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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第八章 アリスと不死者と怪物と

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一話 怪物の背に乗って

 ロビンスと共闘を誓い合った夜、私たちは寮へは戻らず、制服に着替えて古城の保健室で眠った。

 校長に命を狙われていると確定した今、一つのところに留まると危険だからだ。

 何かあった時のために、ロビンスはグリフォンの姿のまま、私たちを抱きかかえるようにして体を丸めた。


 鷲の翼は見た目より滑らかで、包まれるととても温かい。

 ふかふかの羽根に体を預けた私は、すぐに眠気に襲われた。


(ロビンスさんみたいに優しい悪魔もいると知っていたら、ダークのお母様は心を病まなかったかしら……)


 難しい問題だ。

 彼女は愛する夫との子どもが欲しかった。けれど、お腹の中に宿ったのは悪魔だった。夫婦のどちらとも由縁がない。しかし出産した以上、自分は確かに母親である。

 行き場を失った愛情が、彼女を苦しめたに違いない。


 愛したい。愛せない。

 おお、神よ。どうしたらあの子を。ダークを。


 ――地獄に送り返せる?


 目蓋を開けると、窓際にリーズとダークが立っていた。ロビンスは毛を逆立て、目覚めたばかりのダムとディー、ジャックは眠そうな目をこすっている。


「何かあったの?」


 私はかけた。険しい表情でダークが振り向く。


「芝生広場にキャタピラ校長と教師たちが。ライオン寮の監督生君を座らせて、生徒たちを集めているようだ」


 私も階下を覗く。芝生広場の中央に縄で縛られたチャールズが座らされていて、周囲を丸く囲むように生徒が集まっている。

 校長は、生徒たちに「石を持つのじゃ」と命じた。


「この監督生は自らの立場を利用して偉ぶっていた。不満をためている生徒も多かろう。今日は鞭打ちではなく、石投げで粛正を行う!」

「どうしてそんなことを……」


 チャールズは監督生を笠に着て威張ることなんてなかった。

 生徒の身代わりになって体罰を受け入れるような、崇高な精神を持つ人格者だ。


 彼に恩のある生徒たちは戸惑っている。石を投げる者なんて一人もいなくて、勇敢にも「何かの間違いでは」と校長を説得しようとする者もいた。

 しかし、校長はその生徒を退けて宣言した。


「石を投げない者は鞭で打つ」


 すると、生徒たちの顔つきが変わった。

 痛い思いをするのは嫌だと、ぽつぽつと石を拾う者も出てきた。


 リーズは、呆れ顔で校長の人心掌握術を褒めた。


「罰を与えられたくなかったら罪を犯せなんて、性根が腐った大人の発想ねぇ。倫理観の育ってない少年たちを焚きつけるには、絶好の方法だけど」

「語ってる場合じゃないわ。チャールズさんを助けにいかないと!」


『待って』


 階段へ向かおうとする私を、ロビンスは翼を広げて止めた。


『おれが連れていくよ。背中に乗って』

「でも、それではその姿をみんなに見られてしまうわ」

『見られても平気だよ。友達を助けられない方がずっと辛い』


 ロビンスは覚悟を決めていた。それなら、私に言うことはない。

 私は助走をつけて彼の背に飛びつく。


「行きましょう!」


 ロビンスは獣の足で床を蹴った。

 窓のはまっていた壁に体当たりして、一面を破壊して表に躍り出る。

 羽根にしがみついた私は、胃が持ち上がるような浮遊感に襲われた。

 しかし高度は落ちない。ロビンスが翼を広げて、吹きすさぶ海風に乗ったのだ。

 体を起こした私は、遠くに浮かぶ太陽と、その光を受けてキラキラ輝く海面を見た。


(私、空を飛んでる)


