八話 変装アリスと猫のたくらみ
一人で身動きするだけで精一杯の狭い個室に、エキゾチックな香が焚かれている。頭上に吊られたランプは煤で汚れていて、照明としては心許ない。
「お嬢、ほんとうにそれでいいの?」
カーテン越しに聞こえるリーズの声に、アンダードレス姿の私は小声で答える。
「ええ。事件の情報を得るためだもの」
手元にあるドレスは、袖が気球のように膨らんでいて、スカートは多段のティアードフリル、しかも縫い目がほつれかけているという、いかにもな古着だ。
世界初の化学合成染料モーヴを使った鮮やかな紫色は、今から二十年程前に流行ったもの。当時は手袋や外套、石けんまでもこの色に染められたらしい。
ここはカムデンマーケットの一角。倉庫や工場が集まったリージェント運河ぞいにある商店街で、古着や中古品が多く売られている場所だ。
生活用品一式を安く揃えられるとあって、客のほとんどが労働者である。彼らは古着を活用するので、流行遅れのドレスを着ていた方が目立たないのだ。
古着に袖を通した私はカーテンを開けて、待っていたリーズに見せた。
「どう? ホワイトチャペル辺りに住んでいる少女に見えるかしら?」
「そうねぇ。古着なだけでは、お嬢の上品さは隠しきれないようね。組み合わせに工夫が必要だわ……」
リーズは、真剣な眼差しで、棚に重ねられている帽子や小物を物色した。
「ティアードが流行した時代は、小ぶりな帽子を合わせていたけれど、そろえると時代劇のコスチュームみたいだから、あえてチグハグにしちゃいましょ。木綿のフィシューをブローチでとめて、巾着型のレティキュールを手に持って、頭にはボンネットを深く被って――」
選ばれた小物を身に着けていくと、時代錯誤でありながらも可愛らしい着こなしが完成した。鏡の前で一回転する私を見て、リーズはうふふと楽しげに笑う。
「命名するなら、ロマンティック・ノスタルジック・スタイルね。さすがお嬢、どこに出しても人を魅了する自慢のご令嬢だわ!」
「目立たないために変装しているんだけど……」
ファッショニスタ魂は結構だが、ここで発揮するのはよしてもらいたい。リーズを諫めるために試着室から顔を出すと、店の奥にいた女性店員が話しかけてきた。
「とってもお似合いですよ~」
客の行動をチェックしたり声を掛けたりするのは、万引き防止の意味合いが強い。
今日の目的を考えると長居するのは得策ではないので、私とリーズは代金を払って逃げるように店を出た。
「あの店員さん、私たちを覚えていないといいけれど」
「覚えられていても大丈夫よ。殺人事件を起こしに行くわけではないもの」
隣を歩くリーズは、細身なスタイルを強調するスキニー姿だ。オーバーサイズのジャケットを肩にかけて颯爽と風を切っている。
まるでランウェイを歩く、トップモデルのようである。
中性的な美しさに、すれ違った工場勤めの少女たちが騒ぐ。「今のは男性?」「それとも女性?」「どっちでもいいよ、格好良かったー」という声が微笑ましい。
(さすが、前世で『性別:リーズ』と呼ばれていただけあるわね!)
リーズのエスコートは、令嬢を過度に気遣うものではなく、友達のように気さくで歩きやすかった。適度に世間話を振ってくれるので緊張感もほぐれた。
だが、快適だったのは乗合バスでホワイトチャペル地区に降りるまでだった。
「うっ……。なんだか変な匂いがするわね」




