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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第四章 恋人は脱獄犯

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七話 推しの好きな人

 ジャックは私から取り上げたカップを床にたたきつけた。

 古い陶器は粉々に砕けて、青い染料で描かれたエリンジウムの花が散らばる。


「婚約話は、薔薇の悪魔を陥れるためだった。それなのに、あいつは眠り姫事件が解決してからもお嬢を恋人扱いした。女王のせいで社交界にも噂が広まった。このままいけば、お嬢は無理やりあいつの花嫁にさせられる。リデル男爵家から奪われる。そんなの見てられるか!」


「落ち着いて、ジャック。私は、リデル男爵家を投げ出して結婚する気はないわ。それはダークも分かってくれているの。男爵位を廃さずにすむ解決方法が見つかるまでは、このままでいようって話し合っているのよ。結婚を強行されそうになっても、私が『誓います』と言わなければいいんだから――」


 安心させようとする私を、ジャックが鋭い瞳で見つめてきた。


「本当に、言わないか。ナイトレイがリデル邸に現われると、あんなに嬉しそうな顔をするのに?」

「!」


 とっさに私は自分の頬を押えた。家族の前では、ダークへの感情を見せないように努めていたけれど、そんなに表情に出ていただろうか。


 ジャックは悔しそうに歯をかみしめる。


「お嬢は、ナイトレイ伯爵が好きなのか?」

「ち、」


 違う。そう告げるだけでいいのに、私はどうしてもその一言が言えなかった。

 脳裏をかすめるのは、シャロンデイル・ガーデンズのお城で交わした約束だ。


 ダークは私を望んでくれた。

 重たいリデル一家の歴史を背負う私を、夜のなかでしか上手く生きられない私を、普通の令嬢と同じだと言ってくれた。


 真摯な瞳に私だけを映して、たくさんのものを与えてくれるダークを、嫌えるはずがなかった。


 何も言えなくなって口を閉じる私に、ジャックはか細い声で明かしていく。


「……オレは、お嬢が死ぬまでリデル男爵家の当主でいてくれると信じていた。お嬢のそばにいられるなら、この想いは封じておこうと決めていた。でも、もう無理だ。ナイトレイと一緒にいるお嬢を見ると、心臓が燃え尽きそうになる。そのたびに、自分の体の内側が焦げる匂いがするんだ。ずっと、ずっと、くるしかった……」


 辛そうに吐露したジャックは、私の右手をとってひざまずいた。一途に見上げてくる姿勢は、姫君に忠誠をちかう騎士ジャックのようだ。


 大人びた表情に戸惑う私に、彼はたった一言、

「好きだ」

 と、告げた。


 目を見開いて驚いていると、ポケットから取り出した指輪を薬指にはめられる。

 星明かりに光るのは、イーストエンドの宝飾店で見たアクロスティックのデザインだ。


 並ぶ宝石は、ダイヤモンド、エメラルド、アメジスト、ルビー、エメラルド、サファイア、トルマリン――頭文字をとると『DEAREST《最愛の人》』。


(あ……)


 集めてきた情報が一本に繋がって、私はぼう然とする。


 ジャックは確かに恋をしていた。

 秘密裏に行動していたから、相手は私の知らない誰かだと思っていたけれど、そうではなかった。


 彼が自力で指輪を贈りたかった相手は、『アリス』だったのだ。


「っ」


 私の目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。


 ジャックから想いを告げられるのが夢だった。ただのプレイヤーだった前世から、ずっと彼は私の推しで、憧れだった。


 願いが叶ってこんなに幸せなことはない、はずなのに……。


 私の心は、前世のようには、ときめかなかった。


 今の私が求めるのは、ジャックではない。

 月の光を編み込んだような銀髪に、過剰に装飾した帽子を被らなければ屋敷から出られない、寂しがり屋の悪魔なのだ。


「ごめんなさい……。ごめんなさい、ジャック……」


 私は、彼の手から右手を引き抜いて、泣き顔を両手でおおった。


「私は、あなたが大好きよ。この気持ちは嘘じゃない。だけど、私の心は、もう――」


「ここか」


 立て付けの悪い扉を押して、聖堂に一人の男性が入ってきた。

 長く伸びる影のてっぺんには尖った角が生えている。


 驚いて二度見すると、角のように見えたのは、帽子に巻いたリボンの輪郭だった。


「ナイトレイ……」


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