 衝撃に顔を上げた生徒たちは、鷲とライオンを繋ぎ合わせた怪物と、それにまたがった私を見て騒いだ。

 校長や教師たち、チャールズはあっけに取られている。


『ちゃんと掴まってて!』


 ロビンスは、空気の波をかき分けるように翼を斜め後ろに払った。頭が傾いだと思ったら、あっという間に上下が逆転して、猛烈なスピードで急降下する。


「――っ!」


 悲鳴を上げそうになりながらも、私は必死でしがみついた。


 旋回しながら勢いづくロビンスは、地上付近でふわっと体勢を立て直し、チャールズの後方に降り立った。

 ばさっと翼を動かすと、突風が起きて生徒たちは吹き飛ばされる。


 大混乱の中、チャールズは信じられないような、それでいて感激したような顔でロビンスを見上げた。


「悪魔グリフォン……と、アリス嬢?」

「助けに来ましたわ! 仲間も一緒です!」


 頭上では、残してきた五人も飛び降りたところだった。


 ダムとディーは武器を手にした臨戦態勢で、ジャックはサーベルを抜きながら、リーズは帽子を掴むダークを抱き上げた格好で落下して、膝をクッションにして着地した。


 あの高さから落ちて怪我一つしない彼らに、教師たちはどよめいている。

 私はロビンスから下りて彼らの先頭に立ち、キャタピラ校長に向き合った。


「チャールズさんを攻撃するのは止めなさい。あなたの標的は私たちのはずよ」

「フー。儂に歯向かうとはいい度胸じゃ。グリフォン、そいつらを食い殺してしまえ」


『いやだ……』


 ロビンスはぶんぶんと首を振った。


『おれ、誰も殺したくない。アリスちゃんも、ダークもジャックも、トゥイードルズもリーズ先生もみんな大事だ。チャールズみたいに、おれだってみんなを守りたいよ!』


 精いっぱい主張するロビンスの声は震えていた。

 反抗期の子どもが親に立てつく時の苦しさや怖さを、きっと悪魔なりに感じている。


「その声……」


 思いがけず聞こえた親友の声に、チャールズの瞳が瞬いた。


「ロビンスなのか?」

『!』


 ロビンスはビクッと肩を揺らした。気まずそうに顔を背けて、小さく頷く。

 すると、チャールズは眉をひそめた。


「どうして言ってくれなかった。私を助けたのは自分だと!」

『どう言い出したらいいのか分かんなかったんだよ。それに、悪魔は人間に嫌われているし……』


 チャールズは「そんなもの私には関係ない」と言い切り、縛られた体をよじってロビンスの方に体を向けた。


「ずっと探していたんだ。お前がいなかったら私は死んでいた。私に未来を与えてくれたのは、お前だ」


 チャールズはふらつく足で立ち上がると、ロビンスの胸元にぽすっと顔を埋めた。


「助けてくれてありがとう、ロビンス」

『……うん。うん……』


 感謝のこもった言葉を、ロビンスは噛みしめるように聞いた。

 そして、先ほどとは違った強い目つきで校長を見すえた。


『絶対にあなたの命令には従わない。おれは、ここにいるチャールズや他の生徒たち、このアーク校を守ってみせる!』

「のん気なことは言ってられぬじゃろう。――デウス・オルド・セクロールム――」


 唱えられた呪文に、私ははっとする。


(悪魔学で習った呪文だわ!)


 校長が唱えた瞬間、ロビンスの瞳の色が金色から底知れない黒へと変わった。


 さっきのは、悪魔を調伏するための言葉だ。ダークには効かなかったが、契約書の持ち主から命じられたロビンスはひとたまりもない。

 目を吊り上げ、嘴を大きく開けて咆哮する。


『ガァアアアアア!』


「どうたんだ、ロビンス!」

「様子がおかしいわ。離れて」


 私は、チャールズの手を引いてロビンスから遠ざかった。


「ロビンスさんは、契約書を持っている校長には逆らえないの。私たちでそれを見つけて彼を解放しましょう。ダム、ディー、お願い!」

「「りょーかい」」


 我を無くして暴れるロビンスに、ダムとディーが戦闘をしかける。

 直接切りかかるダムと、その死角をついて矢を打ち込むディーの連携は完璧だ。

 しかし、ナイフも矢も嘴や爪であっさり振り払われる。


「お嬢、怪我してないか。監督生も、よく耐えたな」


 駆け寄ってきたジャックがサーベルで縄を切る。

 手慣れた仕草に、チャールズは驚いた。


「お前たちはいったい……。いや、今はそれどころじゃない。契約書というのは、初代の城主がグリフォンと交わした物だな。城主は契約書を盗まれることがないように、マントの内側に張り付けて過ごしていたそうだ。そこが一番安全なのだという手記が、図書室に残っていた」


「校長はどこに隠しているのかしら」


 ロビンスの話では、校内をくまなく探し回ったが見つからなかったそうだ。

 どこかに秘密の隠し場所があるはず。


(そういえば、校長はいつも同じローブを着ているわね)


 キャタピラ校長は、長いローブをずるずると床に擦って歩く。

 そのせいで端が擦り切れているのに新調しない。

 かつての城主がそうだったように身に着けているとしたら、たぶんあそこだ。


 私は、チャールズをリーズに預けて、待機していたダークを呼んだ。


「契約書は、たぶん校長のローブの内側よ。私たちで始末するわ。あなたはロビンスさんをお願い。傷つけずに動きを封じられるかしら?」

「そういうのは大得意だ」


 ダークは帽子に片手を添えたまま、ステッキを水平に構えた。

 ツバから覗く青い瞳が、内側に炎でもあるようにキラリと輝く。


「悪魔グリフォン。俺と力試しをしようか」


 ステッキの先から青白い光線が放たれた。

 砲弾のようにロビンスに向かっていった光は、かざされた翼にぶつかって球状に広がり、彼を覆いつくして地面にくっついた。


 光でできた鳥籠だ。閉じ込められたロビンスはがむしゃらに暴れる。

 校長は、まさかグリフォンを封じられるとは思わずうろたえた。


「これでいいかな」

「十分よ」


 私は、空に両手を伸ばして願った。


「――どうか、不死者たちを解き放って――」


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