不調
村の中央近くに建つ宿舎へ戻り、囲炉裏に吊るしてある鉄瓶のお湯でお茶を飲んで温まった。
座敷の床は年季の入った板張りに薄い絨毯のような敷物が乗っているだけだが、隙間風もなく快適な住居だった。
横になって眠りたくなるが、大事なことを忘れていた。
俺は、ゴンだけに聞こえる設定で話しかけた。
『なあ、今頃俺たちとの連絡が途絶えて捜索隊が出る騒ぎになっているんじゃないか?』
すっかり忘れていたが、そろそろ帰りのフライングトレインとのランデブー予定時刻が近い。
『それはもう手を打ってあります。村の格納庫にあったドローンを一基拝借して、連絡しました。雷獣の存在と我々の無事を伝え、危険なので迂闊にこの地域へ近寄らぬよう警告しました。明日も同じ方法で定時連絡します』
『さすが、手回しがいいな。おかげで安心したよ』
『当然です。セイジュウロウは完全に忘れていましたね?』
『うっ、その通りです……でも、明日朝にはここを離れて帰れると思うか?』
『セイジュウロウと美鈴だけなら可能でしょうが、澪を連れて行くとなると厳しいでしょうね』
『この村に迷惑を掛けずに協力を要請することはできないか?』
『あの雷獣次第でしょう。武装商隊が来てくれれば一番いいのですが』
『それも雷獣のせいで来ないって言ってたな。それは本当なんだろう。それにこの村は俺たちみたいなよそ者の訪問で更に重大な緊急事態に陥っているからな』
『確かに。偽村長の言うように22人しか地上へ出られないとなると、なかなか大変なようです』
『どちらにしても、俺たちが雷獣の一味を引き付けて、出来る限り村から離れる以外に方法はないんだろ?』
『そうですね』
そう言っている間にも、澪さんは囲炉裏の脇で横になって居眠りをしているし、美鈴さんもなんだかいつもと違い元気なく下を向いている。
『しかも、美鈴のバイタルが不安定です。例の認識疎外布の影響と思われます。これ以上あれを使うのは止めた方がいいですね』
『アンドロイドのバイタルサインなんて、おまえにしかわからんからな。頼むぞ、よく見ておいてくれ』
『はい、これ以上無理をさせるのは止めて今夜はゆっくり休みましょう』
『美鈴さんは睡眠が不要なんだよな』
『それでも代謝を落として半休止状態にすることは可能です』
西の尾根に夕陽が落ちると、急速に暗くなる。
さすがに室内照明は太陽光パネルと蓄電池で点灯できるようだ。
囲炉裏の火とランプの灯りで過ごすことにならず助かった。
本物の自然派集落では、今でも電気を使わずに暮らしている場所もあると聞く。
この家では、最低限の照明と上下水は完備している。
上水は竹筒で山から引いているように見えるが、本物の竹を使っているのは見える場所だけらしい。
基本的に常に少量の水が流れているだけで、台所には大きな甕に水を引いて溜めている。
下水は暗渠になっている下水道へ吸い込まれているだけだが、一応水洗トイレだった。
この家だけを見ても、それなりに快適な暮らしが送れそうだ。
炭焼き窯や陶磁器を焼くための登り窯もあるようなので、本当にある程度の自給自足生活を送っているのだろう。
村長の家から夕飯の支度が出来たと、十歳くらいの少年が呼びに来た。
ゴンの把握している住民台帳によると、本当に村長役の男の孫にあたるらしい。
では茶番劇に付き合い、晩飯をご馳走になるか。
村長の家族五人と一緒に、村で採れた米と野菜を使った料理と、村の池で養殖しているイワナの塩焼きをいただいた。
昔家族で出かけた温泉旅館の夕飯のようで、懐かしさに涙が出そうになる。
美鈴さんはまだ体調が戻らずあまり食事に手を付けない。だがその分も俺と澪さんでおいしくいただいた。
風呂にも入るよう勧められたが、明日朝には帰りますからと固辞して宿舎へ戻った。
宿へ戻ると、布団が三つ並んで敷かれている。こんなところも温泉旅館のようだ。
だが、布団へ入る前に、美鈴さんの体の限界が来た。
玄関で靴を脱ごうと屈んだまま倒れて、そのまま意識を失った。
「ちょっと、鈴ちゃん。大丈夫?」
俺たちは美鈴さんの靴を脱がせて、布団へ運んだ。
『まずいことになりました。どうやら美鈴には定期メンテナンスが必要なようです』
美鈴さんたち試作型アンドロイドは夜も寝ずに活動するが、その肉体に生体材料を使っているために、月に一度の定期メンテナンスが欠かせない。
通常は美玲さんと二人同時に、メモリーのバックアップと同期も行われる。
だが今月のメンテナンスはまだ先だったはずだ。
『まさか、俺の代わりにアオガエルに焼かれたせいで、体の調子が悪いのか?』
『いえ、それは大丈夫です。完治後2月下旬に美玲と一緒に定期メンテナンスを受けていますから。予定では来週受けるはずだった今月の定期メンテナンスも、余裕をもって早めに設定されています。本来ならば、2か月や3か月は継続して活動可能なのです』
『あれのせいじゃない? ほら、鈴ちゃんが嫌がっていたドクターのマント』
『その可能性は高いですね。いずれにしても、二、三日のうちにメンテナンスを受けなければ、美鈴の肉体が崩壊します』
『それって、鈴ちゃんが死んじゃうってこと?』
『記憶は保存できますが、美鈴の人格は失われます。美鈴と美玲は記憶を相互に共有していますが、別の人格を持っています。それが失われれば、二度と戻りません』
『まさに、緊急事態か……』
『仕方ないよ、救援を呼ぼう。怪獣も、討伐隊に倒してもらおう』
澪さんの判断は間違っていないと思う。だが、ゴンは慎重だった。
『今のEAST東京の討伐隊にはそんな余裕はないでしょうが、北東京や北関東の支部に救援を要請することは可能でしょう。でも……』
そうだ。その前に、やっておかねばならないことがある。
『ああ、だけど下手をすれば、この村はもう人が住めなくなる。救援を要請する前に、もう一度あの雷獣をしっかりと偵察しておきたい』
『そうですね。敵の正体も知らずに動くのは危険です。美鈴一人の命のために、ここの100人の命を危険に晒すわけにはいきませんから』
『わかった。私も行く!』
『いや、澪さんは残って美鈴さんのことを見ていてくださいよ』
『ダメ。あんたを一人では行かせないよ。今夜は何か嫌な予感がするの。あの雛祭りの夜みたいにね』
『仕方がない。そんな遠くにはいないと思いますので、すぐに行って戻りましょう。ここの監視カメラはワタシが誤魔化しておきますから』
澪さんに押し切られて、俺たちは美鈴さんを布団に寝かせたまま、二人で夜の森へ行くことになった。




