五話 ハンプティ卿とダンプティ
「それで、アリスとも旧知の仲である儂を頼ったというわけだな」
気難しい顔で葉巻を下ろした老紳士は、窓辺に立つダークに視線を向けた。
「その通りですよ、ハンプティ卿」
窓際を離れたダークは、チェスの駒を飾ったトップハットを傾けて盤上に手を伸ばした。
現在、ハンプティ卿とダークはチェス勝負の最中だ。
卿は、見れば見るほど美しい青年だと胸のなかでダークを褒めた。
天鵞絨のカーテンや時代がかった窓枠の装飾をともなって一枚絵のように様になる人間はそういない。
数年前に爵位を継いで社交界に現れるようになったダークを、卿は青二才だと舐めてかかっていたが、彼はいつの間にか上流階級では知らぬ者のいない奇特な貴族へと成りあがっていた。
服装は過剰装飾だがユーモアがあり気がきく。
笑顔を振りまかれ、楽しく会話しているうちに、気づけば懐に入り込まれている。
油断ならない。
「リデル男爵家の復興に協力し、爵位を保留する際の保証人になったハンプティ卿ならば、この難題を解決する方法をご存じなのではと思いまして」
ダークの長い指で動かされた白のポーンは、赤のクイーンと並ぶ。
キングを取られないためには逃げるまで。
ハンプティ卿は出っ張る腹がテーブルにつかえないように腕を伸ばした。
まあるい体を包む上等なスーツは、卿の体型に対してサイズが小さく動くたびに細かな皺が寄った。
卵が服を着ているようだと、ダークは卿を見るたびに思う。
顔までゆで卵のように見えるのは、皺を無理やり引き延ばしたような老人特有のつやつやした肌のせいである。年嵩がいくと肌のきめが失われてこう見えるのだ。
愛嬌のある外見だが、卿は上流階級で一目置かれる重鎮だ。
無給の名誉職である貴族院の議員に顔がきき、彼が声を上げれば次の議会に席ができると言われるほどの影響力を持っている。
リデル男爵家の裏家業を知る、数少ない人物でもあった。
「卿は、リデル男爵家を潰さないようにと自ら女王陛下へ申し入れを行いましたね。アリスは貴方に感謝していて、婚約披露パーティーを欠席されたことを残念がっていましたよ」
「結婚まで駒を進められない婚約を披露するパーティーに、わざわざ出席する意義を見出せなかったのでな」
さらに進むポーンに、卿はくだらないことをと言いたげな顔で応じた。
シャロンデイル・ガーデンズで行った婚約披露パーティーは、会場に対してこぢんまりした催しになった。
ダークと仲のいい貴族の集まりはよかったが、アリスの方の招待客はまちまちだった。
アリスは、自分が社交界で浮いているせいだと言っていたが、ダークの意見は違う。
ハンプティ卿がいち早く不参加を決めたために、他の貴族も追随したのだ。
卿の意見は上流階級の見解も同じ。
大英帝国の貴族は、二人の結婚に賛成しないということだ。
ダークはとった駒を盤の外に転がした。形勢は依然として卿が有利だ。
「貴方がどう思おうと、俺たちは結婚を諦めません。両家を存続するには、アリスがナイトレイ伯爵家に嫁いだとしてもリデル男爵の爵位を保ち続けられるような一手が欲しい」
カチッと音を立てて駒を置く。
卿の表情は変わらず、ゲームの先が読みにくい。
「君が直接、女王陛下に直談判してはどうだね? 陛下と懇意にしていると、紳士のサロンではたびたび話題になっているぞ」
「相談は何度もしていますよ。俺に男爵位を預けてもらえないかと頼んでも、女王陛下は首を横に振るばかりです」
渋い顔で申し出を拒否するヴィクトリア女王を思い出すと、ダークの心に影が差す。
彼女がアリスとダークの仲を喜んでくれたのは最初のうちだけだった。
リデル男爵家を存続させる道を探すため、結婚の予定を延期していると打ち明けたら、あからさまに態度が変わった。
おそらく、女王は《《すぐにでもアリスを結婚させたかった》》のだ。




