三話 のらねこの首輪
リーズがアリスを抱えて屋敷に入っていく。
手が出せなかったジャックは、悔しそうに曇り空を仰いだ。
「ムカつくがあいつの言う通りだ。お嬢が倒れるとは思わなくて油断した。ハンプティ卿は先代も世話になったし、男爵家を復活させる時にも力を貸してくれたんだ。ショックを受けたに決まってる。次はちゃんとオレが抱きとめる。絶対だ」
「……首」
「ん?」
自問自答していたジャックは、ダークの呟きに気を戻した。
彼はリーズが消えていった扉をまっすぐに見つめている。
「リーズ君の首の横の辺りが青緑になっていた。あれは何だろう?」
「夜遊びで怪我をしたんじゃないか。ロンドンに戻ってきてから以前にも増して遊び歩いてるからな」
「遊び歩いて喧嘩か。野良猫のようだね」
打撲で皮膚が青くなったには色が鮮やかだった。
かつて英国中で壁紙や衣服の色付けに使用され、呪いのように死者が相次いだことにより有害性が明らかになったパリスグリーンのようだ。
エメラルドのように美しい色からは想像もつかないが、ヒ素系の猛毒である。
いや、あれは美しいものは素晴らしいはずだという、人間なら誰もが持っている思い込みが招いた事故だったともいえよう。
犯罪者は必ずしも悪人顔をしていない。
むしろ、人に好かれる愛想のいい者や一片の瑕疵もないような美貌を誇る者ほど厄介だ。
ハンプティ卿のように一見優しそうな老人も。
あの日のチェス勝負を思い出して、ダークは頭を振った。
あれが最後の姿になるとは思わなかったが、こんなことになるなら、アリスとの結婚を無理やりにでも認めてもらうべきだった。
「……俺たちも屋敷に入ろう。掃除は手伝えないが、料理は少しならやれるよ。最近、ヒスイが一人でできるもんと強がって厨房に入るので、付き添っているんだ」
「それ、付き添い必要か?」
「伯爵家から火事は出したくないからね」
パイを焼こうとマッチを大量にこすって、リデル邸の厨房を煙で真っ白にした過去を話しながら、ダークはジャックと屋敷に入る。
ハンプティ卿の葬儀の知らせが届いたのは、それから四日後のことだった。




