五話 真夜中に逢いにきて
「三人とも、ゆっくり休むんだよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
ダークに馬車でリデル邸まで送り届けてもらった私は、リーズに双子を託して自室に入った。
ネグリジェに着替えて手早く寝る準備を済ませてしまうと、お守り代わりのジャックのサーベルを枕元に置いてベッドに入った。
(やけに疲れた一日だったわ)
ダークを公文書館に誘ったのは正解だった。彼の知り合いであるビル・トレヴァー判事がもたらしてくれた情報は、確実にジャックを助ける手がかりになる。
シャロンデイル公爵が不倫していたのには驚いたし、不倫相手が事件の被害者であるのも意外だった。
しかし、公爵と被害者の繋がりが見えたおかげで、彼がなぜイーストエンドにいたかの仮説が立った。
公爵は、探られたくない事情により、ホワイトチャペルの現場付近にいた。
そして、捜査を攪乱する意図を持って、ジャックを目撃したと証言したのだ。
ドードー警部は公爵の狂言に乗っかった。その結果、あわれなジャックが容疑者として捕らわれている。
事件の真犯人は分からないし、二人目の被害者は見つかっていない。けれど、諦めるには早い。
まだまだ知らない情報がたくさんあると、トレヴァーと出会って分かった。
裁判に乗り込んでジャックの無実を証明するために、出来ることはあるはずだ。
(待っていて、ジャック)
ランプの明かりを落として目を閉じると、部屋の中に淀んでいた夜の闇がいっそう濃くなる。たゆたう闇は、白浜の砂のように運ばれて、私の肌へ溶け込んでくる。
暗がりに安堵するのは、私がリデル男爵家の血を受け継ぐ『アリス』だからだ。
大英帝国の歴史に寄り添うように、正攻法では裁けない罪人を処刑してきた一族の血は、任務を遂行する夜に馴染むよう進化してきた。
「――う」
私の髪と瞳は血の色。
公爵夫人は、婚約披露パーティーにダークの瞳と同じ青いドレスを勧めてくれたけれど、本当に似合うのは漆黒だ。
私のワードローブは黒い服で埋め尽くされている。
デイドレスやイブニングドレス、ヘッドドレスや靴や手袋、日傘まで真っ黒で、差し色で入れられた白や赤が目に眩しいと感じるほどである。
「――じょう」
私が一番安堵するのは、黄色い髪を持つトゥイードルズでも、軽やかなピンク色をまとうリーズでもない。
漆黒に染まったジャックが側にいるときだ。
彼以外に心から頼れる相手はいなかった。
星月の明かりから加護を受けたナイトレイ伯爵――ダークが現われるまでは。
「――お嬢、起きてくれ」
揺さぶられたのは、深い眠りの底へ落ちようとした、まさにそのときだった。
重い目蓋を開けた私は、ベッドの脇にいた人物に目を丸くした。
「ジャック!?」
「しっ、静かに……」
ジャックは、一指し指を立てて私の口元を塞いだ。むぐっと息を飲みこんだ私は、暗がりに慣れた目で彼を見る。
連行前と比べて、少し痩せた気がする。
けれど、黒い猫っ毛も、キツい眼差しも以前と変わらない。不良執事の名をほしいままにしていた、『アリス』のジャックがそこにいた。
「もごっ、もごもご」
「どうしてここにいるのかって? オレもよく分からない。名前を呼ばれて、目が覚めて、暗い牢を見回したら、壁に自分の姿が映ってたんだ。大きな鏡でもあるのかと思って手をついたら、すり抜けてここにいた」
「もごもごっ――それは、」
口を塞いでいた手を両手で引き下げた私は、一息に言い放った。
「きっと悪魔の仕業だわ!」
壁一面を、通り抜けられる鏡にすげ替えるなんて、人間には出来ないことだ。十中八九、悪魔か悪魔の子が関与しているだろう。
現時点でもっとも怪しいのは、ダークをロンドンに留めている鏡の悪魔だ。
ジャックを牢屋の外に導いた目的は分からない。しかし、このままでは大変なことになると、私の直感が告げていた。
「なんとかして牢屋に戻らなければいけないわ。今の状態では、ジャックが自ら脱獄したことになってしまうもの。ドードー警部に気づかれないうちに――」
ドンドン! と強く扉が叩かれて、私の心臓が跳ねた。
廊下から、深刻そうな声色でリーズが呼びかけてくる。
「お嬢、起きて。ついさっき警察から連絡が入ったの。ジャックが牢屋からいなくなったっていうのよ。リデル邸に来るかもしれないから、これから警官を寄越すって!」
「ど、どうしよう……」
嫌な予感が当たってしまった。
「警察が来るわ。正直に、壁を通り抜けたらリデル邸にいたって説明を――いいえ、それではドードー警部は納得してくれないわね。上手い言い訳を考えましょう。とりあえず、ジャックは屋敷の裏通路にでも隠れていて。ダークに連絡を取って、無事に身を潜められる潜伏先を確保するから!」
「――なんで、あいつなんだ」




