十話 この世界にはない呪文
「乙女ゲームとは?」
ダークに復唱されて、私は慌てた。
(私が転生者なのは秘密なのに!)
乙女ゲームのなかに『乙女ゲーム』という概念があるはずない。
主人公がいきなりゲームだ選択肢だと語り出したら、メタ発言もいいところだ。
「なっ、何でもないわ。言い間違いよ!」
「それにしては具体的な名詞だね。正しくはなんと言うつもりだったのかな?」
「それは、えーっとね」
考えていたら、教会の方から呼びかけられた。
「リデル男爵令嬢?」
ブーケトスを終えた花嫁のマデリーンだった。
彼女は私の方へ一直線にかけてくると、その勢いのまま抱きついてきた。
「きゃあっ」
「貴女に会えるなんて今日はなんていい日なの! あたくし、貴女が救ってくれたおかげで幸せな花嫁になれた。夫は眠り姫になった時に診察してくれた医者なのよ! 貴女は私の神様であり、恋のキューピッドだわ! 愛してる、本当よっ!!」
「おめでとう! だけど、大げさだわ!」
お熱い好意をぶつけられて戸惑う私を、ダークは形容しがたい笑顔で見つめている。
子猫を見るような顔をしていないで、助けてほしいんだけど!
腕を解いたマデリーンは、むちゅっと私の頬にキスをした。
「愛しいアリス! 貴女、今は毒レストラン事件を追っているんでしょう? 四人の手下を連れて夜な夜なロンドンを駆けめぐっているって聞いたわよ!」
「私が?」
ご存じの通り、私はダークに引っ張り出されるまで屋敷に引きこもっていた。
毒レストラン事件の捜査をしている少女がいたとしても、私でないことは確かだ。
眉をひそめていると、マデリーンは長いまつ毛を不思議そうにしばたたかせた。
「アリスって名前の、事件に首を突っ込みたがる赤髪の男爵令嬢って貴女じゃないの? 貴女をモデルにした『暗躍令嬢アリス』って小説も連載されているんでしょう。頑張ってね。犯人を捕まえたら新居にきて話を聞かせて!」
マデリーンは手を振って医師だという夫の元へ戻っていく。
賢そうな眼鏡の男性で、活発な彼女とそれぞれの長所を組み合わせて、明るく楽しい家庭を築いていきそうだ。
幸せそうな二人とは真逆に、残された私は渋面を作った。
「どういうことなの?」
リデル男爵家が夜陰に乗じて難解な事件を(なかば無理やりに)解決していることは、女王やごく一部の貴族しか知らない秘密事項。
それなのに、マデリーンのような一般市民ですら私の活動を知っている。
ヴィクトリア女王の連載小説『暗躍令嬢アリス』のことかと思ったら、実際に真夜中のロンドンに出没して、毒レストラン事件を捜査しているという。
考えうる最悪のパターンは思いつくけれど……。
口に出すのをためらっていると、代わりにダークが言葉にした。
「どうやら、このロンドンにはアリスの偽物がいるらしい」
「嘘でしょう……?」
浮上したと思ったらまた沈む。
次々と重なっていくトラブルに、私の頭はまたぐらっと揺れたのだった。




