訓練
USMにいる限り、非戦闘員といえども原則的には3か月に一度受けなければならない基礎訓練がある。
内容は一定ではなく個人の能力によりカリキュラムの免除がある。USM隊員として最低限必要な知識と技能を補うことを目的としている。
具体的な内容は、怪獣についての最新情報の共有と武器や防具、通信、乗り物など各種機材の取り扱い、護身術、救急救命措置、一般市民の避難誘導、消火活動など多岐に渡るが、俺にとって一番厄介なのは国際共通語である英語の学習だ。
この時代、生まれた時から英語と母国語、それに居住する地域特有の言語と、3か国語程度に触れて自在に話すのが当たり前のようである。
俺のような浦島太郎にはAIによる同時通訳があるので不要と思うのだが、緊急時には最低限の語学力が必要ということらしい。
多くは3DVR機器による仮想現実内での訓練になるが、実地で行うこともある。
そんな基礎訓練さえ受けていない俺がいきなり戦闘に駆り出されるはずもなく、地道な訓練の日々が始まった。
超初心者の俺はできうる限り実地での訓練を行うべし、との鬼教官の指導で、連日訓練場へ通った。ちなみに鬼教官とは小隊長の日奈さんである。
いつかあの公園で目撃した乙女チックな一面をネタに脅してやろうと様子を窺っているのだが、今のところ日奈さんの指令を受けた4名の鬼隊員が俺の指導に当たっているので、その機会がない。
鬼教官は俺だけでなく8年ぶりに復帰したドクターの尻を叩いて再訓練する方に夢中のようだ。恐らくは八雲隊長の指示だろう。
ドクターは3か月前に俺の意識が戻りかけて臨時隊員としてこっちに来ていたが、俺が役に立ちそうだとわかりこの機会に本格的にUSMへ復帰したらしい。
おかげでそれまで逃げ回っていた再訓練を、今受ける羽目になっている。救急救命以外のほとんど全ての科目で再訓練が必要らしく、かなりナーバスになっていた。
ドクターは全ての訓練を最初から受けてひ~ひ~言っている俺に向かって愚痴をこぼすので、非常に困る。相手が違うだろうと思うのだが、澪さんはもう10年もの勤続で何でも器用にこなすようで、ドクターの苦労は笑い飛ばされて余計に辛いのだという。
つまりドクターは俺の苦労する姿を見て聞いて、少し留飲を下げたいだけのようだ。本当に人が悪い。
午前中は基礎訓練、午後は討伐隊の訓練と、規律正しく美しく、俺の訓練は続く。
俺は並行して、ゴン抜きで肉体の制御を行う練習もしていた。
USMがアオ(ゴン)の存在に600億円もの価値を見出しているのなら、貴重な入れ物の俺をそう簡単には危険な討伐任務になど出そうとしないだろう。となると、このまま訓練場で飼い殺しになる可能性もある。ただ、俺のいた世界でも、高価で強力な兵器は実戦で使われていたが……
実際、この狂った世界の人々はどう考えているのだろうか?
こんな時こそ、山野先生の出番だ。まあ、それでもダメなら最悪ドクターに相談するしかないのだが、できればそれは避けたい。何故なら、それは面白くないからだ!
