エピローグ
春の陽気を含んだ風が穏やかに通り抜けていく。
雲一つない空はどこまでも遠く、澄んでいて、世界はなんと広大で美しいのだと感動すら覚えるほどだ。
マリアベルは瑞々しい緑の上をさくさくと音を立てながら進む。隣には軍服を模した黒の礼服に身を包んだオズワルドが少し緊張した面持ちでマリアベルの手を引いていた。
「本当に、これで良かったのか? もっと豪華にすることも、招待客を呼んで祝ってもらう事も出来たが」
「必要ありませんわ。エレマン様、ヴィン様、アーロン様にこうして祝っていただけるのです。これ以上の幸せはありません。……マーガレットは残念でしたけれど」
純白のウエディングドレスに身を包んだマリアベルは、心の底から祝ってくれている三人を見て嬉しそうに微笑んだ。
中央にエレマン、その左右にヴィントとアーロンが立ち、盛大な拍手で二人を出迎えてくれている。
エレマンの後ろにはアーチ形の柱が立っており、その中央にはカリヨンの鐘が静かに佇んでいた。三脚ほどあるテーブルの上にはヴィントお手製の料理が並び、アーロンが持ちこんだ酒が添えるように置いてある。
今日はマリアベルとオズワルドの結婚式だ。
今の二人ならば大勢の人々を集め、盛大な式を開くことも可能だっただろう。しかしマリアベルは首を横に振った。気負わず、自由に、笑顔で楽しめる式が良い、と本当に身近な者たちだけでささやかなものにしたいと言ったのだ。
オズワルド自身も親しくもない大勢を出迎えるのは面倒な上、マリアベルのしたいようにすると決めていたので、彼女が最大限楽しめるようにすべて彼女の意見を取り入れた。
その集大成がこの式なのである。
ちなみにマーガレットにも招待状を送ったのだが「どうしても殿下がついていくときかないので、迷惑になってはいけないと遠慮させてもらう事にした。遠く空の下から二人の幸せを祈っている」との返事が届いた。
これには苦笑するしかなかった。
オズワルドに伝えるとあからさまにホッとしていたので、マーガレットには申し訳ないが、これで良かったのかもしれない。
「人間の結婚式とかよう分からへんけど、飯食って酒飲んでわーって花びら撒いときゃええってマリアちゃんが言うてたから! どう? ええかんじ?」
ヴィントが指揮をするように指を振ると、赤、白、ピンク、様々な花びらを纏った風が舞い踊る。
その美しさに感嘆とした声が漏れた。
「素敵ですわ、ヴィン様。ありがとうございます」
「マリアちゃんが喜んでくれるんならいっくらでも頑張るからな! まかせとき!」
今度は腕を大きく振り上げる。するとぶわりと大きな風が巻き上がり、しばらくののちはらはらと、まるで雪のように花びらが降り注いだ。
美しい。美しいが、それはそれとして参加者全員の髪形と服装が一瞬にして乱れる。マリアベルは慌ててオズワルドの身だしなみを整え直すと、自分の髪と服装に手を伸ばした。
自由な式が良いとは言ったが、本当に自由気ままで自然と笑みがこぼれる。
さすがは風を司る大精霊様。彼の祝福は実に奔放だ。
しかしオズワルドには少々自由すぎたらしい。彼は額に青筋を浮かび上がらせてヴィントを睨みつけた。
「ヴィーンートー! やり過ぎだ馬鹿者!」
「きゃ! 坊ちゃん顔怖ぁい!」
「わははははは!」
燃えるように赤い髪を掻き上げて、アーロンが楽しそうに笑う。
「工程も何もかもめちゃくちゃだが、逆に兄様らしくていいと思うぞ!」
「お前な」
「改めて。おめでとう、兄様」
「ああ。お前には本当に助けられた。ありがとう、アーロン」
「……兄様!」
アーロンは「駄目だ、もうすでに泣きそうだ……!」とハンカチで目を押さえている。
これにはさすがのオズワルドも予想外だったらしく、ヴィントへの怒りも一瞬で冷めて固まっていた。普段豪快に笑っていることの多い彼なので、どうしていいか分からないのだろう。
なんとも微笑ましい光景である。
「ア、アーロン? どうした? 体調が悪いなら無理に来るな」
「はは、違う違う。兄様は相変わらずだなぁ。ほら、俺のことは気にせず行ってくれ!」
トン、と背中を押されエレマンの前に立つオズワルド。彼から伸ばされた手を取り、マリアベルも隣に並んだ。
「ほっほ。このような大役、私でよろしいのですかな」
「神の代弁者たるお前が相応しくないのであれば、だれも勤まらんだろう」
「過分なお言葉ありがとうございます、坊ちゃま。――では」
神であるアルマニアの分身、精霊たちの主であるエレマンが息を吸った瞬間、空気が変わった気がした。
穏やかな春の自然が、一瞬にして厳かな雰囲気に包まれる。
「いついかなる時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「はい。わたくしのすべてはこの先もずっと、オズワルド様と共に」
結婚破棄を願われた時は、この先一人寂しく死んでいくのだろうと思っていた。誰もマリアベルを愛さない。愛してくれるはずもない。醜い顔を隠して光の当たらない隅っこで細々と生を終えるものだと。
しかし彼が見つけてくれた。手を伸ばしてくれた。
マリアベルにとって、彼と初めて言葉を交わしたあの日から、何もかもが奇跡の連続であった。
この身も、心も、すべて彼に捧げる。それは最初から変わらぬ願い。けれど今はただ尽くすだけではなく、彼からの愛情も素直に受け入れ、二人で幸せな未来を生きていける希望に溢れていた。
「坊ちゃまも。誓いますか?」
「もちろんだとも。だが――」
オズワルドはマリベルの手の甲に優しく口付ける。
「たとえこの身が屍として朽ちたとしても、魂はいつまでも君と共にある。死した後も手放す気はないよ。覚悟しておいてくれ」
「……はい、オズワルド様」
「愛している」
ふわりと空にベールのような光が現れ虹の橋をかけていく。
この人の傍ならばどのような苦難が襲い掛かってこようとも、笑顔ですべて打ち払えるだろう。
マリアベルの瞳から幸せの涙がぽろりと一粒零れた。
コロナにかかったり何やかんやで更新が遅れてすみませんでした。
これで完結です。ここまで読んでくださり、ありがとうございました! 後半駆け足になっちゃったのでいつか手直しできたら……機会があれば……。
感想や評価などいただけると喜びます。
それではありがとうございました!




