現場
ワームの口から細く鋭い勢いで溶解液が噴き出るより早く、俺は近くに置いてあったアンティーク風のスツールを投げつけていた。
慌てていたので勢いは弱いが、噴き出す溶解液に向けて鋳物の腰掛が飛ぶ。溶解液は回転する重い鉄の椅子に散らされて、直撃はどうにか避けた。
ついでにワームの口に鉄の脚が当たり、多少のダメージも与えたように見えた。
すぐに俺は後退してガラスケースの後ろへ隠れ、更に近くにあった大きな鏡を引き寄せて盾にする。
噴射の勢いで割れさえしなければ、ガラス自体は溶解液に強いはずだと思ったのだが。
だが俺が十分距離を取ったことで、ワームは俺への興味を失くし、本来の目的である非常口の扉へ向かった。
『セイジュウロウ、ワームの首は左右と下へは素早く動きますが、上へ向くときだけは根元から大きくのけぞるように動きます。恐らく宙に浮いている重力管制の関係でそうなっているのでしょう』
つまり、上から接近して射撃するのが良いということだ。だがそのためには……
『ゴン、これから奴の体の上を駆け上がり、上から頭を撃つことにする。暴れるのを止めた今なら何とかできそうだが……どうだ?』
『やってみましょう。我々が近寄れないと奴が油断している今なら可能です』
俺は身軽にするため肩にかけたバッグを床へ下ろした。
破獣槌を銃型に変形して右手に持ち、左手にはいざという時のアンカー用にと、美玲さんが用意したステーキナイフを逆手に握った。
そのまま助走をつけてワームの背中へ飛び乗った。
このワームは反重力フィールドを体内に持っているらしく、背中に上がっても重力の異常を感じない。
『体内の上部に、飛行船のような形で浮遊するフィールドを持っているのでしょう。だから首を上方向へ動かすのが苦手なのだと思われます』
ゴンの説明に納得する。以前戦ったウミウシは体の周囲にまでゆらめく不安定な反重力フィールドを持っていた。が、それに比べれば重力が安定している分駆け上がるのは容易い。
既に口を非常扉へ向けて溶解液の発射態勢に入っていたワームは多少体をよじって抵抗したものの、大きく動かなかった。
俺は背中を蹴って瞬時に首に近づくと、ワームは体を回転させて振り落とそうとする。
俺は左手のナイフを首元に刺して体制を維持すると、銃口を首筋へ向けた。
その一瞬を逃さず、ゴンがすぐにプラズマショットを連射した。
溶解液を吐き出す直前に、ワームの首は爆散した。
ワームの体が崩れ落ちる。
俺はその背を蹴って、地上へ跳び降りた。
そのすぐ横へ、長い体が落下する。
ワームの顔部分は完全に破壊されて弾け飛び、周辺の壁と床が溶解液と散弾によりボロボロになったが、正面の非常口の扉は無事だった。
『結構やばかったな……』
肩で息をしながら、何とか俺は転ばずに着地していた。
周囲は飛び散った溶解液の発する白い煙が充満している。
『セイジュウロウ、この煙は体によくありません。早くこの部屋から出ましょう』
『ミミズは死んだのか?』
『はい。もう大丈夫です』
部屋にあるあらゆるものに溶解液が飛び散り、床や壁の高耐久コンクリートも溶けている。これを物理攻撃と併用されたら、ひとたまりもないだろう。
『今回の地下への侵入にはこれが使われた可能性がありますね』
こんな怪獣が他にもうじゃうじゃいたら、相当ヤバいことになるだろう。
この区画にいる怪獣は今ので最後だった。
俺は次の層へ昇るべく近くの階段へ向かう。
『上の層はどうなんだ?』
マップ上の現在位置だけでは判断できない混沌とした戦況である。
本来それには過去へ遡って記録を確認しながら検討し、こちらも最適なルートを予測しながら移動する必要がある。だが、そんなことはゴンの得意技だ。
とりあえず敵のいなくなったこの階層を最適なポントへ移動して、非常階段を昇ることになる。
『その前に少しだけ寄り道をして、この層で一か所確認したい場所があります』
ゴンが指示した場所、そこは広いレストラン区画で、手前は天井が高く池と緑の植栽のあるテラス席、後方は落ち着いた雰囲気で食事のできる2層の室内席になっていた。
だが、そこへ足を踏み入れた俺は異様な臭気に包まれる。
破壊されたテーブルや飲食物が散乱するが、原因はそれではない。
これは血の臭いだった。
倒れたテーブルの向こうの石畳に横たわる、白い腕が見えた。横にはワインのボトルが転がっている。
生存者がいるかもしれないとの期待を込めて駆け寄ると、そこは血の海の中に肘から先の腕だけがあった。
改めて周囲を見ると、床は一面血に濡れ、散乱する様々な衣類や荷物の間に、千切れた人間の手足が見え隠れしている。だが怪獣の死骸は見えない。一方的に蹂躙された跡のようだった。
どんな凄惨なことが起きたのかを考える前に、俺の目は屋内席の方へ吸い寄せられた。
照明が落ちて非常灯だけ灯った薄暗い店内はひっそりとしていて、動くものもない。だが依然としてそこからは、人間の気配が色濃く漂っていた。
討伐隊の訓練でも、怪獣の襲撃による過去の悲惨な場面を何度もVR空間で体験した。
俺たちの訓練がゲームではないことを知るために、目の前で隊員の肉体が引き裂かれ、業火に焼かれ、遂には自分も死に至るような場面も繰り返し経験した。
だがこれは、俺にとって初めての本物の戦場である。
ゴンの補正により精神の抵抗力と安定度は増しているはずだが、奥へ向かう俺の体は幽かに震えていた。
『奥からは生命反応がありません。生存者の気配も、怪獣の気配も』
ゴンが言うまでもなく、俺にもわかってはいる。だが、俺は自分の目でそこを確認しなければならないという思いに囚われていた。
店内は外よりもっと悲惨な状況だった。
テラスにいた客も含めて、大勢の人間がここへ追い詰められ、そして襲われたのだろう。多くの人間はここから既に去った怪獣の腹の中にいるのだろうが、前衛の虫やカニの類に戦いを挑み敗れた人々が、折り重なるように倒れている。
ざっと見ただけでも、十人を超える遺体が残されていた。
更に奥の階段を登りアッパーフロアへ向かう。
そこは更に高級なディナーショーでもやっていたのだろうか。豪華な飾りと色とりどりの照明、そして散乱する料理と酒の匂いをかき消す血の匂いに満ちていた。
奥へ奥へと追い詰められた人々が非常階段に殺到し、その手前で大勢が被害に合ったようだ。
その後、奥の階段へはかなりの数の怪獣が入り込んだのだろう。
だが今は、自動閉鎖機能が回復して扉は閉じている。下のフロアで俺が対した怪獣もここから来たものがいたのかもしれない。
『二階でも、二十人以上の遺体が残されています。多くは引き裂かれてひどく損傷しているので、セイジュウロウはこれ以上見ない方がいいでしょう』
だが俺は、本当に生存者がいないのかと二階の隅々まで探して歩き回った。
ゴンの言う通り、生存者は見つからなかった。
『なあ、怪獣に食われた場合の生還率は7割近いと聞いていたが、こうして見ると、ただ傷つき命を落とす人がこんなに多いのかと……』
『最近はここまで激しい戦闘はありませんでしたが、過去二回の大侵攻の時には死者の半数以上が、大怪獣による市街の破壊とS級以下との直接戦闘によるものでした。サバイバーとほぼ同数の死者がいたということです』




