女神降臨
宴は日が暮れて益々にぎやかさを増す。
今夜は遠慮なく村中に照明が灯り、桜の木がライトアップされる。
『セイジュウロウ、気付きましたか?』
『ああ、囲まれているな』
『私にもわかるわよ』
澪さんも感じている、村を包囲した小型怪獣の群れ。
雷獣を退治してから、村を守る電気柵は通常通りに稼働している。
その柵の外側を交代で巡回し警戒に当たっているキャラバンのメンバーは、まだ怪獣の接近に気付かず、接触もしていない。
いつもとは違う、戦意なく臆病な草食動物のように寄り集まる、数十の怪物の群れ。
時間をかけて移動して、人間の見張りからは距離を置いて怪獣は足を止める。
『電気柵のせいで近寄らないんですかねぇ』
不思議と慎重な動きに、俺は首を傾げざるを得ない。
『何かを求めて集まったのは間違いないんだけど、殺気立った気配はないのよ』
澪さんも、その意図を計りかねている。
『恐らく人間の存在を感知してやって来たのでしょうから、もっと攻撃的な行動を取るのが普通ですが……ワタシにも何か普通でないことはわかります』
『また清十郎さんを狙って集まった、という感じではないんですか?』
『そうね。それならもっとこう、抑えられない衝動みたいなもので行動していると思うんだけど、全体に覇気がないというか、闘争心に欠けるというか……』
澪さんの言うように、俺も何となくわかる。森に捨てられた子犬が人里に集まるような、そんな寂しげな雰囲気を感じている。
『でも、闘争心は感じられなくても、これだけの数の怪獣に囲まれていることが発覚すれば、村中大騒ぎになるよね?』
『澪、何とかなりませんか?』
こういう時のゴンの無茶振りは自分に関係なければ嬉しい。
『まあ、どうなるかわからないけど、ちょっとやってみようか』
そう言うと突然、澪さんがその場で立ち上がり、歌を唄い始めた。
小さい体から発せられているとは思えない声量の低く唸るような声が響き、次第に音階を上げていく。
やがてそれは一つのうねりのようなメロディーになり、荘厳な雰囲気を奏でる。
『これって、讃美歌ですか?』
『いいえ、テンポが少し遅いですが、澪さんの好きなポリネシアのダンス音楽に似ています』
そう言って、美鈴さんが後を追うように脇にあった木の丸椅子を抱えた。両手で静かに木の座面を叩いて、スローテンポのリズムを刻む。
何だか知らないが、気持ちいい。
心が落ち着く。
南太平洋の明るいリズムをぐっとスローにして、グレゴリオ聖歌風に澪さんがアカペラで優しく歌う、謎の音楽体験だ。
騒いでいた酔客が次第にその歌声に耳を奪われ、周囲の言葉が消えていく。
静かな夜空へ、澄んだ歌声が吸い込まれる。
『歌詞は色々な国の言葉が混ざっていて、単語が幾つか聞き取れますが、全体の意味は不明ですね』
ゴンも知らない歌のようだ。
「ああ、これは一度聞いたことがあります」
美鈴さんが記憶の隅から何かを発掘したようだ。
「これは以前、澪さんが子供の頃に母親のMAOさんが毎日歌ってくれた、オリジナルの子守唄なのだと聞きました」
南太平洋諸島連合大使館のある澪さんの家へ遊びに行ったときに聞いた歌だという。
美鈴さんは、澪さんの親族と一緒にこの歌を聴き、歌ったことがあった。
森に流れる澪さんの歌声。
美鈴さんが刻む、気だるいリズム。
酔客は次第に頭を垂れて、船を漕ぎ始める。
そして、固まったように立ちつくし、黙ってその歌に聞きほれる数十体の怪物たち。
村の周囲を警戒していたキャラバンのメンバーが、遅まきながら周囲の異常に気付いた。
その報告が、すぐに澪さんの歌う中央広場にも伝わる。
村を囲んでいる多くの怪獣たちの存在が、改めて幹部へと伝わった。だが、それで恐慌を来たす者はいない。
ただリラックスして、そのまま澪さんの歌に聞き入っていた。
やがて、その場から踵を返して穏やかに散って行くモンスター。
それは、森の主たる雷獣を失くし新たなる命令を求めて彷徨っていた中小のモンスターを解き放ち、再び森の奥へ返すおまじないだったのか。
穏やかに意識が遠のきながら、聞きほれる人々。
眼を閉じてそのまま眠る人。
知らず知らずのうちに大量の涙を流し続ける人。
感情が抜けたように呆けて、トランス状態に入る人。
隣人と抱き合う人。
顔の前で手を合わせる人。
土下座をして祈る人。
天を見上げて涙をこらえる人。
奇跡の夜。
怪獣たちが全て森の奥へ帰った後、歌声が止まる。
「ゴメンね、みんな。眠くなっちゃうよね。飲みなおそうか」
澪さんの言葉を合図に、宴の第二部が静かに始まる。
「あっ、でもあの集まった怪獣を全部やっつけていれば、いったい何億円の儲けになっただろうね。それに食っても美味いし、逃がすんじゃなかったわー。くそー、しくじったなぁ……」
再び涎を垂らさんばかりの顔で、澪さんが悔しがっていた。
誰もリアクションが取れずに、茫然と澪さんの姿を見つめている。
たった一言で美談が全て台無しになる、空しい夜でもあった。




