二話 モブ扱いはもったいない
裏口から続く廊下に視線を向けると、資料室の戸がわずかに開いていて、オレンジ色の明かりが細く伸びていた。隙間に目を当てて観察する。
すると、議事録を納めた棚のまえに、眼鏡をかけた青年が立っていた。燭台を手にして調べ物をしているようだ。
体つきはペンのように細い。
銀フレームの眼鏡は知的で、腰元まで伸ばした髪は素直。
書類に落とす視線は、真剣そのものである。
せっかく忍び込んだのに残念だが、先客がいては情報を集めるのは難しい。
諦めて帰ろうと思ったところ、ダークは「おや?」と、双子から手を離して戸を押し開けた。
「ビル・トレヴァーじゃないか!」
「わわわっ、ナイトレイ伯爵!?」
青年――トレヴァーは、ぎょっとして燭台を放り投げた。火がついた蝋燭が宙を舞ったのを見て、私は小声で命じる。
「ダム、ディー。拾って!」
双子は風より早く動いた。
ダムが燭台を、ディーが蝋燭をキャッチして合体させる。幸いにも火種は消えずに残っていて、再び赤い炎を上げた。
「「どうぞ」」
「ありがとうございます。うっかり火事を起こしてしまうところでした!」
燭台を受け取ったトレヴァーは、ダークをビクビクした様子で見上げた。
「こんな真夜中に、天使みたいなお子様を連れて何をなさっているんです。まさか三人で夜遊び――ししし、失礼。貴族は、夜会やら何やらで馬鹿騒ぎすると、小耳に挟んだことがあるだけなので、怒らないでくださいっ!」
卑屈な話し方と、激しく怯える性格に、私はピンときた。
(この眼鏡男子、単なるモブじゃないわ)
サラサラの長髪といい、無礼な敬語といい、しっかりキャラ立ちしている。
もしかしたら、続編で追加された重要なヒントをくれる登場人物かもしれない。
ダークは、廊下に残されていた私を呼んだ。
「おいで、アリス。怯えられているけれど、彼は俺の友人なんだ」
「こんばんは。私は、リデル男爵家のアリスと申します――」
スカートをつまんで歩いて行くと、トレヴァーは書棚にさっと隠れてしまった。
「あの……どうされました?」
「すすす、すみません。僕は、女性がほんのちょっぴり苦手でしてっ!」
「ビル・トレヴァーは、女性の前だと緊張してしまうんだ。自己紹介は自分でできそうかな?」
「無理です、伯爵にお願いします!」
雪山で遭難でもしているようにガタガタ震えるトレヴァーを、ダークは笑顔で紹介してくれた。
「アリス。彼は判事のビル・トレヴァー。有能なせいで、細かくて面倒な仕事を押しつけられている、可哀想な青年だ。法廷では別人のように堂々としているから、仕事ぶりは信頼できる」
「そんなに持ち上げないでください、おそれ多いっ! アリス様、ということは、あなたが、ナイトレイ伯爵の、こここ、婚約者様ですか!?」
「建前上はそういうことになります」
私が返事を返すと、トレヴァーは「ひっ」と顔を赤らめて、書棚にぐぐぐっと頭を押しつけた。
縦列に並べられた書棚には、上段に本やファイルが、下段の引き出しには書類がぎっちりと詰め込まれている。
重量があるので倒れないと思うが、万が一トレヴァーが押し倒したら、資料室全体でドミノ倒しが起こる事態は避けられない。
私の心配をよそに、ダークはトレヴァーをからかいにかかる。
「建前ではなく本音で想い合っているんだよ。夜の外出は、彼女のご家族から許可を得ているから安心してくれたまえ。彼女には強い護衛もついているから、俺が悪い気を起こしてもどうこうはできないさ。そうだよね、愛しい双子たち」
ダークに微笑みかけられた双子は、両脇から私のスカートにしがみついた。
「「アリスは、ぼくらがまもる」」
「お二人が、アリス様の護衛なのですね……。お若いのにご立派です」
トレヴァーは、ひざまずいて双子に笑いかけた。
丈の黒いローブと斜めにかけた緋色の垂れ布が床にすれる。
これは司法に携わる人間が身に着ける法服だ。
実際の裁判官は、これにスカーフやガードル、頭にはカールのついた白いカツラを被るので、いささか滑稽なスタイルになるのだが、余分を省いたトレヴァーの格好は好感度が高い。
(乙女ゲームのキャラクターだもの。乙女受けは大事だわ)
うんうんと頷く私の足下で、トレヴァーは穏やかに話しはじめる。
「改めまして、僕はビル・トレヴァーと申します。判事――裁判所で人を裁くお仕事をしております。お二人の名前を伺ってもよろしいですか?」
「ぼくはダム。アリスの右腕」
「ぼくはディー。アリスの左腕」
「ダムさん、ディーさんですね。真夜中ですが、眠くはありませんか? よければ休憩室でお茶でも淹れ――ぎゃっ!」




