黒幕
澪さんが遠隔で目をつけた黒幕は、USMの林という法律家だった。
2月に上野の欠員を埋めるために中央支部から異動して来て、赴任早々雛祭り侵攻に遭遇し運悪く怪獣に食われた。
討伐された怪獣の体内から救出された後には、肉体も精神も徹底的な検査を受けてから復職している。
偽物に入れ替わったのだとすればその後、ごく最近のことだろう。
もし林が人間だとすれば、わざと怪獣に食われて、組織の信用を得た可能性もある。
だとすれば、相当に肝の座った人物である。
だが、俺たちは本人ではないと踏んでいる。林は既に充分な信用のある人物で、そこまでする必要はない。
だとすれば、グランロワは、いや観測者は、怪獣が食った人間の素性をある程度識別し、記録しているに違いない。
直近で怪獣に食われた人間の表層記憶を利用して、人間そっくりの怪獣を潜入させている可能性が高い。
林がもしテロリストの一味だとすれば、潜入先で怪獣に食われるような間抜けな事態を避けて上手に立ち回っているだろう。
俺が想像するに、本来の林氏には上野の住民と同じ阿呆の血が流れており、のこのこと怪獣を見物に行って食われたのではないだろうか。
内部記録によると、自ら望んで最前線の上野へ赴任して来た男である。
彼がテロリストなら、せっかく潜り込めた皇居の職場から動く理由がない。
現在、林はUSMビル内の居住区に住んでいて、滅多にビルの外へ出ない。俺たちも危険を承知で、USMビルへ入る必要があった。
まあ、その辺はゴンと澪さんの能力で、どうにでもなる。
何しろ、最高難度のバイオセーフティレベル6をクリアした我々だ。
狙いは、昼食時間の食堂である。
映像による監視では、林は毎日決まって12時半に一人で低層の第一食堂まで降りて、昼食を取る。
フロア全部を使った広い第一食堂の東の窓際の席が、林の定位置であった。
そこから一番遠い席で、俺たちは林が来るのを待っている。
時間通りに林が現れて、トレイに乗せた昼食を持ち一人でいつもの席に座る。
澪さんは真剣な面持ちでその姿を目で追って、その心を見ようとしていた。
『あの男、人間そっくりに複製された怪獣だけど、最新の林の記憶を持って行動している。そう、表面だけはね』
やがて確信したのか、俺の頭の中に澪さんの声が響いた。
『ビンゴ、ってところですか』
『そうね。ちょっと見では、清十郎のように表層の意識しか見せないの。だから、私がもし近くで突然本人を前にしていたら驚いたでしょうね。清十郎のような人間が他にもいるって』
澪さんから見ても、簡単に怪獣に見えないというのは凄い。
『でもあの男は、その奥に怪獣と同じ心を持っている。間違いない』
やはり、観測者の送り込んだ人型の怪獣、というところなのだろうか。
『最近分かったんだけど、清十郎は単に考えが浅いだけだったんだよねぇ』
澪さんが、これ見よがしに大きなため息をつく。
『そんなことありませんよ。俺を何だと思ってるんですか!』
俺のことはともかく、あの林という存在は、なかなか巧妙に怪獣の心を隠しているようだった。
『あの男も林という人間の意識を、ほんの表層だけしか持っていないのよ』
あくまでも人間に似せた怪獣と思っていたが、ドクターが知ればその組織を調べたくて気が気でないだろう。
『待って、何か会話のようなことを始めたわ』
見た目では、普通に窓の外を眺めながらカレーライスを食べているだけに見える。
『もしかすると、あの窓の部分に何か細工がしてあって、眼下に広がる湿地帯に隠れた中継者と定時連絡をしているのかも……』
『内容は、わかりますか?』
『ちょっと待って……拘束中の私たちに変化がなく、次の侵攻までこのまま待つ……次に怪獣の群れが街へやって来るのは……もう少し先のようね……』
『次の侵攻だって?』
『うん、たぶんそういう意味のことを伝えていると思う』
林の不審な行動はそこで終わり、後は何も考えずに食事を続けている。
『確かに、林は入れ替わるのにはうってつけの人物なのよ』
林は2月に本店(皇居のUSM日本中央東京支部と区別して、同じ場所に置かれているUSM日本本部をそう呼ぶ)から異動して来たばかりで、上野には知り合いが少ないが身柄はしっかりとした保証付きだ。
しかも3月に怪獣に食われて徹底的な検査を受けて、業務に支障なしとして復職したばかりである。
『それを、再度どこかで怪獣に襲わせて、上手く入れ替えたのでしょうね』
『本物の林は、今もどこかに隠れている怪獣の胃の中で眠っているとか……』
『でも、今後も観測者が上野で何かする場合には、きっとあいつを経由するはずよ。毎日の定時連絡を含めてあいつをマークしていれば、観測者の動きがわかるでしょう』
あとは、アジトから遠隔で監視をしよう。
『でも、他にもあんなのがいないか、私は雛祭り侵攻の生還者を中心に調査を続けたいわ』
『なるほど。ではこの後二人でその調査に行きましょう』
『その間にワタシがミスターハヤシの遠隔監視を引き受けます』
『おお、珍しくAIらしい仕事じゃないか。しっかりやれよ』
『お二人もデート気分で遊んでないで、しっかり仕事をしてくださいよ』
『で、デートなんかじゃないもん』
頬を染める澪さんが、抱きしめたいほど愛らしい。
『清十郎、そういうのは余計に恥ずかしくなるんで、もういいから!』
それは、いちいち俺の思考を読むからでしょ!
それから俺たちはUSMビルを出て地上に降りた。
公園のベンチでゴンが提供した雛祭り侵攻の生還者リストを元に、確認すべき人物を優先度順に絞り込む。
今回の潜入で澪さんが目視確認できたUSM関係者と、まだ入院中の重症患者をリ外の最後に置く。
一番多かったのが日奈さんたち討伐隊のメンバーだが、それはある程度チェック済みだ。
それから、一般市民のうち影響力の低い面々、例えば体の弱い年配者や子供などをその前に置く。
それでもまだ100人近い人物が残る。
それくらい、あの日の生還者は多い。
一般市民の中から、USMの予備役と守備隊や実際に戦闘に参加していた人々をピックアップして、最優先グループに残す。
これで半分以下になる。
澪さんと二人でリストを眺め、そこから不要と思われる人物を優先順位の下位に送り、残った人物の現在地をゴンに調査してもらった。
あとは、近くにいる順に片端から澪さんに目視して貰うことになる。
その日の夜までかかってリスト上位の人物を澪さんが直接確認した。結果、特に不審な人物は発見できなかった。
だが、まだ安心はできない。
同時にゴンは、地下都市のどこかに隠れている可能性のある怪獣を追っている。
『雛祭り侵攻の生き残りがどこかに潜んでいるという考えには、充分に信憑性があります。例えばあの増殖する卵のような形態を利用するなど、未知の方法も考慮して調査を続けます』
『行方不明者の特徴とか共通点とか、何かわかったのか?』
『いえ。地下深い階層を中心に、タロスや第一世代アンドロイドの周辺で何かが起きているとしか、今はまだ……』
怪獣かそれに準じた怪物が、タロスやアンドロイドの周囲に出没しているらしい。
地下深くで、何が起きているのか?




