儀式なんだ」

「嫌な予感しかしない……」

「その部族では、女性の瞳が一律に茶色なのに対して、男性は多彩な瞳の色と独特の虹彩を持つという特徴があって、古くから婚姻の証として妻の瞳を夫の色に染める習わしがあるそうだ。女の瞳を見れば、未婚か既婚か、誰の妻であるかが一目瞭然という訳だ」


 そんな都合のいい魔法をよくも見つけてきたものだ。私は思いっきり呆れてしまって、非難を込めた半眼でレドをねめつけた。


「で、レドは私の了解も取らずに、昨日その魔法を使った訳ね」

「ああ。素面では同衾してくれないと思ってね」

「同衾言うな……!」


 反射的に手鏡を投げつけるが、素知らぬ顔でキャッチされてしまう。

 昨日、お祭り騒ぎに流されて、注がれるままにお酒を飲みほしてしまった自分が恨めしくもあり、何も気がつかずに朝まで爆睡していた事実が恥ずかしい。

 ああ、穴があったら入りたい……。私は上掛けの布団を手繰り寄せて顔をうずめた。


「ただ、この魔法は初夜の閨で夫婦の契りを交わすことで完成するよう構築されているから、本当の夫婦ではない私たちの場合、その効果は永続的ではない」

「なんですと!」

「寝台を共にしただけなら、もって五日といったところか」

「ということは?」

「次は美桜から進んで添い寝してもらえると嬉しいね」


 本気とも冗談ともつかない口調でさらりと言ってのけるレドに、私の怒りが爆発する。


「ふざけるのもいい加減にして! レドの馬鹿!」


 上掛けを丸めてレドに投げつけ、さっさと部屋を出ようとベッドから降りたところで、視界に影が差す。

 瞠目すれば、レドが目の前に移動していて、ヤツの両手が私の両肩をポンと押した。軽く当たっただけだったのに、私はぽふっとベッドに仰向けに倒れ込んだ。

 え、こんなことに身体強化の魔法使っちゃうんだ、としばし呆気に取られて天上の模様を凝視しする。


「ちょっと――」

「美桜、私はふざけてなどいないし、反省もしている」


 我に返って文句を言おうとすれば、レドがベッドに乗り上がってこようとするので、私は再び後ずさった。

 というか、目が据わってるし、言ってることとやってることが合ってないから!


「迂闊にも『祝福』を多用したことを……」


 ですよね。黒髪黒目を偽装するよりも、他に注意すべきことがあった。聖女固有の魔法で、しかもわりと有名な『祝福』をのべつ幕なし使っていては、分かる人には分かる看板を掲げているようなものだ。


「残念だが、毎日の『祝福』は諦めようと思う」

「うんうん。当然だよね」

「という訳だから、美桜、三日に一回は供寝を――」

「いやいやいやいや!」


 私は縦に振っていた首を横にぶんぶん振りながら否定した。これを認めてしまったら、乙女として、私の中の大事な何かが失われる気がするのだ。

 しかも、さりげなく頻度を増やしているし……


「美桜は、自身が聖女だと露呈した場合、どんな危険な目に合うと思っている?」


 レドは至極真面目な顔でベッドの上で姿勢を正した。反射的に、私まで正座してしまう。


「誘拐されて、利用される……?」


 レドの目が真剣だったから、私は渋々と考えを巡らせて答えた。


「具体的には?」

「……金銭目当とかで。たとえば、アクスロヴィア王国に身代金を要求したり、聖女の力を独占してお金を儲けたり」

「そうだね。手っ取り早く稼ぐなら我が国から金を脅し取るのがいいだろう。だが、相手がもう少し野心を持っていたなら、聖女の権威を借りて大陸の覇権を得ようとしてもおかしくはない」

「それは大げさなんじゃない?」


 さすがに言い過ぎだろうと、私は苦笑した。


「いや。聖女の威光というのは、それほどに価値があるものなんだよ。特に、聖女の後見人や、なかでも伴侶に選ばれた者は、必然的にそれなりの力を持つことになる」


 確かに、現在のアクスロヴィア王国が大陸で主要国家の一つとなり得ているのは、代々の聖女を庇護しているからだと言える。まあ、実際は、神殿と結託して異世界の少女を拉致している訳だけども……

