四話 意味なし無理問答
私は、一人で警察署の門をくぐった。
石造りの建物は冷えきっていて、息は白くならないまでも空気がひんやりとしている。
廊下では、いかつい警察官と、顔にまでタトゥーを入れた凶悪そうな男が、ツバを飛ばして怒鳴りあっている。
いきおいまかせの下町訛りは、聞いていて心地のよいものではない。
(まさか、眠り姫事件の犯人が、ダークだったなんて……)
リーズの証言では、ダークはハムステッドに住んでいる有能な判事の家を訪ねたあと、コーヒーハウスに寄るような軽い足取りでここに入っていったそうだ。
信じがたいが、自首したらしい。
(犯行を暴かれて私たちに殺されるよりも、命の安全を取ったってところかしら?)
貴族が司法側と裏取引をして、おかしてしまった罪を軽くしてもらうのは、この国ではよくあることだ。
収監されてしまうと、リデル男爵家は手も足も出せない。ダークは、それを狙ったのだろう。
(夜会の晩に、私との結婚を叶えるために事件を解決すると大見得を切ったのも、自分は犯人ではないというアピールのためだったのだわ)
ダークにその気がないと分かったら、私の心はどんよりと重くなった。
好いているような素振りも、プロポーズの言葉も、そして心が弾けるようなキスも、私を手の平のうえで転がすための嘘だったのだ。
……きっと、恐らく、それが真実。だけど。
(事の次第をダークの口からちゃんと聞きたい。聞いたら、納得できる気がするもの)
この国には戸籍制度がないため、警官に呼び止められた場合、平民のリーズとジャックでは身分を証明できない。
ダーク本人の考えを聞くためには、貴族令嬢として立場のある私が一人で潜入するしかない。
交通課の部屋をのぞくが、ダークはいない。
窃盗課、いない。刑事課にも、いない。
いったん受付窓口があるカウンターに戻るが、私と同い年くらいの少女が爪の手入れをしているくらい余裕がある。
名門のナイトレイ伯爵が自首したと公になれば、記者が殺到しているはずだ。
辺りの平穏さを見るにつけ、まだ情報はもれていないらしい。
「今のうちに見つけてしまわないと。あと行っていないのは牢屋くらいかしら?」
そちらに行くには面会許可が必要だ。
どうしたものかと悩む私は、まだ見ていない部屋を見つけた。
「取調室……」
使用中の札が下がる扉に耳をつけると、こもった男性の声が聞こえた。
ダークの声、のような気もする。
もしも彼が『眠り姫事件』についての聴取を受けていて、うっかりリデル男爵家の名前を出されたら大変だ。
(迷ってはいられないわ!)
私は、意を決して扉を開いた。
使い古したデスクとチェアを置いた個室には、警察官が一名と、案の定ダークの姿があった。
しかし、彼は取り調べを受けてはいなかった。
鉄格子のはまった窓の下に座らされている被疑者は、若い警察官の方だ。
「こんなことを言うのは酷だ。だが、貴族には、平民を守る義務がある……」
こちらに背を向けて、デスクに腰かけるダークは、裾にレースをまつりつけたフロックコートに、三種類ものリボンを巻いたトップハットをかぶり、ステッキを抱えている。
「ねえ、警察官くん。俺がなにを言わんとしているのか、君には心当たりがあるはずだ。そうだね?」
探る口ぶりに私の胸は、トクンと高鳴った。
(この警察官が『眠り姫事件』の犯人だというの?)
ダークが警察署に入っていったのは、自首したのではなく、警察内部にいる犯人を捕まえるためだったらしい。
先を越された悔しさより先に、私はダークの手腕に驚いていた。
(これだけの才覚があるなら、黒幕家業を託せるわ……)
そこまで思ってから、はたと我に返る。
(何を考えているの私! そんなことしたら、どんな死にネタがあるか分からない裏ルート突入、確定じゃないの!!)
死なないために『モブ婿』を探しているのに、歩く死亡フラグとの縁を結ぼうとするなんて本末転倒にもほどがある。
デスクから下りたダークは、私の葛藤をかき消すような大声で、ステッキを警察官に向けた。
「さっさと眠り姫事件を解決したまえ! それがきみたちの仕事だっ!」
「……は?」
あ然とする私の視線の先で、なで肩の警察官は「もう勘弁してくださいよ」と頭をかいた。
「ですからね、ナイトレイ伯爵。英国警察は、起こった事件を捜査するのが仕事なんです。どこぞの令嬢が寝汚いくらいで人員はさけませんよ」
「甘いッ!」
両手をバンと机についたダークは、登壇した政治家のように熱弁する。
「美しき令嬢たちがいつ目覚めるともしれず眠り続けているのに、事件性がないとは何事か! 愛と勇気と真心をもってして、世の中の不安を取りのぞいてこそ、理想の《《おまわりさん》》だろう!?」
「……そういうこと……」
私はがっくりとうな垂れた。
どうやらダークは『眠り姫事件』を警察に捜査させたいらしい。
正攻法での捜査や断罪がむずかしいから、リデル男爵家が動いているというのに……。
「ナイトレイ伯爵。なにをしてらっしゃるの……」
ため息まじりに呼ぶと、ダークは振りむいて目を丸くした。
「おや、アリス。奇遇だね。警察の、しかも取調室にご用かい?」
「あなたを迎えに来ましたのよ」
「俺を……? なんてことだっ!」
ダークは、この世の終わりに直面したかのように頭を抱えた。
「英国紳士が、エスコートするべき令嬢に迎えにきてもらうなんて、末代までの恥! 東洋のサムライよろしく、ハラキリするべきだろうか!?」
「ハラキリは結構ですから、どうか静かになさって」
なだめる私に、げっそりした警察官が生ぬるい視線を向けてくる。
気持ちは分かる。言語が通じているのに、言葉が通じない人を相手にすると、ものすごく神経を削られるのだ。
「うるさい方は連れて行きます。お仕事中に失礼いたしました」
私は、ダークの腕を引いて取調室を出た。
廊下にいた人々や、カウンターの男女は、場違いな私たちに好奇な眼差しを向けてくる。
(目立ちたくなかったのに)
こんな目に合うのも、すべてダークのせいだ。
憎らしさで、胸の奥がチリチリと燃える。
引く手に力をこめると、ダークから非難が飛んだ。
「アリス、少し痛いんだけれど」
「黙ってらして。私は怒っていますの」
「俺は、君の気を損ねることをした覚えはないが」
「……嘘をつかれたと思ったのよ」
「嘘?」
私はぐっと下唇を噛んだ。
馬鹿正直に『あなたから向けられた好意がすべて嘘だったと思い込んで落ち込んでいました』なんて言いたくない。
黙ったまま警察署の門を出て、ようやく立ち止まった私は、不可解そうなダークの顔をにらんだ。
「あなたを、リデル男爵邸へご招待しますわ。その目でご覧になってください。私たちのように事件の捜査に当たるのが、どれだけ危険なことなのか」




