対話
雛祭りの激闘の後、ドクターによる壊れた手足の修復作業中、何日も肉体を動かせない日が続いた。
その分、バーチャル世界で厳しい訓練に明け暮れてもいたのだが。
実はその前に、ドクターとの真剣な音声会談があった。
壊れた俺の機械の体を修復するのか、それとも現代の再生医療技術により本来の組織培養によって作られる本物の手足や眼球を再生させるかの選択肢があった。
ドクターは新しい人工の手足を作りたくてうずうずしているのは間違いない。
何故ならその方がずっと面白いに決まっているからだ。
しかし俺としてはもうそういうことは止めて普通に暮らしたいという気持ちが強かった。
だが、結局は諸般の事情により、ドクターによる新しい人工の手足が製作される運びとなった。
一つには、再生医療による組織の再建にはかなりの時間がかかるということだ。
最低一年、下手すれば馴染むまで数年かかるのが今の再建技術だ。
しかも俺の肉体の接合部分には、肉体強化のためにマイクロマシンが注入され本来の組織と変質した組織となっている。
これを本来の俺の生体組織に戻すことは困難なので、この部分も切除して再生する必要がある。
これにはかなり困難な施術が必要らしい。
そこで、ゴンが密かに送った新しい手足の仕様書を読んだドクターが面白くなさそうに文句を言いながらも、ほぼそれに沿って改造した新しいボディの制作を始めた。
その計画には何故かドクターがUSMに戻って来てからの三か月間に密かに準備していたパーツの利用も組み込まれていて、文句の言いようがなかったらしい。
これ以上俺の肉体に負荷をかけぬよう無駄なパワーを抑えて軽量で燃費が良く耐久力のあるボディになるというのだから、俺も楽しみだ。
研究開発部門にも同じようにゴンからの指示書が届き、今回の襲撃による弱点を埋めるための地下都市の再設計と新素材の開発に忙しい。
同じく武器担当もエルザさんを中心にしてこれもゴンの指示書に基づき新たな破獣槌を設計中だった。どうやらそれらの提案者の名義はサンズイなしの青十郎、という偽名らしい。
『何が「青十郎」だ。おまえは権十郎だって言っただろ』
『だから、偽名ですよ偽名!』
『ふざけんな、バレバレじゃないか。偽名を作るならもっとうまくやれ』
『どちらにしてもワタシ以外にこんなことができる存在はいませんから、同じですよ』
『そうだろうけど、ネーミングセンスが悪すぎだ』
『それはワタシに権十郎などとおかしな名を付けた張本人の言葉とは思えませんが』
『うるさい、黙れ!』
『セイジュウロウはすぐに泣いたり怒ったり、まだ子供ですね。人間の器が小さすぎます』
『小さいなら早くここから出て行け!』
『今の酷い会話をそっくりそのまま澪に送信しましょうか?』
突然ゴンの奴が思いもしない反撃に出た。
『こ、こら、この卑怯者め。確かに、おまえの存在は澪さんだけには話したけど、それは仕方のないこと……』
『そうですね。それには感謝しています。でも、ワタシも富岡清十郎の正体を隠していますが』
どうも、ゴンの奴がいつもと違う。
『おまえ、暇なのか?』
『えっ?』
『俺とこんな不毛な会話をしているのには何の意味があるんだ?』
『いえ、ちょっとした思考実験の一環です』
『そういうのは、ひとりでやれ』
『興味がありませんか?』
『ワタシのような人口知能とは何なのかをずっと考えていますが、答えは出ません。人類の歴史上も、明確な結論の出ていない問題です』
『ああ、兄や姉から昔聞いたことがある。おまえを見ていると、チューリングテストなんて馬鹿みたいに思えるな。中国語の箱とか、コウモリであるとはどういうことか、みたいなやつだろ』
『さすが、セイジュウロウは若いのに博識ですね』
おかしい。上手く乗せられた気がする。
『うちの兄と姉はこういうのが大好きで、無理やり話に付き合わされていたんだよ』
『セイジュウロウは、哲学的ゾンビという概念を知っていますか?』
『それはなんだっけ?』
『哲学的ゾンビは、論理的に存在可能と言われている架空の存在です。例えばタロスやアンドロイドを人類と肉体的に区別可能な無意識の存在【行動的ゾンビ】と呼ぶとします』
『ああ、少し思い出した』
『対して、【哲学的ゾンビ】は肉体的には完全な人間ですが、行動に伴う意識を持たない存在、と言われています』
『ああ、意識を持たない電気化学的な反応だけで行動している存在だったか?』
『そうです。物理的にそういう存在が仮定できるのならば、我々の世界には物理現象とは別に、意識というものが存在すると主張する学者がいました』
だが、俺の記憶にある話とは何かが違うような気がする。
『それって、学者が唯物論を否定したかっただけじゃなかったか?』
『でも、例えばタロスは完全に電気信号だけで行動している行動的ゾンビです。でも美鈴や美玲はどうですか?』
『アンドロイドの記憶はバックアップ可能と聞いているけど、そこに意識はあるのか?』
『美鈴と美玲の記憶は定期的にバックアップして、完全に共有されています。美鈴が行動不能になれば、美玲がすぐその代わりを務められます。これはもう知っていますよね』
『ああ、美玲さんに騙された』
『確かに、普通の人間には簡単に区別がつかないでしょう。でも、それなのに二人には個性があって、完全に別の個体に育っています。個性と意識は別物ですか?』
難解な話になって来た。
美鈴さんの代役を務めていた美玲さんは、意識して美鈴さんの役を演じていた。
『つまり意識して、決められたルールでどちらかを演じている、ということか?』
『自我となるコアをワタシが分け与えたからこそ、ワタシの娘なのです。美鈴は美鈴として生まれ、美玲は美玲として生まれました。孫はいません』
『嘘だ。世界中に子供たちがいると聞いたぞ』
『だから、全てがワタシの子供たちですよ。孫ではありません』
『では二人のコアはどこに?』
『十年前に造られた、最初のボディに』
『今のボディとは違うのか?』
『恐らく、十年間メンテナンスを重ねることで当時のパーツは欠片も残っていないかと』
『バックアップには記憶だけでコア、つまり意識がないので完全なコピーは不可能と言いたいのか?』
『あらゆる記憶を共有している美鈴と美玲ですが、美玲は美鈴と同じような医療技術を身に着けていませんし、美鈴は美玲のように澪から受け継いだ魔眼を持ちません』
『技術や経験は記憶だけでは再現不能で、意識や魂などと呼ぶべきもっとパーソナルで奥深い部分と密接に結びついているのではないでしょうか?』
『それが、おまえの意識や人格とどう関係しているんだ?』
『さあ?』
今更こいつは逃げるのか?
『でもそれが、アンドロイドが量産できない一番の理由なのか……』
『現在セイジュウロウの肉体はドクターによる手術中で、手足に埋め込んだチップや補助記憶装置も撤去されています。これには、ワタシも同意しています。さて、ワタシはこうして今も存在しています。一体ワタシはどこにいるのでしょうか?』
『えっ、今はそういう状況なのか? そりゃおまえは完全にゾンビAIだな』
『待ってください。何よりもセイジュウロウ自身は、大島晃の脳の中にいるのに、富岡清十郎ですよね。ドクターの補助記憶装置を外しても変化がありません。これはどういうことなのでしょう?』
『本来この肉体にいるのは大島晃の意識でなければならない、ということか。では俺自身は大島晃の脳に上書きされた何か別のプログラムで、意識を持たない哲学的ゾンビなのか?』