 故に、私がアクスロヴィアと縁を切って新たな庇護者を得た場合、その人物が属している勢力の規模や立ち位置によっては、大陸のパワーバランスが変化したりするのだろうか。


 ちなみに、王城の図書館の地下にある隠し部屋所蔵の機密文献によると、代々の聖女の中で初代の聖女だけは、召喚でなく偶発的にこの世界にやってきたそうだ。

 彼女は当時のアクスロヴィアの王太子と結婚して、王太子妃から王妃となり、最終的には国母になって、王国の繁栄に大きく貢献したらしい。

 それでいて、二代目以降の聖女の召喚に少なからず彼女も絡んでいるらしいというのはまた別のお話で……


「そういえば、今さらだけど私って自由恋愛してもいいんだよね?」

「もちろんだよ。歴代の聖女もみな好き合った相手と結ばれている。だから私も美桜に選ばれるように努めている」


 なぜだか自信満々に言われてしまったので、都合の悪い部分は聞かなかったことにする。


「でも、攫われた先で強制的に結婚させられるってこともあるかもしれないんだ……」

「そうだね。美桜は聖女の力が強いうちは、無茶なことはされないと思っているかもしれないけれど、君が思っているほど身の安全は保障されないと考えた方がいい」

「え、そうなの?」


 聖女の力は二十歳を過ぎると緩やかに弱くなっていくらしい。今の私が十七歳だから、少なくとも十代のうちは貞操が守られるはずと勝手に楽観視していた。


「ああ。これは皮肉なことに美桜の力が強すぎるせいなんだ。美桜の聖女の力は歴代でも三本の指に入るほどで、迷宮の浄化だけを考えると、すでに役目を果たしている。その他の式典関係の仕事はおまけのようなものというか、聖女をアクスロヴィアに留めておくための方便だからね。実はそれほど重要じゃないんだ。実際、ほとんどの聖女は任期の途中で引退しているだろ?」

「そうだったかも……」


 聖女に着任した当初、任期は八年と聞いていたのに、あっさりと諸国漫遊が許された裏にはそんな事情があったのか。アクスロヴィア王国とは、つくづく罪作りな国である。


「聖女固有の魔法の中には、『祝福』や『祈雨』のように聖女の特異性を象徴するような奇跡に近い魔法もあるけれど、最優先事項である迷宮の浄化が終わっている以上、希少な魔法を切り捨ててでも今すぐ聖女の伴侶の地位を得たいと考えている輩は必ずいるはずだ。そういう連中に捕まったが最後、美桜の意思は無視されて、好きでもない男と婚姻させられてしまうだろう」


 可能性の話だというのに、レドが綺麗なアイスブルーの瞳を伏せて神妙な雰囲気を醸し出しているせいで、私も不安に駆られてくる。

 結婚に付随する行為のあれやこれやを好きでもない人間とすることを想像すると、言いようのない不快感が喉元をせり上がってくる。思わず寝巻の前を掻き合わせて、私はハタと気がついた。


「……レド、わざと怖がらせようとしてない?」


 もう少しで騙されるところだった。この王子様は、自分の望むように周囲を動かしてしまう天性の才能を持っているのだ。


「そんなことはないよ。逆に、美桜にはもう少し認識を改めてほしいくらいだ」

「どういう意味?」

「この世界には、美桜の世界にあるような、万人に等しく保障されている『人権』という概念がない。ということは――」


 そこからレドが真顔で語った非道な輩の非人道的な思考や犯罪の数々は、私を心底震え上がらせた。

 ある意味、私に自覚を持たすために意図的にやっているのだろうけど、やり過ぎだ。昼間でも一人で街を歩くのが怖くなってしまう。


「ごめん。怖がらせたね。でも、心配しないでほしい。美桜のことは、絶対に私が守るから」

「……」


 ヤツの思惑通りにまんまとブルってる私に、一番効果的な救いの言葉をブっ込んでくる。掌の上で踊らされていると分かっていても、嬉しいと思ってしまう自分が悔しい……


「ただ正直に言うと、私が美桜の力を侮っていたことも事実だ。聖女の迷宮挑戦が初めてということもあって、予測のつかないことでもあったが、考えが甘かったと言うしかない」


 立場上、安易に過失を認めたり、謝ったりしない王族にしては殊勝な言葉だ。それがレドの交渉術の一つだとしても、私も自分の言動を振り返ってみて反省した。


「あの、私も自分のことなのに、任せっきりにしちゃってごめんなさい」

「いや、美桜は少しも悪くないよ。だけども、迷宮内で美桜の存在は特別過ぎた。少し敏感な人間だったらすぐ気がつくだろう」

「私、何もしてなかったよ?」


 今回、迷宮内で聖女の力は一切使わなかった。

 そもそも、私が瘴気に触れると無意識に浄化してしまうらしいが、迷宮内でそれを実感したことはなかった。


「そうか。美桜には自覚がないんだね。聖珠一つで誤魔化されるものじゃなかったということだよ」

「……それって目の色以前の問題じゃ」


 添い寝うんぬんで言い争ってる場合じゃないのかも。

 困惑しつつレドを見やれば、彼に迷いはないようだ。


「そこで、相談なんだけど、メイズゲートの前にトアイヴァスに寄ろうと思う」

「トアイヴァス?」

「この西方地区の神殿を統括する大神殿がある街だよ。そこで神殿長の知恵を借りようと思う」


 急ぐ旅ではないけれど、迷宮都市に着くのはまだ先になりそうだった。


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