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失神

 

 確かに、澪さんを背負っていること忘れて動いてしまったことは反省しなければならない事実だ。


 いくら澪さんがコンパクトだと言っても、人ひとり背負ったまま連続して数メートルの跳躍をしながら暴れたのだから、その衝撃はかなりのものだったろう。


 改良されたDNスーツにより外傷はないかもしれないが、その中身はいたって普通の人間だ。


 卵の殻だけ強化して振り回していたら、黄身と白身がぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。そんないやーな想像が頭をよぎり背中に冷たい汗が走る。


 俺自身はこの軽量化された新しいボディパーツに慣れるため、連日の厳しい訓練をしてきた。おかげで身のこなしも、銃の腕前も格段に進歩している。


 しかも内緒だが、ゴンが作った新しいVR空間内では、時間加速により一日を何倍かに引き延ばして訓練ができる。


 恐らく美鈴さんも、そうやって鞭の練習をしたのではなかろうか。

 おかげで雛祭りの頃が遠い過去に感じるが、まだ今日は3月19日だ。


 俺は土の上に広げた美鈴さんの認識疎外ポンチョの上に、澪さんをそっと横たえた。

 幸い、嘔吐したり目玉が飛び出たりはしていない。


 こんな時、優秀な医師である美鈴さんがいてくれるのは心強い。

 澪さんは全身をスーツで覆われているので、美鈴さんはベストの胸にあるディスプレイでバイタルを念入りにチェックしている。


 だが、特に危険な兆候は出ていないそうだ。

 俺も体を屈めて、澪さんの様子を窺う。

 澪さんは、前触れなくぱっちりと目を開いた。


「き、気持ちが悪い。吐きそう」

 俺の顔を見るなり、焦点の怪しい琥珀色の魔眼をこちらに向けて、そう言った。


 慌てて美鈴さんが体をうつ伏せにさせて、背中をさすっている。


 まあ、そりゃそうだ、と俺は妙に納得してしまった。


 だが、今の反応は、相当俺に恨みを抱いている眼差しだった。

 俺にだって、それくらいはわかる。


 だから俺は屈んだままそっと後ろへ下がり、立ち上がって周囲を警戒しているふりをした。


「清十郎……」

 それなのに、澪さんに呼ばれてしまった。


 仕方なく、また元の場所へ戻って腰を落とした。

 澪さんは、俯いてゼイゼイ言っていたのが落ち着いて、また仰向けに戻り横になっている。


「安心して下さい、雷獣は始末しました。澪さんの尊い犠牲は無駄ではありません!」

 俺は可能な限り明るい未来を見つめ、つぶらな瞳で澪さんに顔を寄せる。


「そう、良かった……」

 にっこり笑って、澪さんは右の拳で俺の左の頬へカウンターのパンチを当てた。


「スミマセン。気の済むまで殴ってください」

 俺は無抵抗のままお代わりの左の拳も受けた。


「怖かったですか?」

「当ったり前だろうがっ!」


「ちびりました?」

「ちびってない」


「えっ、じゃあもっと本格的にやっちゃいましたか?」

 澪さんが放った三発目のパンチを受けて、そのまま首を抱き締められた。


 思いがけず長い旅になったが、これでやっと終わりだと、俺は思った。



 気が付けば、あの唐原からはらと名乗った隊長をはじめとするキャラバンの連中が周囲に集まりつつあった。

「やりましたね、富岡さん」


 地に伏した白い毛皮を中心に、数十名の男女が輪を作る。


 唐原さんの他にも各隊を代表する者たちが中心にいる俺たちの元へ集まり、口々に礼を言い始めた。


「犠牲者は?」

 澪さんから解放された俺が、最初に唐原さんに言ったのがそれだった。


「全隊で二人、命を落としました。他の重傷者5名は、命の心配はありません。軽症者は、まぁほぼ全員ですかね」


「そうですか。もっと早く俺たちが参戦していれば……」


「いえ、戦端を開いたのは我々です。逆に、富岡さんたちがいなければこちらは壊滅していたでしょう。ありがとうございます。この恩はきっといつか、何かの形で返します」


 頭を下げる代表者たちも、少なからず傷を負っている。


「先に俺たちが突っ込んでいれば、あの雷撃でやられていたかもしれません。たまたま後方から戦況を見ていたから、警告できたんです。だから、これは俺たち全員の連携の勝利ですよ」


「そう言っていただけると、死んだ者も浮かばれます……」


「重傷者の治療を手伝うことはできますか? 美鈴さんは優秀な医師ですから」

「それには及びません。我々にも医療の心得のある者がいますので」


「わかりました。俺たちは小山田村から来ましたが、この近くには他にも集落があるのですか?」


 ゴンの記録によれば、そんな集落はないのだが。


「はい。この辺にも小さな自然派の集落が幾つか点在しています」

 だからこそ、それを守るためにこれほどの人数を集めたということか。


「次からは、俺にも声をかけてくださいよ。本当に、約束してください。本部には内緒でやって来ますから」

 俺は本気だった。


 一番年長の白髪の男性が、一歩前に出た。

「ははは、さすがにEAST東京のヴェノムさんは一味違う。ぜひ、その時は秘匿通信で連絡しましょう」


「秘匿通信?」


「あれ、既にあなた専用の緊急秘匿回線のデータが届いていますが」

『おい、ゴン。おまえか』


『スミマセン、ちょっと順序が逆になりました』


「俺の個人アシスタントは気が早くて勝手に動きますが、まあまあ信頼できますので」


「そうですか。あなたの警告が無ければ、あの雷撃で我々は全滅していたかもしれません。信頼するのは当然ですよ。私は今回のキャラバンを統括するチーム赤城の火浦ひうらと申します。今後もよろしくお願いします」


 ゆっくり話をしたかったが、俺たちはいつまでもここに留まるべきではない。


「USMの救援が来る前に我々はここから離れて、あの尾根の南側へ向かいます。雷獣の亡骸は皆さんで利用してください。本部にも、止めを刺した武装商隊に所有権があると報告します」


「そ、それでいいんですか?」

 火浦さんは目を丸くしている。


「ああ、大丈夫だよ。私もこれ以上あの化け物の顔を見たくないからね」

 起き上がった澪さんが補足してくれた。


 その澪さんを見て、周囲がざわめく。


「ヴェノムと青の魔女が付き合っているって噂は本当だったんですね……驚きました」


「いや、今日の戦闘で澪さんが恐怖のあまりに失禁、じゃなくて失神したせいで、俺たちの関係はもう終わりかもしれませんが……」


 俺が真顔で言うと、周囲に微妙な空気が流れる。


「だから、ちびっていないって言ったろうが!」

「そうでした。実はここだけの話、気絶して本格的なお漏らしを……」

 最後まで言わないうちに、また鉄拳が俺の顎に炸裂した。


「ほんっっっとうに、あんたって奴は!」


 肩で息をする澪さんを後ろから美鈴さんが笑顔で抱き締めて、止めている。


 今度は、はっきりと周囲の人間が一歩下がるのを感じた。


 取り巻く人々は、ちょうど動物園の檻から逃げた猛獣が予期せぬ仲間割れを始めたかのように怯え、言葉にならない呻き声を上げて引きつった顔で俺たちを見守っている。



 でも幾ら反射的とはいえ、慌てて一斉に銃を手に取るのは勘弁してほしい……


 


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