三話 同時攻略は遠慮します
双子に夢中だったトレヴァーは、真正面の私を見上げてひっくり返った。
近くで見ると分かるが、かなり度のきつい眼鏡をかけている。
「天使を見て忘れていました。じじじ、女性……女性が、目の前に……」
「もっと自信を持ちたまえ、ビル・トレヴァー。女性はサーカスで飼われている猛獣とは違うよ。君を捕まえて食べたりしない」
冷や汗を垂れ流していたトレヴァーは、抱き起こしたダークに、ガチガチと歯を震わせて言い返した。
「伯爵は、女性にモテるからそんな風に思えるんです。僕のような男にとって、ご令嬢というのは、未開のジャングルに生息する新種の動物のような存在なんですよ。仕事が忙しくてろくな出会いもないのに、どうやって慣れろと言うんですかっ!」
「そこまで思い詰めなくても、俺に相談してくれれば、良家のお嬢さんぐらい紹介できるよ。最初から恋人になろうと思わずに、日常会話が出来れば上々だ。そこから仲良くなればいいのだからね」
「日・常・会・話! それが一番難しいんです! 僕は、仕事を押しつけてくる上司の愚痴と、残業過多なブラック勤務を乗り越えるためのカフェインの効率的な取り方と、最近あったアンラッキーな出来事しか、提供できる話題はありませんっ」
痩せていると思っていたが、トレヴァーのスタイルは、過労死寸前の労働によって作られたものらしい。私は、はっと気づく。
(仕事ぶりは真面目だけれど、腹の底に不満を溜め込んでいる……。これは『社畜キャラ』だわ!)
今までの『悪役アリス』にはいなかったタイプだ。
やはりトレヴァーは、単なるモブではない。
気になるけれど、切り裂きジャック事件で手一杯の私は、新たなルートが開けるかもしれない行動は取らないと決めている。同時攻略は気が散るのだ。
「君は、また仕事で悩んでいるのかい。警察署長の賄賂の件は片付いた頃だろう。まだ何か問題が?」
「それが……。今度は、貴族が不倫相手の女性から養育費を請求されている件を担当しろと、ベテラン判事に投げられまして」
「ご愁傷さま。好奇心で聞くけれど、どこの貴族かな?」
「他にはご内密に。シャロンデイル公爵です」
「今、シャロンデイル公爵とおっしゃいまして?」
声を潜めて話すダークとトレヴァーの会話に、気づけば私も参加していた。
公爵には、公爵夫人との間に赤ちゃんがいる。だというのに、不倫問題が持ち上がるとは。夫人はさぞや心を痛めているだろう。
「不倫だなんて。シャロンデイル公爵は、いったいどうしてそんな真似を?」
私が前のめりになると、トレヴァーは反対にのけぞった。
「ははは、話します。話しますから、それ以上、近づかないでください!」
震えながら、ビルは裁判沙汰のあらましについて教えてくれた。
「お相手は、公爵が出資した店の経営者だそうです。イーストエンドにある、労働者向けの宝飾店だとか。子どもを身ごもって出産なさったけれど、公爵家は認知してくれない。だから、裁判を起こして養育費を請求する。真っ当な権利だと僕は考えましたが、予期せぬトラブルが起きてしまって……」
「トラブルとは、何ですか?」
「請求者が、とつぜん亡くなってしまったんです。切り裂きジャック事件をご存じですか。あの被害者のケイト・エドウッドがその人なのですよ」
「事件の被害者は、シャロンデイル公爵の不倫相手だったのですか!」
私は仰天した。ドードー警部も公爵自身も口を割らなかった新事実だ。
事件の直前まで被害者と会っていたとすれば、なぜ公爵がイーストエンドにいたか説明がつく。対面した場所が、ジャックの働いていた酒場だったら、手の包帯を見ていてもおかしくない。
(これは有力な手がかりだわ)




