焦燥
大ダコの脚一本は先端を砕いた。
もう一本は右の壁に杭で留めている。
だがそれ以外のダメージはない。残る怪物は星形のヒトデが一体。
ヒトデの触手は一つだけ吹き飛ばしているが、動きは変わらない。
そしてタコの足元に俺の主武器であるハンマーと、サブの絶縁槍が転がっている。
俺は鞄から幾つかの小瓶を取り出した。
細長いのは市販品の激辛チリソースで、ピクルスなど漬けるガラスのボトルに俺が詰めたのは、チリパウダー。唐辛子の粉だ。
この密閉ボトルを見ると、いつもたくさんの瓶を並べて酢漬けの野菜を作っていた祖母を思い出す。
動き回るヒトデだが、その中央には確かに口がある。
人を丸ごと食うサイズではないが、手足を食いちぎる程度なら簡単にやりそうな、凶悪な歯が並んでいる。
俺はその口を目掛けて次々と赤い手榴弾を投げた。
先に液体を体全体に纏わせてから、動きがおかしくなったところで粉末の瓶を精一杯狙って中央の口にぶつけた。
舞い散る赤い霧の中で、ヒトデはばったり倒れて痙攣している。効果は抜群、調理も完了。
ヒトデのチリソース和えである。
残るは大ダコを料理するのみ。
だがこれが厄介だ。
ヒトデのように容易に口を見せない。
常に太い脚が前面を防御しつつ隙あれば電撃を食らわそうと動き回る。
無理せずどれか一本の触手の先端を当てるだけで仕留める自信があるのだろう。
しかも俺の武器は奴の足元に放置されている。タコがそれを気にも留めていないのが、せめてもの救いだ。
『どうやって破獣槌を回収するか、だな。今の手持ち武器ではとてもあのデカ物を倒せない』
『セイジュウロウ、忘れていませんか。まだ一つだけ有効な武器が残っています』
そんな物があったか、と疑問に思う。俺は鞄の中を漁る。
使用済みのエネルギーパックの他には、エルザさんの渡してくれた試作品の手榴弾が幾つか残っている。
スモーク弾が二個あるが、テロリスト制圧用の催涙弾とも違い、無害な煙の出る目くらましだ。
基本的には屋内で使うものではない。
俺は煙の中でも赤外線や他のセンサーで動けるが、あのタコも単に可視光線だけしかセンシングしていないとは考えられない。
もう一つは忍者の使う撒き菱のようなものを散乱させる。
これも大きなタコには無意味だ。
最後は反重力弾、と大袈裟なメモが貼ってある。
作動すると一秒間だけ直径三メートルの球形の範囲を無重力化する。
だが持続時間がたったの一秒という短さと、効果が無重力化という部分で使い道が限定される。
逆に重力を強くして動きを封じる、となれば使えるが、それも1Gが2Gになる程度では効果は薄い。
僅か一秒間の無重力化で何ができるというのか?
『投げるのではなく、セイジュウロウが持って走りながら作動させるのです』
一秒間だけ俺が無重力状態になって動くことになる。
『走りながら重力をゼロにして、床を蹴ります。一秒間、スカッシュやピンボールのように壁床天井を蹴り、触手を避けて加速し、最終的に床の武器へ到達します。コースは私が計算しながら都度調整しましょう』
『一秒だけで、本当にそんなことが出来るのか?』
『可能です。唯一の不安はこの試作品がメモ通りに作動するか、という点です』
貼りついているメモによれば、ロックを外してボタンを押し込みパイロッットランプが点滅後三秒で動作開始、とある。
持続時間は僅か一秒。
だが事前にスピードに乗っていれば、重力を無視したアクロバティックな動きによる目くらまし程度にはなる。
『では起動ボタンを押して二秒後に助走を始めてください』
『よし、行く!』
ロックを外しボタンを押し込み、二呼吸おいて廊下を真っすぐに駆ける。
すぐに体が軽くなり宙に浮いた。だが運動による加速度の方が凄まじい。
左足で踏切り右の壁を腕で弾き、体を反転させて左足で再び床を蹴り天井をそっと手で押し最後は武器の落下地点へ床をスライディングする予定だった。
しかし予想より一瞬早く重力が復帰して、床に強く叩きつけられた。だが、ほぼ予定通りに槍とハンマーを回収して俺は壁に右足を当てて停止する。
すぐに立ち上がると、左足に違和感が。
一瞬早く重力が復旧した影響で、落下の勢いで左足にダメージを負ったようだ。
『大丈夫、想定の範囲内です。試作品は立派に機能しました』
すぐにタコの脚がまとめて襲い掛かる。その足の一本を、俺はハンマーで床に叩きつけた。
『これで二本』
しかし左足のダメージは予想外に大きく、俺がバランスを崩す間に新たな触手が火花を散らし襲い掛かる。
俺は無傷の右側を軸足にして回転し、左の脚で触手を蹴って後方へ逃れた。
左の膝が嫌な音を立てて軋んだ。
二本の足を封じられたタコの動きは限定されているが、このまま放置して逃げるわけにもいかない。
今の杭がいつまで脚を押さえ切れるのか、わからない。
『三本目、行くぞ』
俺は左手に持つ槍を激しく突きながら、触手を牽制する。まだ脚を縫い付けていない側の壁に沿って動きながら、ハンマーを振り下ろす機会を狙う。
だがその単調な動きが読まれた。
壁を背にして上下右左と同時に攻撃を受けて、最後の一撃を撃たざるを得なくされた。
空中で捕らえた足の先は弾け散ったが、動きは封じられなかった。
残る弾は一発。
敵はまだ四本の触手が健在で、足先を失った二本が体を支えている。
俺は賭けに出た。
左手の槍を杖にして、何とか動きを止めずに触手を躱す。
残る一撃でタコの開きを作り、中央の口にプラズマ弾をぶち込む以外に勝ち目がない。
残る四本の腕のどれか一本でもこの左の壁に縫い付けることが出来れば。
再び背中を壁につけて、触手を誘った。
先端の電撃を槍で払い、太い脚が見えたところをハンマーで強打した。
『よし、三本目!』
左右の壁と床に固定した触手により、体全体がその場所に固定される。
次に俺はジャンプして大きく膨れた頭を蹴り、ハンマーで叩く。
後方へのけぞる体と共に、下部へ隠されていた口が横向きになって表れた。
着地してハンマーを銃形態に変化させると、すぐにゴンがその口へ向けてプラズマ弾を連射した。
高温の散弾により口の周辺が大きく割れて、八本の脚の付け根が裂ける。
うねうねと動く触手を、俺は更に残った槍で串刺しにした。
『もうこれ以上動く力はないでしょう』
ゴンの宣言で俺は膝をついた。最後の攻撃で左足は更に深い傷を負い、膝から下に力が入らない。
『この階層は、もう大丈夫です。まだ歩けますか、セイジュウロウ?』
『左脚に添え木を充てて膝を固定したい。その槍を抜いて材料にしよう』
俺は最後に使った槍をばらして、二本のステンレスの柄を膝の両側に当てて電線で縛った。
これで膝は曲がらなくなるが、何とか歩行は可能となるだろう。
『早く上の階層へ行かねば……』
ゴンが表示するこの上の階層マップ上には、人と怪獣を現す輝点が数多く入り乱れていた。




