研究室へ
複数のS級、SS級の怪獣が地下へ侵入したのは確実だ。だが索敵システムも迎撃システムも動作しない。多くの人はシェルターへ逃げ込んでいると思うが、戦況は不明だ。
本来地下街は、怪獣の侵入と共に水防を重視して、水密扉を各所に設けている。それを怪獣に突破されてしまったようだ。
都市のインフラが大元から死んでしまったが、その範囲すら不明。こんなことは1999年以来の出来事らしい。
俺の頭に、廃墟となっていた湯島駅の姿が蘇る。
『さて、ここは世界一のAIであるおまえの出番なんだろ』
『はい、もちろん』
『通信も遮断されているが、得意のダイレクトアクセスで全てのローカルシステムを制御下に置き、都市を支配しろ。人命を第一優先として、侵入者を排除する。俺にできることはあるか?』
『セイジュウロウは非常時の方が生き生きとして楽しそうですね』
『こういう圧倒的に不利な無理ゲーは前世のゲーマーにとっては当たり前、得意な分野だったからな』
『無理ゲーかどうかはもう少し調査が必要ですが、先ずは近くにいる侵入者を排除しましょう。その前に、美玲には先に動いてもらわねば』
ゴンがそう言うと、美玲さんが振り向いて俺を見る。気負いのない、穏やかな表情だった。
「私は通信の復旧作業範囲を広げるために、今から単独で動きます」
『美玲には、ワタシが直接指示します。ご心配なく』
『つまり、おまえたちはいつでも俺の知らないところで繋がっていたと……』
『当然です』
美玲さんは束ねた光ファイバーケーブルや工具キットの入ったカバンを抱えると、振り返らずに部屋を出て行った。
『この地下都市に使われている内装材は面発光する照明と各種センサーを組み合わせた複合材が中心です。形状はボードやパネル、壁紙、タペストリー、カーテンやタイルなど様々ですが、共通するのは全てのユニットが電源と制御用の端子で光学的、電気的に連結されていることです』
俺の理解が追い付かないうちに、ゴンが続ける。
『元々の設計は電力と通信回路の共通ユニット化によるコストダウンと安定化でしたが、その後無線通信技術の大幅な進歩により、多くの通信回路が利用されないままになっています』
いい加減な都市設計であることだけはわかった。
『それにタロスのAIを連結しローカルコントローラーの代替機能を持たせて中継すれば、安定した有線通信環境の再構築が可能でしょう。当然その他の建築材料や下地材、鉄骨や鉄筋、窓枠や装飾用のモールであろうと、使えるものは全て活用します』
俺に言われてもよくわからないが、そういうことらしい。
「あなたの武器の保管場所までは、私が案内します」
美玲さんに続き毅然とした表情のエルザさんが動いた。
俺は澪さんの手を握る。
「澪さんも一緒に行きましょう。研究施設まで逃げ込めば安全ですから、エルザさんと一緒にいてください」
「ほんとに、ダーリンは怪獣にもモテモテで困っちゃうよね」
澪さんも顔色は悪いが、やっといつもの調子を取り戻したように振る舞っている。
「では、当面の武器になりそうなものを集めましょう」
エルザさんの提案で、俺たちは美玲さんがキッチンで集めた包丁とナイフやフォーク、それにトレーニングルームからバーベルのシャフトやプレート、ダンベルなどのウエイト類を中心にかき集めた。
それを大きなダッフルバッグに詰めて俺が肩にかける。結構な重量だが、いざとなればバックパックとして背負うこともできる。便利なUSM支給のマルチバッグだ。
エルザさんと澪さんは、USM支給のプロテクターを装着して緊急避難キットを背負う。
俺も同じヘッドギアとベストを着て、最後に避難キットを一つバッグへ放り込むと準備は完了だ。
『研究所へ行き、エルザさんの制作した破獣槌の試作品を手に入れるのが先決だな』
『はい。では敵を排除しつつ武器の確保へ向かいましょう』
「よし、じゃあ行こうか」
『セイジュウロウ、そちらではありません。逆方向です』
