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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第二章 切り裂きジャック事件

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五話 胡椒のなぞと死亡フラグ

 ダークに先導されて馬車に乗った私は、むずむずする鼻を思いきりかんだ。


「――ピーっ! ああ、くすぐったかった。胡椒をきかせすぎだわ!」


「古い慣習を守っているんだろうね。昔の貴族は、週に一頭の家畜を屠るのが慣わしで、日が経つにつれて増す臭みを消すために、高価な香辛料を多く使うものだった。だが変だな。これまでシャロンデイル公爵家で、胡椒のお菓子なんて出されたことはなかったが……」


「スパイスは癖になるっていうから、公爵が目覚めてしまったんじゃないかしら」


 前世でも激辛愛好家はいた。辛いものを感じるのは味覚ではなく痛覚だが、そちらは刺激で麻痺しやすい性質がある。

 そのため、辛さのラビリンスに囚われた人間は、もっと……もっと……と辛さの強い食べ物を求めていき、やがてハバネロやジョロキアといった危険な香辛料を山ほど使った料理へ群がるようになるのだ。


「スージー様も赤ちゃんもくしゃみをしなかったから、胡椒には慣れているんだと思うわ。あれが、シャロンデイル公爵家で日常的に使われている量なのよ」


 胡椒も香辛料だ。生まれたばかりの子どもには刺激が強いと思うのだが、夫人のあやし方が上手いのか赤ちゃんは泣きも騒ぎもしなかった。


 おくるみの大きさから月齢は三ヶ月くらいだと思われる。その頃は一日につき十五~十七時間ほどは寝ているはずだから、お昼寝していたのかもしれない。


「公爵と話していて気になったんだが、番犬君は手に怪我をしていたのかい?」

ダークに問われて、私は、ジャックが逮捕された朝のことを思い出した。

「利き手とは逆に包帯を巻いていたわ。前日には怪我なんてしていなかったのに」


「その怪我を、事件があった晩にイーストエンドで負ったとすると、やはり公爵は、ジャック君を暗い路地裏ではなく明るい場所で目撃しているはずだ」

「なぜ嘘を吐かれたのかしら?」


「真犯人をかばっているのかもしれない。公爵がイーストエンドにいた理由を白状してくれれば楽だが、万に一つも話さないだろうね。地道に調べていこう」


 話しているうちに、馬車はリデル邸がある丘への小道に入った。

 アイアン製の門の向こうに、蔦薔薇のはった屋敷が建っていて、辺りには時季外れのもやが立ち込めている。


 何だか様子がおかしい。

 よくよく観察すると、もやは屋敷の背後から、もくもくと上がっていた。


「火事だわ!」


 エントランスで馬車を飛び降りた私は、急いで屋敷の裏手に回った。

 薔薇垣と噴水がある庭を走り抜けて、厨房へとつづく階段に近づく。


 煙は、階段脇にある換気口から出ていた。中に火の気があるのは間違いない。


(これは『切り裂きジャック事件』の選択肢で現われる死亡フラグだわ!)


 前世でプレイしたルートでは、リデル男爵家のジャックが犯人だと聞きつけた市民によって、屋敷に火炎瓶が投げ込まれるイベントが起こる。

 そこで選択肢をあやまると、『アリス』は煙に巻かれて死んでしまうのだ。


 その先は言わずもがな、夢も希望もないバッドエンド直行である。


「屋敷にはダムとディーが残っているわ。消火しないと!」


 階段を走り下りようとする私の腕を、ダークはすんでのところで掴んだ。


「煙を吸ってしまうといけない。姿勢を低くして、俺の背に隠れているんだ」


 ダークは、ポケットチーフを抜き取って私の口元に当てると、身長に階段を下りた。取っ手が熱せられている場合を考えて、ステッキの柄を引っかけて扉を開ける。


 厨房に充満していた白い煙がもうっと出てきて、階段の上へあがっていった。

 私は、四つん這いで中に入り、視線をあげて火の元を探す。


(燃えているのはどこ?)


 白くかすんだ調理台のうえで、黄色い火花が飛び散った。燃えているのは火薬物質だ。近くに人の気配を感じた私は、ポシェットから取り出した拳銃をかまえた。


「動かないで。そこで何をしているの!」


 犯人の姿に目を凝らすと、突然、両脇から抱きつかれた。


「「撃たないで、ぼくらのアリス!」」


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