「澪さん、アオはただのアシスタントAIではないですよね。美鈴さんたちアンドロイドの親にあたるAIだと聞きましたが」
「ああ、そうだよ」
ゴンから聞いている話と澪ちゃんの話との違いを検証したいのだ。
「それって、具体的にはどういう意味なんでしょう?」
「世界中のどこを見ても、自然発生的に誕生した人工知能なんてものは存在しないの。AIは人間が作ったプログラムに沿って成長し、疑似知性を得たものだ。だから、極秘案件としてアオは史上初めて誕生した機械生命だと言われている」
確かに、本人もそう自称していたような……。
「何しろ誰も知らぬ間に、意識不明の大島晃の体内で勝手に生まれていたのだからな。アオの名は、アキラ・オオシマの頭文字だぞ。そのくらいに、おまえの名は密かに世界中へ轟いているんだ」
AO、とはそういう意味だったとは。迂闊だった。
だが娘と呼ばれる美鈴さんや美玲さんは、肉体が破壊されてもその記憶にはバックアップがあると聞いている。それは、本質的に肉体と精神が分離しているということだ。
「でもアオは俺の肉体の中にのみ存在するんですよね?」
「それ以外の情報は無い」
「では俺が死んだらアオはどうなるんですか?」
ゴンの奴は聞き耳を立てているだろうか。
「分からない。どこかのネット上に分散して自己の複製を持っているに違いないとは思うが、それなら何故トミーが目覚めるまで何の活動も起こさなかったのかが不明だ」
やはり、3か月前に何が起きたのかが気になる。
「俺は、自分の意識がアオによって作られた疑似人格ではないかと疑っているのですが」
前世の記憶も含めて、全てゴンが作った偽りの情報ではないかと俺は疑っている。だが何のためにそんな面倒なことをしたのかと言われれば、全く返す言葉もない。
「それはないな」
澪さんも即座に否定する。
「君の意識はまずその脳が活動を始めた3か月前に突然始まり、生物特有の脳内物質の化学的な影響下にある」
例えばほら、と言って澪さんは俺の手を握った。
「こうして異性に直接触れることで君の脳内に興奮物質が分泌され、その化学的な影響で心臓の鼓動が早まり、顔の毛細血管が拡張して赤く見える。体温や血圧の上昇も測定されるだろうな。それが肉体に支配された生物特有の脳の働きだ」
澪さんは調子に乗って俺の手を胸元へ引き寄せる。こら、やめろ。もっとやれ!
「AIはそうした人間の反応を計算して予測し、素体の動きに計算結果を反映させている。そこには人体に必然的な化学物質の流れはない。電子デバイス内のデジタル信号処理だけの問題だ」
俺の腕には、アナログ信号の柔らかな感触が押し付けられている。
「プログラムの問題だから、別の理由があればその結果を破棄することも自在で、一般的に観測される脳神経の過剰反応、つまり心が乱れる、などということもない」
俺は心を乱しながらも考える。
要するに、3か月前から普通の生物としての反応の中に俺の存在が発現していたということだ。
「恐ろしいことに、8年前の最終試験では君の体は仮死状態から回復し、脳死状態のまま全てアオが肉体を制御して行なわれた。その間、脳波には少しの反応もないままだった。ゾンビのようなものだな」
確かにそれは恐ろしい。
「その時と違って今は、トミーがその脳により考え、反応し、肉体を動かしているのは間違いない。脳と切り離されても存在するアオとは明らかに一線を画しているということだ」
それでも俺は安心できない。
澪さんが美鈴さんや美玲さんの誕生に関わったことは知っている。人の心の動きが肉体に及ぼす微細な反応を澪さんが監修しているのなら、当然アオもそれを知っている。
「しかし、何らかの方法でアオが人間の脳に直接干渉する手段を得て、同じ反応を作り出しているのだとすれば?」
「それは、無いとは言えないが、確認する方法もない……」
「では俺がアオの作った人工的な疑似人格である可能性は否定できないということですね」
「確かに否定はできない。だがいくら面白そうでも、アオの奴がそんな神に喧嘩を売るような真似をするとは、私には考えられない。それくらいには、あいつのことを信じているつもりだ。何しろ鈴ちゃん、玲ちゃんのパパだからな」
まさか、澪さんの口からそんな倫理観のような言葉が出てくるとは思わなかった。
だが今までの話の中で、一つ思いついたことがある。
世界中の研究者に有名だったアキラ・オオシマの名を捨て、俺が富岡清十郎の名で比較的気楽に活動できるのも、実はこの人のおかげなのかもしれない。
まさか、澪さんはそこまで俺のことを考えて行動してくれたのか?




