十話 不良執事は夜中に一人
話をさえぎったのはダークだった。
ホワイトチャペルとかけているのか、白い三つ揃いを身に着けて、海辺の風景を描いた鐘つきの帽子を飾っている。
過剰な装いで武装した貴族に、ドードー警部はうろんな目を向けた。
「ナイトレイ伯爵ですかな。お噂はかねがねお聞きしております。ロンドンで起こるさまざまな事件に首を突っ込んでくる、好奇心旺盛な貴族だとね。切り裂きジャック事件にもご興味がおありということですかな」
「その通り。ドードー警部こそ、現場まで足を運ばれるとはご立派ですね。社交サロンでは、貴方は警察の鑑だという話も出ていますよ」
ダークは、ステッキを持っていない方の手を背中に回して、路地裏の奥を指さした。見れば、積み上がったゴミ袋の陰から、ヒスイがひょっこり顔を出している。
今のうちに逃げろということだ。
私とリーズは、うなずき合ってその場を後にした。
「ダイジョブ?」
「ええ。ダークとあなたのおかげで助かりましたわ。ですが、その格好は?」
合流したヒスイは執事服に身を包んでいた。しかも衿元のタイをだらしなく緩めて、上着を腰に巻くという、不良じみた着こなしをしている。
「ジャックの真似。ゴシュジン、これで酒場に行ケって」
酒場はすぐに見つかった。昼間は軽食が食べられる店で、料理名を書いた立て看板が通りに出ていたからだ。
店内に入り、ビール樽に板をのせたカウンターで料理を注文して、お金を払ってから壁ぎわのテーブル席に座った。
椅子は木製だ。座面にクッションを置くような心づかいはないので、長く座っているとお尻が痛くなりそうである。
だが、周りは誰も気にならないようだ。ビール片手に飲んだくれている客が大勢いて、上機嫌で大笑いしている。
「私、酒場に来るのは初めてだわ。メニュー表もないし、先にお会計するのね」
「昔ながらの料理と飲み物しかないから必要ないのよ。馴染みの客は、だいたい『いつもの』で通じるの」
リーズの蘊蓄を聞いていると、ほどなくしてフィッシュアンドチップス、ローストラム、ヨークシャープディングが運ばれてきた。
年嵩の女将に多めのチップを渡すと、喜んだのちにヒスイの服を見て言う。
「最近の子ってのは、変わった着こなしをしてるねえ。先日までうちで働いてたのも、執事みたいな服をわざと着崩しててさ。変だって言っても直さなかったのよ」
「その人は、黒髪ではありませんでしたか? ちょうど彼くらいの背丈で」
ヒスイが立ち上がって一回転すると、女将は「そうだったね」と同意する。
「体型もこんなだったよ。素性は明かせないって言うから、適当に『ジャック』って呼んでたんだけど、給料日を過ぎたらぱったり来なくなっちまった。その日に皿を割って手に怪我をしたし、近くで殺人事件が起きたから、区切りが良かったのかもしれないね。あんたら知ってるかい。切り裂きジャック事件っての」
「ええ。先ほど、犯行声明を見ましたわ」
「恐ろしかっただろ。あれを目当てに見物客がわんさか来るから、うちは大助かりだよ」
女将が去ったテーブルで、ヒスイはローストラムに齧りついた。
私とリーズは、食事もそこそこに女将から聞いた情報を整理していく。
「ジャックがイーストエンドに通っていたのは、ここでアルバイトしてお金を稼ぐためだったのね。私が渡している生活費では足りなかったのかしら?」
「金額は十分だったはずよ。余らせて繰り越していたのを知ってるもの。真夜中に家を抜け出してまで働いていた理由って何なのかしらね」
料理を完食して店を出る。乗合バスが通る大通りを目指して歩いていると、通り沿いの店に『シャロンデイル』の文字が見えた。




