三話 未来への船出
大型船の甲板で、厚手のコートを着た私は、積み荷を運んでいく生徒を眺めていた。
周りには、すっかり元に戻ったリデル家の面々が揃っている。
ジャックは腰に巻いた上着の裾を砲台に引っかけてキレているし、フードケープを羽織ったダムとディーは、ガラス製の浮き玉に小さなカニを乗せて遊んでいる。
どちらも絶好調のようだ。
唯一テンションが低いのは、サングラスをかけて手すりに寄りかかるリーズである。
「ほんっと最悪な学校生活だったわ~。あんなに男の子がいたのに、一人もデートできないとかありえないわよ」
「でも、楽しかったわね」
寮で集団生活した日々も、教室で一緒に勉強した時間も、輝かしい思い出だ。
それはきっと、ダムとディーにとっても同じである。
二人の様子をうかがうと、カニが足を滑らせて落ちたところをキャッチして、海に投げて返してあげていた。
そこで桟橋にいるチャールズに気づいて、大きく手を振る。
チャールズも手を振り返した。体の大きさは変わっても友達のままだ。
これまで、ダムとディーはお互いの存在が全てだった。
けれど、アーク校に来て、彼らの世界は大きく広がった。
「たくさんの人がいて、たくさんの可能性がある。それをダムとディーに見せてあげられてよかったわ」
「……知らない方がよかったってこともあるけどね……」
「え?」
ぼそっと呟くリーズの声は、押し寄せた波の音にかき消された。
海は相変わらず時化ているが、渡航船より巨大なこの船はほとんど揺れない。
ただ、音だけが不釣り合いにうるさい。
リーズはサングラスをずらして、ニヤリと嗤った。
「何でもないわ。それにしても、伯爵ったらよくこんな立派な船を準備できたわね」
紺と白、赤に塗り分けられた大型船は、三本の帆を持っていて、後部には黒くて太い煙突も立っていた。最新鋭の蒸気帆船なのだ。
手すりや船室の扉にはアールヌーヴォー調の飾りがついていて、この辺りを行き交う貨物船とは比べ物にならないほど豪華である。
「人脈をフル活用したんじゃないかしら?」
「アタシが言ってるのはタイミングの話よ。グリフォンに術を解いてもらった翌日に、お迎えが現れるなんて話が出来すぎてるわ。伯爵に外界との連絡手段はなかったはずでしょう。手配したのは『メノウ』って男らしいけど、どこのどいつよ?」
「わたしをお呼びでしょうか」
操舵室からナイトレイ伯爵家の家令が現れたので、私は目を丸くした。
「家令さん! たしか駅で別れたきりだわ。どこにいらしたのですか?」
「アーク校は孤島だそうなので、何かあった時のために陸で待機しておりました。紹介が遅れましたが、わたしは『メノウ』という名前なのですよ」
驚愕の新事実だ。
私は忘れないように、脳内のキャラクターシートにしっかり書き込んだ。
リーズはというと、驚くというよりは面倒な相手に出会ったみたいな表情だ。
「三カ月も待っていたとは気が長いこと。どうやって術が解かれるタイミングが分かったのかしら?」
「この能力で、ですよ」
家令は、いつも細めている瞳を見開いた。
そこには星と三日月の紋章が浮かんでいた。
「家令さんも悪魔の子だったんですの!?」
ひっくり返りそうになる私とは対照的に、家令はのほほんと明かす。
「ダーク様が初めて蘇らせた人間がわたしでした。その際に、『千里眼』という離れた場所で起きたことを見通す異能を授かったのです」
いつも彼が先回りできるのは、烙印の能力のおかげだった。
納得する私は、リーズがぎゅっと拳を握り込むのを見た。
緊張しているのだろうか。
「すごいわね。その能力は誰に対しても発動するの?」
「わたしがよく知る人物のみでございますよ。ダーク様とヒスイ、他はナイトレイ伯爵家の使用人が数人程度でしょうか。もう少しすればアリス様も見通せるかもしれませんが、レディの生活を覗くような真似は断じていたしません」
「そう……」
ほっと息を吐いて、リーズは私の背に手を当てた。
「お嬢の私生活が守られてほっとしたわ」
「そろそろ出航するよ」
船旅にふさわしくない過剰装飾をなびかせて、甲板にダークがやってきた。
彼は私の隣に並んで、こちらを見上げるチャールズに片手をあげる。
「まだ暫定的にではあるが、彼は素晴らしい校長になるだろう。じいやが運んできた物資でしばらくは優雅に過ごせるだろうし、そこからは俺が積極的にフォローしていくよ」
「新しいアーク校の歴史がここから始まるのね」
ガラガラと音を立ててイカリが上げられた。
煙突から煙が上がり、船はタグボートに引っ張られて港を離れる。
私は手すりに手をかけて遠くの古城を眺めた。
「これで本当にお別れね」
寄宿学校での生活は大変だったけれど、離れると思うと寂しいものだ。
横を見ると、手を繋いで島を見つめるダムとディーがいて、その肩にジャックが手を当てている。
みんなもなんだかんだ言って離れがたいのだ。
しんみりしていたその時、頭上から「おーい」と元気な声が響いた。
はっとして見上げると、白いウミネコに混じってグリフォンが飛んでいた。
「「ロビンス!」」
ダムとディーは頬を染めて、手を振った。
『元気でね、みんな!』
ロビンスは、三度船の上を旋回して島へと戻っていった。
その光景は、まるで伝奇に載っている挿絵のよう。
自然豊かな孤島と歴史ある古城、優しい悪魔の姿を一度に目に焼きつけながら、私はこの美しい景色をを死ぬまで忘れないと誓った。




