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標的《ターゲット》

 

 俺はまる三日間飲まず食わずで横になっていた後で深夜に目覚めて、今朝は夜明け前から活動している。まだ昼前だというのに、こんなに疲れているのも当然だ。


 まだ暗いうちに村を出てからは、群馬と東京と二か所での戦闘だった。


 その間、浅間高原にある草原の丘で朝食を取ったのが、唯一の休憩時間だった。それも、フライングカーの迎えを待つ一時間くらいだ。だから、本当に疲れた。


 不時着したフライングバイクから降りると、なんだかまだ宙を飛んでいるように足元がふらついた。


 さすがの美鈴さんも電池が切れたように静かになり、バイクから降りることすらできずにいる。フライングバイクの中途半端な無重力と海馬の障壁との度重なる干渉が、バイクだけでなく俺たちの肉体をも痛めつけていた。


 澪さんが乗った調査隊のフライングカーはまだ上空を旋回しているが、討伐隊のフライングカーは倒れた海馬への攻撃を続けていた。


 当然、美玲さんと三馬鹿も一緒だ。


 俺はふらふらと歩いてサクラの木の根元まで行き、太い幹に背中を預けて座り込むと、空を見上げた。


 青空に満開の桜が揺れている。

 この花を守ることができて、本当によかった。


 俺一人が怪獣のターゲットなのであれば、最悪俺だけ食われてしまえば終わる襲撃だったのかもしれない。


 最初からそう考えてバイクを飛ばしてきたのだが、結果的には最初の8人以外の犠牲を出さずには済んだ。


 しかし今後のことを考えると憂鬱だ。


 もし今後も俺一人だけを狙って怪獣が襲撃するのなら、次こそ本当に俺一人だけが食われればそれで済む。


『セイジュウロウ、その考えは一つの真実ですが、絶対に正しいとは言い切れません』

『どうして?』


『あの雛祭り侵攻でセイジュウロウが救った命は、一人や二人ではありません。今やセイジュウロウはこの東東京だけでなく、人類の切り札とも言える貴重な戦力なのです』


 ゴンの言うことはわかる。しかし、それは澪さんが覚醒して怪物の心を読むようになった今では無意味だ。


『幾ら俺が人命救助をしても、俺のせいで犠牲者が増えるのなら意味がない。俺はとっとと怪物の腹に収まり、グランロワとやらの好奇心を満たしてやらねばならないんだ』


『でも、その後はどうなるんです?』

『その後だって?』


『そうです。セイジュウロウという脅威が去った後に怪獣の大侵攻が再開されたら、次は一体誰がこの街を守るのですか?』


 俺が食われた後のことなんて、何も考えていなかった。


『ノストラダムスインパクト以降のこの50年間の出来事は、セイジュウロウ一人が食われて終わるような、そんな単純な構造ではないとワタシは考えます』


『確かに……でも、それなら俺はどうすればいいんだ?』

『わかりません。でも、最後まで抵抗しましょう。それが、この世界の人間の生き方です』


『例えそのせいで、大切な人たちを失うことになっても構わない、と言いたいのか?』

 俺にはそんな出鱈目で無責任な決断はできない。


『では、もっともっと頑張って、全ての人を守りましょう』

『無茶を言うんじゃない。おまえも美鈴さんたちのように、少し頭がイカレたんじゃないのか』


『しかし、そういうセイジュウロウは尊い自己犠牲という自分の行為に酔って、勝手に自己満足して思考停止に陥っているだけに見えますが』


 うっ、確かにその通りですよ。それでおしまい。逃げ切りだと思って完全に思考停止していたのは間違いないですよーだ。


 だって、ここは俺の世界じゃないんだから。


 ああ、そうだ。常に、俺にはそういう思いが根底にあったのかもしれない……



 美鈴さんはかなり消耗していて、まだバイクから降りることすらできない。

 俺はふらふらと立ち上がり、美鈴さんに手を貸そうと歩み寄る。


 歩き始めてすぐに、俺の後方で何かが動く気配がして振り向いた。


 俺が背にしていた桜の木の陰から、小型の怪獣がゆっくりと現れる。


 それは、甲羅の幅が二メートルくらいの、サワガニ型の化け物だった。



『恐らく雛祭り侵攻の生き残りで、近くの地中に埋もれて身を隠していたので存在を気付かれなかったのでしょう』


 ゴンの言う通り、百鬼夜行の前衛にいた連中によく似ている。


『スミマセン。大口を叩いた割には、身近な敵ですらワタシは感知できませんでした……』


『馬鹿、おまえは神じゃないんだから、こんなこともあるさ。それより他にはいないのか?』


『はい。しかし地中に潜み気配を殺している可能性は捨てきれません。ワタシの能力不足です』


『だから、そんなことは一々気にするな!』


 このサイズと形状からすると、地下で散々相手にした戦闘専門の怪物の生き残りなのだろう。


 ただその肥大した両腕の先が美味そうなカニの鋏ではなく、両手とも不気味な銀色に光る三本並んだ刃だった。


『ゴン、バイクはまだ遠隔で少しは動かせるよな。先に美鈴さんを乗せたまま、逃がしてくれないか』

 俺が言い終わらぬうちに、こちらに向かって先端が湾曲する鋭い三本の爪が振るわれた。


『くそっ、短気な怪物だ……』


 カニの放つ初撃をどうにか躱して、俺は正面から対峙する。



 口からブクブクと泡を吹いているカニは体が細かく震えていて、動くのも辛そうに見える。きっともう命が尽きかけているのだろう。


 だが、俺の体も似たようなものだ。


 右足に固定したナイフを抜こうと伸ばした右腕が震えて、なかなか上手く掴めない。



 その隙を突いて次に繰り出したカニの、不意打ちの一撃は鋭かった。


 逃げ切れないと悟り、こちらへ延びて来るカニの左腕を受けようと、俺はナイフを取るのを諦めて、右腕でガードする。


 ガツンという衝撃で三本の鋭い刃物の中ほどを受け止めた。


 しかし安心する間もなく、次の瞬間にはカニが自分の腕を強引に手前へ引いた。

 先端がこちらへ曲がった鋭利な刃に、俺の腕が軋んだ。


 そしてそのまま引かれると、カニの三本の爪は易々と俺の右腕を切り裂いて、二の腕から先を三つの塊に変え、すっぱりと切り飛ばしてしまった。


 鋭い痛みが走るが、瞬時に痛覚は遮断された。


 幸いにして前のめりになった体には三本の爪の先端がかすめただけだった。


 凶刃は胸のプロテクターを浅く切り裂いただけで、目の前を通り過ぎた。


 俺は咄嗟に後方へ跳び下がったが、息つく暇もなくカニの追撃となる右腕の一振りが俺を襲う。


 完全に防御手段を失った俺は、今度こそ死を覚悟した。


 


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