二話 ナイトレイ伯爵という男
ざあっと風が吹いて、月が雲に隠れる。
「さあ、立ってアリス」
「夜が味方のうちに」
双子に手を引かれて、私は木陰から出て門へ向かった。
銃剣を肩に当てた衛兵が交代する瞬間をねらって、柵のあいだを通りすぎる。
気配を感じたらしい衛兵はふり向いたが、誰の姿もなかったので夜風だと思ったようだ。
たどり着いた扉には、大きな錠前が下がっていた。
鍵を持ってくるか壊すかしなければ内部には入れないだろう。
だが、私は驚きも困りもしなかった。
(ゲームでは、この錠前を確認すると、建物の脇にまわる選択肢が出るのよ)
双子を視線で誘導しながら脇道へ進む。
石造りの建物は古く頑強だ。短期間で立て直すことを前提に立てられる日本家屋とは比べものにならないほど隙がない。
だがしかし、古いがゆえの弱点もある。
外壁を視線でたどった私は、木でできた枠がゆがんだ窓を見つけた。
建材に使われている石は風雨の影響が少ない。
だが、窓を固定している木材はそうではない。木というのは、雨が降れば湿気を吸ってふくらみ、日の光の影響を受けて乾く。
霧の都ロンドンは天候が変わりやすい。
雨、ときどき晴れ、ときどき雨の二乗なんて日がしょっちゅうある。
お天気に振り回されて濡れたり乾いたりした木はやせていき、建てつけの悪い状態になるのだ。
私は、見える部分に鍵がないのを確認すると双子から手を離した。
とたんに、透けていた体は実体をあらわす。
衛兵が来たら見つかってしまうので、急がねばならない。
私は、肩から下げていたポシェットから針金を取り出して先を丸めた。
それを、窓枠が歪んでできた隙間からすべらせて、部屋の内側に下がっていた錘を引っかける。
鍵のかわりに重しをかけて閉める方式の窓は、こうして錘を持ちあげれば開くのだ。
体重をかけて針金を引き、錘を持ちあげて窓を開けていく。
そのとき、裏門の方角に、オレンジ色の光が見えた。
辺りをかこむ林に反射して、ふんわりと綿帽子のように広がった明かりは、揺れるながら近づいてくる。衛兵が見回りに来たのだ。
私は、両手で針金を支えながら、背後に呼びかけた。
「ダム、ディー。入って」
小声で言うと、双子は開いた窓に飛びあがった。
戦士だっただけあって、素晴らしい跳躍力だ。
器用に枠にしゃがんだ二人は、私に向かって手を伸ばした。
「「きて、アリス」」
「ええ」
引っ張りあげられた私は、ドレスの腰元に結んでいたリボンが垂れさがっているのに気づいて、慌てて引き入れた。
音が立たないように窓を閉めて、窓下の壁に背をつけて息を潜めていると、光はゆっくりと通りすぎて表門の方へと消えた。
「ふぅ。なんとか見つからずに侵入できたわね……」
持ってきたマッチで、近くにあった燭台に火を灯す。
ちょっとした立食パーティーが行えそうな広さの部屋には、背の高い棚が縦に並べられていた。
棚の上段には本がぎっしりと詰められており、下段の引き出しを開けると書類の束が詰まっていた。
そのどれも、議題についての答申が終わったことを示す、諮問会議長のサインが入っている。
(大当たりだわっ!)
目当ての資料室に入りこめたので、私は心のなかで拳をにぎった。
ゲーム内の『アリス』は、事件に行き詰まったら、この公文書館を訪れる。
ここで調べ物をすると、不思議と解決の糸口になる情報が手に入るのだ。
私のこの人生が『悪役アリスの恋人』のシステムを踏襲しているのであれば、情報を得られる場所は同じだと思った……!
うっかり得意顔になる私に、双子はこてんと首を傾げる。
「アリス、なにを調べたいの?」
「アリス、なにを探したらいいの?」
「ナイトレイ伯爵家の情報が欲しいわ。二十三年前から現在までの資料を、すべて持ってきてちょうだい」
「「はーいっ!!」」
敬礼ポーズをとった双子が散らばり、やがて山ほどもある書類を抱えて現れた。
私は棚に背をつけて、書類をめくっては明かりにかざす。
「1885……1884…………1883…………………あったわ」
今から五年前のNの項に、『ナイトレイ伯爵』の文字を見つけた。
『――ナイトレイ伯爵位の継承に反対する。以下、同じ申し出が四件』
ダークの先代が亡くなったとき、伯爵の位を欲しがった親戚が大勢いたようだ。
「ダークも苦労したのね……。あら?」
四件目に目を通した私は、眉をひそめた。
ダークが爵位を継ぐことに反対する、という議題はまえと同じだ。
ただし、これはナイトレイ家から『爵位そのもの』の剥奪を求めた内容であり、正当な理由がついていた。
『――前ナイトレイ伯爵は、悪魔信仰に傾倒していた。嫡男のダークは、母体に悪魔を降霊して生ませた子だと言われており、城にひきこもって社交界にも姿をみせない。よって伯爵位にはふさわしくない――』
「あのダークが、《《ひきこもり》》だった?」
にわかには信じがたい。
いつだって堂々と振る舞い、いかにも目立つのが大好きそうなダークが、ひきこもりだったなんて。
いや、問題はそこではなかった。
「ダークは、父親が悪魔を信仰していたから『悪魔の子』に興味があるのかもしれないわね……」
けれど、悪魔を降霊して生ませたなんてのは作り話だ。
そうだったら、ダークはもっとおどろおどろしい姿をしていたに違いない。
「「わ、わ、アリス、どいてっ!」」
あらたな山に手を伸ばす私の頭上から、大量の書類が降ってきた。
双子が開けっぱなしの引き出しにつまずいてしまったのだ。
書類に埋もれた私は、紙の山からぴょこんと顔を出した。
「びっくりしたわ……! ダム、ディー。気を付けてね」
「「はーいっ」」
身軽に体を起こした彼らの小さな背が、すぐに書棚の向こうに消えていく。
散らばった書類を集めていると、古い一枚が目にとまった。
『――ベルナルド・スティングのリデル男爵家への養子縁組について』
「これ、ベアおじさまのことだわ……!」
彼は『アリス』の父親の弟だ。
イタリアに定住しながら、さまざまな国を回っては珍しい雑貨や家具を買い付けて売る仕事をしている。前世でいう貿易商といったところだ。
リデル男爵家が強盗にあったときは、東洋の深い森のおくにいたらしい。
訃報を聞きつけて急ぎロンドンに戻った彼は、遺体がなかった『アリス』の生存を信じて、一年もかけて探し出してくれた。
イーストエンドでジャックと暮らしていた私を見つけてからは、リデル男爵家の再興に力をかしてくれた。
慈善家としても有名で、いくつかの孤児院を経営している。
名ばかりの代表ではなく、自らロンドンを歩いて、やせぎすの子どもを見つけては声をかけて保護している。心がやさしい人なのだ。
私も、ダムとディーとはベアの紹介で出会った。
「そう……。おじさまは養子だったのね……」
養子縁組がなされたのは十六年前。『アリス』が生まれた直後だ。
祖父が亡くなったのがその一年後である。
何となくベアとは血の繋がりがあると思っていたから、残念だけれど……。
(ううん。養子だって関係ないわ。私にとっては、ベアおじさまも大切な『家族』の一人なんだもの!)
それからしばらく、ダムとディーの手を借りて資料をさかのぼったが、他にナイトレイ伯爵家にかんする書類はなかった。




