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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第六章 リデル家の愉快なお家騒動

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七話 甘いキスは悪魔から

 私は、冷たいトロピカルジュースを飲み干して、気を落ち着けた。


 気を逆立てていても事態は好転しない。

 いまできるのは推理だけだ。


「起こったことを整理しましょう。ナイトレイ伯爵邸に、英国警察が入ってきた理由は心当たりがあって?」

「くだんの『眠り姫』が、我が家でもよおした夜会の参加者だということは知っているよ。加えて、ティエラ嬢も眠りについたから、どちらにも関係ある俺が疑われたんだろうね」


「事件については、どれだけ調べがついているの?」

「君と同じだと思うよ。犯人は悪魔か、悪魔の子(スティグマータ)のどちらかの可能性が高いと思っている。たしかなことは、俺が犯人ではないことだけだ」

「…………そう」


 少女たちを覚めない眠りに就かせるなんて、人間業ではない。

 悪魔か、悪魔の子(スティグマータ)が犯人の可能性があるということは、ダークも候補に入る。


 彼の言葉を信じてしまいたい。けれど、リデル男爵家ファミリーとして、彼のことを除外するわけにはいかない。

 思い詰めている私の顔を見て、ダークは軽妙に笑った。

 

「犯人より、まずは眠り姫たちを目覚めさせることを第一に考えよう。長くなると死んでしまうからね」


 人間は、眠っている間も呼吸をして体中に血液を巡らせている。食事や水分を取れなければ失調状態におちいり、動かなければ筋力が落ちて衰弱していく。

 眠り続けるということは、死に近づいていくということだ。


 取り乱すサイラント夫人を思い浮かべて、ぽつりとこぼす。


「おとぎ話の姫君なら、王子様のキスで目覚めるわ……。私、眠った令嬢は、あなたに恋していたように思うの。試す価値はあるんじゃないかしら」

「俺に、眠り姫たちとキスしろと?」


 指先で振り向かされて、私は目を見開く。

 思ったより近くにあったダークの美貌は、焼く前のバターパンみたいにふっくらとむくれていた。


「アリス。君はひどい。遠からず俺の花嫁になるんだから、こういうときは『他の女の子とキスするなんて嫌!』って言ってくれないと困る」

「まだ決まってません! これ以上くっつかないで!」


 私は慌てた。ただでさえ露出の多い服装なのに、こう密着されてはかなわない。

 真っ赤になって体を反転させると、床に落ちる影が目についた。


 あちこちで反射する光に薄まった、二人分の影。

 ダークの頭には、ウサギのような二本の角がある。

 そして今は、私の頭にも。


「悪魔がいるわ!」


 腰元を探ったが、ポシェットがない。

 着替えたときに外してしまったのだ。

 丸腰の自分にぞっとする私の後ろで、背筋が冷えるほど低い声がした。


「邪魔されたくなかったな」


 ダークは、床に腕をズブリと差しこんでいた。

 魔力を使っているせいで、頭には二本の角が顕現している。手の周りには青い光が広がり、彼を中心にして三日月の紋章が浮かび上がる。


(ヒスイ殿の烙印スティグマと同じだわ!)


 ジャックたちに焼き付けられた薔薇のような毒々しさはない。

 鋭いのは月の切っ先くらいで、散らばった星は白い光を放ち、足元に夜空が広がったようだった。


 ダークはぎゅっと何かをつかんで、床から腕を引き上げた。

 手には、グリフォンのような影が握りしめられていた。ダムとディーが見たら飼いたいと大騒ぎしそうな、デフォルメ調のフォルムをしている。


「ずいぶん可愛いけれど、それが低級の悪魔なの?」

「低級のなかでも下の、上級の悪魔に仕える使い魔だね。なんの用だい?」


 ダークの問いに、使い魔は「キーキー」と甲高い声で鳴く。


「ああ、すまない。君らの言葉は分からないんだよ」


 ダークが無情にも両手で押しつぶすと、使い魔の体は穴の空いた風船のように萎んで、最後には四散した。


「怪我はないかい。アリス?」

「平気よ。あなたって、ほんとうに悪魔なのね……」


 私は、ダークの本性をまじまじと見た。


 頭に尖った角を生やし、血管の浮き出た手先には鋭い爪が伸びている。

 端正な顔と銀色の髪は変わらないが、魔性を帯びた分、周りから浮き出たように魅力的にみえる。


「実際の角を見られるのは初めてだね。怖いかな?」

「いいえ。尖がっていて、すこし個性的だけれど、悪くないと思うわ」


 大真面目に答えると、ダークはきょとんとした後で、ぷっと吹き出した。


「そうか、君にかかると、『悪くない』になるのか」

「どうして変なタイミングで笑うの。初対面の時もそうだったわよね。私、そんなにおかしなことを言っている?」

「君はすぐに撃つし、角を見ても怯えない。すこし個性的な女性だけど、『悪くない』よ」

「褒めてるのかけなしているのか分からないわね」


 自分で言っておきながら、ひどい台詞だと思った。

 おかしくなって笑う私の肩を、ダークは爪の先で引き寄せた。


 甘い雰囲気に、少しの期待を込めてダークを見上げる。

 近づく彼の顔が傾ぐ。


 私はキスの予感に目を閉じた。そのとき。


「ここか、お嬢っ!!」


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