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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第七章 悪魔と恋の取引を

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四話 薔薇の烙印

 ジャックをダークに預けた翌日の真昼。

 私は、一人で食事をとり、一人で身支度して、街に出た。


 見舞いに訪れたサイラント邸は、蝋燭ろうそくを点したときの、ススの匂いが立ちこめていた。

 先導する夫人の足取りは、心なしか軽い。


「マダム。不思議な匂いがしますね。なにかなさっているのですか?」

「今朝、霊媒師様メディウムがお見えになったのです。いわく『眠り姫たちは、体を抜けた魂がロンドンをさまよっているからめざめない』のだとか。呼び戻すためには降霊術をしなければならないというので、家中の蝋燭を灯していますの」

「降霊術ですか……」


 私は、前世にあった霊媒商法を思いだした。

 重い病気をわずらっている人間に、ただの水やつぼを『病魔を消す』効能があるように信じこませて買わせる、悪質な詐欺さぎである。

 多少のプラシーボ効果はあるかもしれないが、それで病気が治るのなら医療は発達していないと、冷静に考えれば分かることだ。


 仕掛けが分かる人間にはうさんくさいが、眠り続ける娘をもつ母親からすれば、霊媒師の言葉は天からの助けに等しい申し出だったのだろう。

 可能性にすがってしまった夫人を責めることは出来ない。


 マデリーンの部屋の扉があく。

 カーテンを閉めきった室内の床を埋め尽くすように蝋燭が立てられている。

 炎は、酸素の薄くなった部屋ではか細く伸びる。


 ベッドの脇に立つ長身の男は、肩に聖衣をかけた司教服で、手には木彫りの十字架を持っていた。どこかの教会から派遣されたような風貌だが、首回りに下がる濃淡ピンクのマフラーは見間違えようがない。


「マダム。私、以前から降霊術を見たいと思っておりましたの。お手伝いしてもよろしいでしょうか?」


 私が言うと、夫人は両手を合わせて喜んだ。


「ええ。娘が呼び戻される場面に立ち会ってやってください」

「霊媒師様も、よろしいですね?」


 有無を言わせぬ瞳で見上げると、霊媒師に扮したリーズは、浅く息を吐いた。


「いいでしょう。マダム。あなたは使用人を集めて階下の一室に控えていなさい。決して様子を見に来たり、大きな物音を立ててはいけません。マデリーン嬢の魂が、驚いて逃げるといけませんから」

「分かりました」


 神妙にうなずいて、サイラント夫人は部屋を出て行った。

 カツカツという足音が十分に離れてから、私は絞った声を出す。


「こんなところで会うとは思わなかったわ。リーズ」

「うふふ。よく似合っているでしょう?」


 リーズは、おごそかな雰囲気のある司教服をつまんで舌を出した。

 長い舌の中心には『烙印スティグマ』が浮かび上がっている。


 『二枚舌おおうそつき』の能力を使っているようだ。


「お嬢――いえ。アリス様は、お供も連れずになにをしに来たのかしら?」

「お見舞いよ」


 私は、ベッドの天蓋レースを引いた。

 先日訪れたときと変わらずに安らかな寝息を立てていたマデリーンだが、血の気の引いた真っ白な頬はこけてしまっていた。


「早く目覚めさせてあげないと、死んでしまうわね。何か手がかりは分かったかしら。その能力で」

「これから囁くところよ」


 リーズはマデリーンの力ない手をとって、耳元に唇を寄せた。


『汝、我に真実をみせよ。眠らせたもうた犯人の姿を示せ――』


 すると、マデリーンの体が一気に緊張した。

 腕に、肩に、膝に力が入り、不自然な格好で固まる。

 呼吸は乱れ、気道がゼイゼイと音を立てる。拒絶反応だ。


『我に身を委ねよ。さすれば、天国への道は拓かれん』

「う゛う゛っ」


 短くうなりながら、マデリーンは曲げた足でガンガンとマットを蹴る。


(寝転がったまま、立ち上がろうとしてる?)


 私は、暴れるマデリーンの体に手を伸ばした。

 すると、囁いていたリーズが叫んだ。


「触れてはダメよ!」

「きゃっ」


 マデリーンに触れた瞬間、指先がバチンと爆ぜた。

 静電気が跳ねるみたいな衝撃波が電流となって、私の体を駆けめぐる。


 目を閉じた私は、暗い空間にネグリジェ姿で立ち尽くすマデリーンを見た。

 あっと思ったのは、彼女の足下に、ティエラを飲みこんだときのように、薔薇の紋章が広がっていたからだ。


(あなたを捕えているのも、薔薇の悪魔なのね?)


 問いかけは声にならなかった。

 私の意識は、遠くから聞こえる音に引き寄せられる。

 

「お嬢、目を開けて!」


 目を開けると、私は背中を抱えられる形で床に倒れこんでいた。

 顔をのぞきこむリーズは、今にも泣きそうだ。別れを告げたときのような突き放す雰囲気はなく、リデル邸で共に暮らしていたときの彼らしい表情だった。


「烙印を掛けている相手に触れるなんて! 悪魔にもらった力は、どんな影響を及ぼすか分からないのよ!! 死んじゃうことだってあるんだから……!」


 リーズは、ぎゅうっと私を抱きしめて、嗚咽をもらした。

 私は彼の大きな手に手を重ねた。


「私も『悪魔の子(スティグマータ)』だもの。少しくらい平気よ。リーズ……」

「なあに?」

「また私を、お嬢って読んでくれてありがとう」


 私が笑うと、リーズ抱く力をさらに強めた。


「やっぱりお嬢と離れるなんて耐えられない。別れてから、ずっとお嬢のことばかり考えていたわ。アタシ、一夜かぎりの恋はたくさんしてきたのに、初心なほど想えるのはお嬢だけなの」

「私だけ?」


「ええ。だから、眠り姫に『烙印』を使って手がかりを得られたら、お嬢にした仕打ちを許してもらえるんじゃないかって、霊媒師のフリをしてここに来たわ。能力を使って『眠り姫』に負担を与えたら、死ぬかもしれないと分かっていて……」


 リーズは善意で犯人を解き明かそうとしたわけではなかった。

 それで『眠り姫』を殺すことになろうとも、『アリス』の愛をふたたび受けるために必要だと思ったから、そうしたのだ。

 

「アタシ、どんな嘘を吐かれても、手酷くだまされても、さいごには裏切られてもいい。お願い、お嬢。そばで死なせて……」


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