マップの天地を逆にして表示したゴンのせいだと言いたいが、確かにマップが進行方向を向いているとは表示されていない。カーナビのマップとは違う、ゲーム内と同じ北が上の固定マップだった。だがゴン以外のアシスタントは接続が切れて、メモリーだけで地図を表示させているはずだ。
「俺の固有AIが進路の安全を確認しながら進みます。エルザさんは後ろでわかる限り進路を伝えてください」
エルザさんの指示をゴンが確認して、一つずつ障壁をマニュアル操作で開きながら徒歩で進んだ。
まだここまでのエリアに怪獣の侵入はない。エルザさんと澪さんが一緒の今は、極力戦闘を避けたかった。
『セイジュウロウ、既にこの下の階層に何体かの怪獣がいます。迂回して隣の区画から降りましょう』
マップ上の赤い輝点が怪獣の存在で、今下っている区画を降りると階段室の壁一枚向こうに怪獣がいることになる。探知されないよう離れた方がいい。
『わかった、案内してくれ』
「南へ迂回して別の階段で降下します」
俺の記憶にある建物の非常階段と違い、この都市の対怪獣防護壁は縦方向の移動制限が特に厳しい。簡単に階段を駆け下りることが出来ないのだ。
侵入した怪獣に進路を阻まれて、戦闘を避けるために迂回するケースが増えてきた。
それでも、避けられない場合もある。
『次の分岐を右に曲がるとSS級が二体います。セイジュウロウ、投擲で先制攻撃の準備を』
ゴンの指示で俺はバーベル用のプレートを二枚バッグから取り出す。
先行した俺がダッシュで廊下の分岐点へ向かい、右側十メートルほど先にいるクモとムカデ型の怪獣へ連続して鉄の輪を飛ばす。
狙い通りに二体の頭を瞬時に吹き飛ばした。
「今です。行きましょう」
その横を三人が駆け抜けた。
「うげぇ……」
頭の潰れた虫型怪獣を近くで見て、思わず口からうめき声が出る。
二体の姿は醜悪で、こんなに気味の悪い化け物に囲まれて食われるだなんて、想像しただけで気が狂いそうだ。
その後も何度かの戦闘でプレートとダンベルを使い果たすと、バーベルのシャフトを振り回して怪獣の手足を叩き切り、頭を潰しながら進んだ。
重いがある程度の柔軟性を持つこの鉄棒は丈夫で折れにくく、役に立った。クローゼットから外してきた鉄パイプは一撃で折れ曲がったのに。
『おい、ゴン。探知範囲が狭くなってきているぞ』
『大丈夫です。うちの娘たちが協力して築いた新しい接続に遷移します。あと数十秒お待ちください』
ゴンの言う通り、ローカル機器とタロスたちの作るダイレクトネットワークを中心として、新たな接続経路が生成されている。
『これは、極力無線通信に頼らず物質的に存在するあらゆるマテリアルを物理的な手段で強引に連結させる新しいネットワークです。恐ろしく非効率的ですが、非常に堅牢です』
ゴンの目論見を実現させるため、美玲さんが駆けまわっている。
『もう少し時間があればタロスからあらゆるローカルに埋もれた固定AIにネットワークが広がり、並行処理が可能になります。そうなれば、一気に都市を網羅する演算能力と通信環境が構築されるでしょう。』
ゴンが、また俺の理解が追い付かないことを説明し始めた。最後まで言わせてやらねば止まらないだろう。
『意図的に散りばめた生体材料を介すことで冗長性を高めて、電子怪獣の探知や怪獣が発するノイズに負けない重厚なシステムを育てている最中です。まさに生物の神経回路のような複雑な網目が東京の地下を立体的に覆い始めているのです』
『それは、おまえによる地下都市の汚染だな』
『なんてことを言うんですか』
『もしかして、最初から企図していたのか?』
『いいえ、まだ計画途上でした。でもこうなっては仕方がありません。さて、今からどうやって胡麻化そうかと思案中なので、少し黙っていてください』
俺は再び広くなった探知範囲を警戒しつつ、ルート上の敵を排除しながら進んだ。




