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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第四章 恋人は脱獄犯

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九話 悪魔とアリスと監視と胡椒

「ごめんなさいって答えたわ。彼は私にとって大切な家族だから、乞われても恋人にはなれないもの」

「そうか」


 ダークの瞳から怒りにも似た感情が消えた。

 独占欲はありながらも、親愛との分別がついているから、ダークは、ジャックのように暴走しないのだろう。


「ジャック君が、君たちに内緒でイーストエンドに通っていた理由は、だいたい分かった。しかしながら、脱獄してまで渡しに来るとは。思いきったね」

「脱獄はジャックの意思ではないわ。鏡の悪魔に導かれたそうよ」


 ジャックがすり抜けた鏡は、私の寝室に繋がっていた。脱獄する気がなくても、牢屋を出るように仕向けられていたのだ。


「殺人現場に残されていたメッセージといい、今回の脱獄の手引きといい、ジャックを狙って破滅させようとしているみたいだわ」


「名前が『ジャック』だったから、では済まされないくらい恣意的だね。どうして番犬君が狙われているのだろう。鏡の悪魔は、切り裂きジャック事件の真犯人と、どういった繋がりがあるのだろう……」


 ダークは、ガラス片に混じって散らばるカップの欠片を、ステッキで突く。

 青いエリジウムの花は無惨に欠けてしまっている。


「俺をロンドンに引き留めた理由も何なのだろうね。そのおかげでリデル男爵家とは仲良くなれたし、皮肉にも今晩はアリスを助けられたわけだが……。うん?」


 自分で言って気になったらしく、ダークは小首を傾げる。


「鏡の悪魔は、ひょっとして俺の恋を応援してくれているのかな?」

「そんなくだらない理由のために、ロンドンを囲む術をかけたというの」


「するかもしれないよ。だって相手は悪魔だ。道理に適っていなくても、そうしたいならそうする。欲しいものを手に入れないと気が済まない衝動は、俺も実感としてあるからね」


 青い瞳が怪しく光る。私を見つめる表情は愉しげだ。

 こういった顔を見せられると、どれだけ優しい人でも本性は悪魔なのだと思い知らされる。


 それを怖いと思わないのが、『アリス』の悪い部分だ。


「……その悪魔は、絶対に見つけ出すわ。ジャックを巻き込んだことについて、土下座を要求しないと気が収まらないもの」

「ドゲザというのは、なんだい?」

「東洋の国の伝統芸能よ。サムライとハラキリの他にも色々あるから、あとで教えてあげるわ」


 立ち上がろうとして、私は困った。ベッドに寝ていたところを運ばれて来たので、靴を履いていない。素足で歩こうものならガラス片が突き刺さってしまう。


「ダーク、送ってくださる? リデル男爵邸まで」

「よろこんでお送りするよ、マイレディ。それとも、お姫様の方がいいかな」


 ダークは、私をお姫様だっこすると十字架に背を向けて歩き出した。ステンドグラスがはまっていた窓から吹き込む夜風に、私の鼻がむずっとした。


「くしゅん! ……また?」


 ふわりと薫った胡椒の匂いに、私は気づき始めていた。


 どうやら、胡椒の香りを漂わせている何者かに、監視されているようだと――。



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