一話 婚約披露は下見から
ゴツゴツした岩肌を大量の水が流れ落ちる。滝壺で上がる水しぶきは、シャラシャラと輝いて真夏の暑さを軽減してくれる。
(涼しい……)
私は大きく息を吸い込んで、爽やかな空気を楽しんだ。黒い日傘をさしかけているとはいえ、濃い色のドレスを着ているので体感温度はかなり高い。
滝の周りには、南国の樹木が寄せ植えされたジャングルがあり、毒々しい色合いの花が咲き乱れている。
空を仰げば、遠くに浮かぶのは小型の気球。
乗組員が花びらを巻いているので、真下でお祝いごとでもあるのかもしれない。
「それにしても、プレジャーガーデンズって広いのね……」
ここは、チェルシーにある『シャロンデイル・ガーデンズ』だ。
入場料を払って入るタイプの大規模庭園で、名前からも分かる通りシャロンデイル公爵が所有している。
なぜ私がこんなところで田園回帰しているかというと、ダークに婚約披露パーティー会場の下見に連れてこられたせいだ。
彼は、持ちうる人脈と資金をフル活用して『俺の理想の婚約披露プラン』を実行しようとしていた。
パーティーは、ダークと繋がりのある貴族や有力者たちへ、私を紹介する意味合いが強い。
上流階級を呼ぶとなると会場にも格式が必要なので、広いプレジャーガーデンズを用立てしようとしているのは分かる。だけど。
「ちょっと広すぎじゃない?」
シャロンデイル・ガーデンズは、私が想像していた五百倍の広さだった。
婚約パーティーと聞いて、庭付きの高級レストラン辺りを想像していた、自分のイメージの貧弱さを殴ってやりたい。
今いる植物ゾーンとは別に、レストランや茶店スタンドが並んだ軽食ゾーン、凱旋門や円形舞台がある演劇ゾーン、そして、観賞用の小さな城が立った催事ゾーンがある。
草木も花も建物も滝も、元からここにあったものではない。
世界各地から集めたり、人工的に作ったりしたものだ。ロンドンでの都市生活に疲れた人々が、自然を感じるための憩いの場として開かれている。
五十年ほど前までは六十を超える数のプレジャーガーデンズがあったという。
老朽化や事故によって人が遠のき、ならず者が棲み着くようになってしまったため、次第に閉園していった。今でも健全に営業しているのはここだけだ。
「客入りが良いのは、シャロンデイル公爵の手腕によるものね。係員の態度はいいし、掃除も行き届いているし、警備員が常駐しているから安全だわ。ここを貸し切って婚約披露パーティーをしたら、一生の思い出になるでしょうね。問題は、私の招待客が十人もいないことよ……!」
トモダチは『ウサギ』だけなのが『アリス』の公式設定だ。
私は、昔から同性の知り合いに恵まれない人生を送ってきた。
社交界デビューしてからは、令嬢たちと話す機会もあったが、近づくと嫌がらせがセットで付いてくるので、どうやったら友達ができるのか、未だもって不明だ。
(前世では、友達がいない人向けに、結婚式に参列するアルバイトがあるくらいだったけれど、ヴィクトリア朝にそんなサービスはないわよね)
こんな調子では見栄も張れない。
そもそもパーティーに乗り気になれる精神状態ではなかった。
ジャックが容疑者に格上げされ、イーストエンドでの調査で彼に想い人がいたと気づいてしまった私の心は、長く使われているサンドバッグよりボロボロだ。
そんな気持ちを知ってか知らずか、半ば強引にここに連れてきたダークは、興味深げに滝壺を覗きこんでいた。
「南国に来てしまったようだ。この辺りに茶店スタンドを配置して、トロピカルドリンクを配布したら、気持ちよく飲めそうだと思わないかい?」
今日の装いは、夏らしいパリッとした麻素材のスーツだ。
シャツのフリルは控えめで、結んでいるのも普通のネクタイ。リボンが盛りだくさんの帽子に飾られた風見鶏を見ないようにすれば、そこそこ普通の出で立ちである。
過剰につぐ過剰装飾を見ている身からすると、若干物足りないような気がしてしまう……。
(いいえ、風見鶏が帽子にいる時点で普通じゃないわ!)
私はブンブンとかぶりを振った。
一般的な英国紳士と比べて、ダークは明らかに盛りすぎだ。これが大人しめに感じられるなんて、私もすっかりダークに毒されている。
そんな私がトロピカルドリンク反対派にみえたらしく、ダークは困り顔で別案を出してきた。
「分かったよ。君が南国系をお気に召さないというなら、ジューススタンドは諦めよう」
「えっ? そういうつもりでは――」
「無理をすることはないよ。他の場所も見て回ろうか」
ダークは私の手を引いて、次の場所へエスコートしていく。
植物ゾーンを抜けると、催事ゾーンがある。
このプレジャーガーデンズの目玉はここで、建っているお城のシルエットは出入りゲートの看板にも描かれていた。
小川にかかった橋を越えると、おとぎ話に出てくるお姫様が住んでいそうな建物があった。
バッキンガムやハンプトンコートのような大規模な宮殿と比較すると、こぢんまりとした佇まいだが、水色の屋根と白い壁を私は一目で気に入った。
「可愛いお城ね」
「外観は城だが、内部は舞踏場になっているんだよ」
ダークのエスコートで入った城内は、大きなシャンデリアがいくつも下がるダンスホールになっていた。
大理石の床はピカピカに磨き上げられていて、左右に並んだギリシア風の円柱が美しい。壁には、カラフルな鳥が遊んだり飛んだりする様子が、南国の草花と一緒に描かれている。
どれも、都会暮らしに疲れたロンドンの人々には、まぶしく映るだろう。
「素敵。あなたが、ここを婚約披露パーティーの会場にと考えた気持ちが分かるわ」
「共感してもらえて嬉しいよ。ブーケを飾った会場で、軽食とグラスワインを提供するような、気さくなものにしたいんだ。ご令嬢がよろこぶケーキやお菓子も置いて、子どもたちには退屈しないような余興を見せよう。会場に流れる音楽は、祝賀行事で興じる楽団を雇えばいい。こまごました配慮は、じいややヒスイに任せて、俺と君はホールの中央で踊るんだ。こんな風にね――」




