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遭難 (第三部第一話)

第三部の始まりです。


 

「へー、ここが清十郎の生まれ故郷なんだ。で、あの木の上にいるのが親族の皆様方?」


 落葉して明るいカラマツ林を見上げて、澪さんが不機嫌そうに呟いた。


 頭上ではニホンザルの群れが騒いでいて、森へ迷い込んだ異物に興味深々だ。


「まあ、ほら、俺の親戚筋が呑気に歓迎の声を上げてくれているんで、ひとまず近くに怪獣はいないってことですよ」


「でも、日の暮れないうちに今夜の宿まで案内してもらえませんかねぇ?」

 美鈴さんも頭上の猿が襲ってこないのにひと安心し、冗談を言う余裕が生まれた。


「昔は近くにいい温泉宿がたくさんあったんですが、これではちょっと期待できそうにないですねぇ」


 まだまだ日の高い時間なのだが、正直明るいうちに人のいる場所へ辿り着ける自信がない。

 俺は笹薮や灌木の上にまっすぐ伸びて並んだカラマツ林に立ち、青空を見上げる。


 俺たち三人が茫然と立っているのは、まだまだ春は遠い3月中旬の群馬県西部。

 浅間山の北に広がる高原地帯だ。


 ここは前世で俺が生まれ育った高原キャベツの産地だった場所の近くで、今は御覧の通り、野生の楽園となっている。


 ただし、俺のいた時代にはこの時期、まだ一面の雪に覆われていたはずだ。それがここでは、日当たりのいい斜面の雪はもう消えかけている。


 俺はこんな楽園に転生したのだから、グランロワとやらに感謝すべきなのだろう。

 谷筋にはまだ雪が残ってそれなりに寒いが、その分不快な虫がいなくて快適なアウトドアライフが送れそうだ。


 それにしても、俺たちはこんな風に野生観察をするために来たのではない。


 どうしてこんなことになった?



『怪獣のジャミング範囲から出ましたので、現在地を特定できました。しかしこちらから電波を発信して再び怪獣を呼び寄せる結果になると厄介ですね』


 ゴンの言葉通り、俺たち三人はこの全く人気のない森林に孤立している。


 今は危機を脱したが、乗っていた小型のフライングカーは突然現れた怪獣のECMにより機能を停止し、レーダーも通信も使用不能のまま墜落して大破した。


 人間離れした肉体を持つ俺と美鈴さんはともかく、身体能力は並の人間である澪さんを抱えて、よくあの状況から生き延びられたものだと思う。


 怪獣と相性の悪いアンドロイドが同行していることにより、俺たちは地上へ無事に降り立ってからも中小様々な怪獣による執拗な追跡を受け、やっとのことで逃げ延びて、ここで一息ついたところである。


「澪さんがコンパクトで持ち運びに便利だったことが、俺たちの命を救ったようなものですね。感謝しています」


「あんた、それはジョークじゃなくて、私に喧嘩売ってるよね!」


「いえいえ、決してそんな邪悪な意図はなく、歓迎してくれている樹上の親族に自慢の彼女を紹介できて嬉しいというか、共に皆さんの心を和ませようかという気遣いが……」


「清十郎さん、それならわたしもちゃんと紹介してくださいね」

「もちろん。ほら、これが愛人一号の美鈴さんですよ!」


「清十郎さんのばかっ!」

 美鈴さんが顔を両手で覆い、しゃがみ込んでしまった。


「大丈夫、鈴ちゃんはアンドロイド妻の一番だから。愛人一号の称号は美玲に譲ろう」

 澪さんが頭を撫でているが、これは本気で慰めているつもりなのだろうか?


『やはりセイジュウロウの行くところ、常に嵐が吹き荒れますね』

『こら、せっかく天気だけはいいんだから、変な言い方は止めろ』



『現在地から明るいうちに歩いて航路に戻るのは、無理でしょう。しかもその間にはあのジャミングモンスターがいますし』


『じゃあ、今夜はここで野宿か?』


『その前に、連絡が途絶えたことで救援が来るでしょう』

『大丈夫か? その救援機も、きっと奴に落とされるぞ』


『そうなる前に、一つ希望が残っています。少し北西方向へ移動してみましょう』

 俺は不機嫌な二人の女性をなだめて、何とか歩き始めた。


「突然襲ってきた礼儀知らずの電波怪獣のせいで、まだ救援も呼べないってわけね」


「澪さん、気持ちはわかりますが、今は大きな声も控えてください」


 そう、俺たちは今、強い電波を発信する機器を使用できない。


 最低限の受動センサーを起動してGPSによる位置測定をしたが、俺たちを追っていた怪獣に気付かれぬよう細心の注意を払って移動している。


「もう、いっそのことあんな怪獣早くやっつけて、すぐに救援を呼んだ方がいいんじゃないの?」


「ダメです。この辺りにいるのがあれ一頭だけとは限りません。派手な戦闘行為を行えば、救援が来る前にこちらが全滅する可能性があります。そんな危険は冒せませんよ」

 まあ、この意見はゴン先生の受け売りなのだが。


 獣道を暫く辿ると、小さな尾根に出た。

 尾根を少し東へ下った雑木林沿いに、獣道というにはあまりにもしっかりした小道が通っているのが見えた。


「これは、恐らく人が使っている道でしょうね?」

「こんなところに本当に人が住んでるの?」


「墜落前の映像をゴンが解析して、小さな集落のようなものが映っているのを確認しています。これが、そこへ続く道のようですね」


「じゃあ、本当に清十郎の親族がいるのかもね」


「こんなところに隠れ住んでいる山賊みたいな連中ですよ。夜中に襲われて食われちまうんじゃないですかね?」

「まあ、そこは私に任せてよ」

 そうか。こちらにも魔女がいるのだった。


「でも澪さんは余計なことを言わずに、黙って子供のふりをしておいてくださいよ」

 俺は一応澪さんに釘を刺しておく。


「どうしてさ?」


「だって澪さんは有名人なんですよ。バレたらきっと、ものすごく警戒されるでしょ?」

「うーん、子供のふりだと。く、屈辱だ……」


「いや別に、俺に向ける尊大な態度を少しだけ我慢して、静かにしていればいいだけですので」

「そうですよ。澪さんは邪悪なことを考えず笑顔でいれば、可憐な少女にしか見えませんから」


「鈴ちゃん、それちっとも褒めてないよね……」

「ほら、駄目ですよ。女の子らしい、可愛い振る舞いをしましょうねぇー」

「くそっ」



 俺はこっそりゴンに話しかける。

『つまり、この先の住民の為にも派手な戦闘はご法度だと言いたかったわけだ』


『住居は廃墟の可能性もありましたが、この道を見れば人が暮らしている可能性が高いですね』


「まあとにかく、行ってみるしかないな」



 小道は一度尾根を下り、残雪が薄汚れた塊となって残る枯れた沢を超えて、再び斜面を登っていく。


 コナラや白樺などの落葉樹が減り森は暗くなっている。落葉するカラマツと違い、常緑の針葉樹が茂る森には、モミやトウヒなどの高木が増えていた。


 その暗い斜面の奥に、俺の新しい眼が、生き物の発する赤外線を捉えた。


 


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