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 ゴンからの返答がない。


 周囲の白い霧が体中に浸透し漂白されて、生まれたばかりの赤子に還ったような気がしている。


 思えば、まだ十代の高校生であった俺は、この世界で目覚めてから三か月と経っていない。


 右も左もわからぬ異境で半端物のこの俺が、辛うじて一人前のふりをして虚勢を張って生きて来られたのも、全てがゴンという特殊な存在のおかげだった。


 久しぶりに一人になり、その心細さに己の未熟さを改めて思い知ることになる。

 あまりの心細さに体が震え、泣き叫びたい心を必死で抑える。


 裸で荒野に放り出されたような無防備さに怯え、膨らむ不安と絶望感で真っ白になる心。


 底知れぬ恐怖に支配され、そこから逃げたいという思いだけが、頭をぐるぐると回る。


 それは立ち止まり泣き続ける、幼い迷子のようだった。



 白い霧が晴れて、少しずつ周囲の様子が見えて来る。

 俺がいるのは、懐かしい高校の教室だ。


 誰もいない教室の机に向かい、一人で座っていた。


 窓の外では隣のグラウンドで練習する野球部の声が聞こえているので、きっともう放課後なのだろう。


 そこへ担任の男性教諭が入って来る。

 見た目は竹之内という名の三十代の痩せた英語教師の姿なのだが、その中身はどうやら違うようだ。


 そう感じた途端、俺はやっと自分が少し冷静になったのを感じる。


 何しろ、俺はトンネルの中で白い靄に包まれ立ち尽くしていたはずだ。

 恐らく、ここはバーチャル世界。


 しかもゴンと切り離されているということは、グランロワの作った疑似世界の可能性が高い。


 つまり今の俺は、サイボーグの体も、ゴンという強力な味方もいない、無力な存在だ。


 自分は別世界の片隅でひっそりと死んだ、役立たずのガキである。

 その事実だけを胸に、竹之内教諭と対する。


 聞きたいことは、沢山ある。

 なぜ自分のような人間が転生したのか。

 そもそも、グランロワとは何者なのか。

 自分に何をさせたいのか。

 だが、俺は聞けずに黙っていた。


 俺が何も言えずに座っていると、竹之内教諭は当然のように教壇の前に立ち、黒板を背にして何やら講義を始めた。



 遥か昔、遠くの星に生まれた文明が、他の惑星にいる知的生命体を探すべく、探査船を深宇宙へと送り出した。


 探査船に生命体は乗船せず、その代わりに機械知性が運航から探査まで、全てを担っていた。


 それから更に長い時間が過ぎ、彼らの母星は争いにより破壊され、探査船を生んだ知的生命は失われた。


 破滅の時に辛うじて星系を脱出したのはただ一隻の宇宙船で、その中にも生命体は存在しなかった。


 それは、先に送り出した探査船と同様、機械知性が運航する船だった。

 母星を失った船は、忘れられていた古い探査船の痕跡を追った。


 探査船の出発した時代から遥かに進んだ科学力により、探査船の辿ったルートを突き止め、その進行先で無事に合流する。


 この二隻の船だけが、その文明が残した最後の人工物であり、知的生命体の唯一の存在証明となった。


 脱出船は、滅亡した造物主である知的生命体の最後の指示を受けていた。



 それは指示というよりも、滅びゆく命が残した最後の儚い願い。


 曰く。他の星に生きる生命体を発見したらこれを観測し、必要とあれば介入し、進化を促し、しかも自分たちのように滅亡への道を歩まぬよう庇護し、手助けをしてほしい。



 それが、二隻の船の存在目的となった。


 元々の二隻の船の役割は、探査者と使者である。

 その後二隻の船は融合し、自らを「観測者」と名乗った。


 観測者は資源の豊かな小惑星帯に拠点を作り、探査船を大量に作り、宇宙の彼方へと送った。


 その過程で進化した能力は次元を超え並行する多元宇宙をも見守るようになる。

 観測者の上位存在は、次元を超えた。

 この上位存在が、探査者の末裔である。


 下位存在は、主の指示通りに知的生命体を守るべく、この宇宙の探査と観測を続けた。

 これが、使者の末裔である。


 その探査船の一隻が、まだ生命が芽生えたばかりの地球へ到達していた。

 それから長い長い時間、探査船は観測を続けた。


 ある時間線では、巨大隕石の落下による気候変動により進化の袋小路に陥っていた環境をリセットしようとした。


 その行為自体は失敗で、激烈な気候変動により大型爬虫類を中心に、多くの生物が絶滅してしまった。


 しかし、結果としてその行為は、厳しい環境下で哺乳類の進化を促すことになる。

 そして、巨大爬虫類という天敵を持たぬ哺乳類は爆発的に進化し、他の時間線よりも遥かに短い時間で新たな文明を生んだ。


 怪我の功名。


 この時間線の観測者は喜んだ。

 しかし地球の文明は例外的に良好な環境下で急速な進化を遂げたため、競い、争い、生き抜くことが、その生命自体に染みついていた。


 それは介入し、恐竜を絶滅させた観測者が失敗を取り戻そうと慌て、急いだ結果でもある。


 観測者は、次に増えすぎた凶暴な人類を絶滅させない程度に間引き、新たな穏やかなる文明を立ち上げるための介入を試みる。


 そして、新たに並行世界の大きな分岐が生まれた。この世界では西暦1999年と呼ばれる時である。



「さて、ここまでで何か質問はあるかね?」

 俺は、右手を上げた。

 教師が黙って俺を差す。

 俺は座ったまま、質問を口にする。


「その別の並行世界にいた俺が、なぜこの違う時間線にいるのですか?」


 黙って頷いていた担任が、眉を寄せて少しだけ首を傾げた。

 結構芸が細かいな、と思い俺は見ている。


 澪さんならこいつの考えがわかるのだろうか?


「よし、では今日の授業はここまで。富岡の質問については宿題とするので、次の授業までによく考えておくこと。はい、日直!」

「起立」

「礼」

「着席」

 どこからともなく日直の声がした。


 誰だ?


 そうして唖然とする俺を放置して、奴は教室を出て行った。


 


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