九話 心を守るための嘘
「書いたのは女王陛下ご本人だね」
「陛下自らこんなくだらない小説を執筆するわけないわ」
アリスはあり得ないと笑った後で、「いいえ、あるかもしれない」と顔をしかめた。
彼女は女王陛下を尊敬している。しかし、奇想天外な行動に出る彼女を前にすると、巨大な幼虫を見つけた時と同じリアクションをする。
今回ばかりはダークも苦笑いだ。笑っている場合ではないのだけど。
「女王陛下は、以前からアリスの素晴らしさを世に知らしめるために二次創作したいと語っておられた。侍女たちに話すだけでは、陛下のたぎるような萌えを昇華しきれなかったんだと思うよ」
「だからって新聞で連載をする? 創作系オタク怖すぎるわ」
ぐったり頭を垂れるアリスに、双子がわらわら寄って行って、お菓子がのった皿を一つずつ頭上に掲げた。
「アリス、人生に周り道はつきもの」
「アリス、糖分に食べ時はないもの」
「「つまりは今がヤケ食いの時」」
小さな悪魔の子たちは、アリスにお菓子をたらふく与えて気分転換させたいらしい。
「うーん。もうすぐ夕食の時間だから、ひとつだけにするわ」
アリスはストロベリーパイの皿を受け取った。
「では、もう片方は俺がいただくよ」
ダークは彼女の隣に腰かけて、ディーが掲げていたカスタードタルトを取った。
「ハンプティ卿とチェス勝負をしてきて、お腹が空いているんだ」
「卿はお元気だった?」
フォークを握るアリスの顔が明るくなった。
彼女にとって、卿は男爵家の復興に力を貸してくれた頼りになるおじいさまなのだ。
この表情を前にすると、ダークは本当のことを言えなくなる。
――ハンプティ卿は俺たちの結婚に反対なんだ。別の相手をあてがってやると笑っておられたよ。
「サンドイッチを一皿平らげるくらいお元気だったよ。リデル男爵家の爵位について相談したら、もう一度、血筋を調べるように励ましてくださった」
アリスの心を守るために嘘をついた。
別に、ハンプティ卿の本音を語ろうが語るまいが、現実は変わらない。
卿の同意が得られなくても、ダークが上手く盤上を操って駒を進めれば、必ずや結婚という勝利を収められる。
だから、この嘘は必要なことだ。
アリスが見る世界は美しいものだけでいい。
「どんなに遠くても、たった一人でも、リデル男爵家の血が流れる男性がいれば、アリスがナイトレイ伯爵家に嫁いでも爵位は保たれるからね。卿は地道に進めなさいとおっしゃった」
「血縁については、家を復興する際に調べ尽くしたのだけど……。ハンプティ卿がおっしゃるなら調べてみるわ」
アリスは、ストロベリーパイにフォークを刺し、切れ目からとろりと流れ出たジャムに夢見るような視線を向けた。
赤く艶めいたそれに重ねているのは、己に流れるリデル家の血だろうか。
(アリスはリデル男爵家を愛している。深く深く、自分では意識できない部分で)
大輪のオールドローズが豊かな土壌でしか咲けないように、彼女がもっとも美しく生きられるのはこの家だ。血と闇に白い肢体を浸してこそ彼女は輝ける。
他の土地で同じように活躍できるかは未知数だ。
だが、ダークは諦めない。
ナイトレイ伯爵家で、伯爵夫人として振る舞うアリスをこの目で見たい。
「あ~ら~? 二人きりの世界じゃない」




