一話 怪物の背に乗って
ロビンスと共闘を誓い合った夜、私たちは寮へは戻らず、制服に着替えて古城の保健室で眠った。
校長に命を狙われていると確定した今、一つのところに留まると危険だからだ。
何かあった時のために、ロビンスはグリフォンの姿のまま、私たちを抱きかかえるようにして体を丸めた。
鷲の翼は見た目より滑らかで、包まれるととても温かい。
ふかふかの羽根に体を預けた私は、すぐに眠気に襲われた。
(ロビンスさんみたいに優しい悪魔もいると知っていたら、ダークのお母様は心を病まなかったかしら……)
難しい問題だ。
彼女は愛する夫との子どもが欲しかった。けれど、お腹の中に宿ったのは悪魔だった。夫婦のどちらとも由縁がない。しかし出産した以上、自分は確かに母親である。
行き場を失った愛情が、彼女を苦しめたに違いない。
愛したい。愛せない。
おお、神よ。どうしたらあの子を。ダークを。
――地獄に送り返せる?
目蓋を開けると、窓際にリーズとダークが立っていた。ロビンスは毛を逆立て、目覚めたばかりのダムとディー、ジャックは眠そうな目をこすっている。
「何かあったの?」
私はかけた。険しい表情でダークが振り向く。
「芝生広場にキャタピラ校長と教師たちが。ライオン寮の監督生君を座らせて、生徒たちを集めているようだ」
私も階下を覗く。芝生広場の中央に縄で縛られたチャールズが座らされていて、周囲を丸く囲むように生徒が集まっている。
校長は、生徒たちに「石を持つのじゃ」と命じた。
「この監督生は自らの立場を利用して偉ぶっていた。不満をためている生徒も多かろう。今日は鞭打ちではなく、石投げで粛正を行う!」
「どうしてそんなことを……」
チャールズは監督生を笠に着て威張ることなんてなかった。
生徒の身代わりになって体罰を受け入れるような、崇高な精神を持つ人格者だ。
彼に恩のある生徒たちは戸惑っている。石を投げる者なんて一人もいなくて、勇敢にも「何かの間違いでは」と校長を説得しようとする者もいた。
しかし、校長はその生徒を退けて宣言した。
「石を投げない者は鞭で打つ」
すると、生徒たちの顔つきが変わった。
痛い思いをするのは嫌だと、ぽつぽつと石を拾う者も出てきた。
リーズは、呆れ顔で校長の人心掌握術を褒めた。
「罰を与えられたくなかったら罪を犯せなんて、性根が腐った大人の発想ねぇ。倫理観の育ってない少年たちを焚きつけるには、絶好の方法だけど」
「語ってる場合じゃないわ。チャールズさんを助けにいかないと!」
『待って』
階段へ向かおうとする私を、ロビンスは翼を広げて止めた。
『おれが連れていくよ。背中に乗って』
「でも、それではその姿をみんなに見られてしまうわ」
『見られても平気だよ。友達を助けられない方がずっと辛い』
ロビンスは覚悟を決めていた。それなら、私に言うことはない。
私は助走をつけて彼の背に飛びつく。
「行きましょう!」
ロビンスは獣の足で床を蹴った。
窓のはまっていた壁に体当たりして、一面を破壊して表に躍り出る。
羽根にしがみついた私は、胃が持ち上がるような浮遊感に襲われた。
しかし高度は落ちない。ロビンスが翼を広げて、吹きすさぶ海風に乗ったのだ。
体を起こした私は、遠くに浮かぶ太陽と、その光を受けてキラキラ輝く海面を見た。
(私、空を飛んでる)
衝撃に顔を上げた生徒たちは、鷲とライオンを繋ぎ合わせた怪物と、それにまたがった私を見て騒いだ。
校長や教師たち、チャールズはあっけに取られている。
『ちゃんと掴まってて!』
ロビンスは、空気の波をかき分けるように翼を斜め後ろに払った。頭が傾いだと思ったら、あっという間に上下が逆転して、猛烈なスピードで急降下する。
「――っ!」
悲鳴を上げそうになりながらも、私は必死でしがみついた。
旋回しながら勢いづくロビンスは、地上付近でふわっと体勢を立て直し、チャールズの後方に降り立った。
ばさっと翼を動かすと、突風が起きて生徒たちは吹き飛ばされる。
大混乱の中、チャールズは信じられないような、それでいて感激したような顔でロビンスを見上げた。
「悪魔グリフォン……と、アリス嬢?」
「助けに来ましたわ! 仲間も一緒です!」
頭上では、残してきた五人も飛び降りたところだった。
ダムとディーは武器を手にした臨戦態勢で、ジャックはサーベルを抜きながら、リーズは帽子を掴むダークを抱き上げた格好で落下して、膝をクッションにして着地した。
あの高さから落ちて怪我一つしない彼らに、教師たちはどよめいている。
私はロビンスから下りて彼らの先頭に立ち、キャタピラ校長に向き合った。
「チャールズさんを攻撃するのは止めなさい。あなたの標的は私たちのはずよ」
「フー。儂に歯向かうとはいい度胸じゃ。グリフォン、そいつらを食い殺してしまえ」
『いやだ……』
ロビンスはぶんぶんと首を振った。
『おれ、誰も殺したくない。アリスちゃんも、ダークもジャックも、トゥイードルズもリーズ先生もみんな大事だ。チャールズみたいに、おれだってみんなを守りたいよ!』
精いっぱい主張するロビンスの声は震えていた。
反抗期の子どもが親に立てつく時の苦しさや怖さを、きっと悪魔なりに感じている。
「その声……」
思いがけず聞こえた親友の声に、チャールズの瞳が瞬いた。
「ロビンスなのか?」
『!』
ロビンスはビクッと肩を揺らした。気まずそうに顔を背けて、小さく頷く。
すると、チャールズは眉をひそめた。
「どうして言ってくれなかった。私を助けたのは自分だと!」
『どう言い出したらいいのか分かんなかったんだよ。それに、悪魔は人間に嫌われているし……』
チャールズは「そんなもの私には関係ない」と言い切り、縛られた体をよじってロビンスの方に体を向けた。
「ずっと探していたんだ。お前がいなかったら私は死んでいた。私に未来を与えてくれたのは、お前だ」
チャールズはふらつく足で立ち上がると、ロビンスの胸元にぽすっと顔を埋めた。
「助けてくれてありがとう、ロビンス」
『……うん。うん……』
感謝のこもった言葉を、ロビンスは噛みしめるように聞いた。
そして、先ほどとは違った強い目つきで校長を見すえた。
『絶対にあなたの命令には従わない。おれは、ここにいるチャールズや他の生徒たち、このアーク校を守ってみせる!』
「のん気なことは言ってられぬじゃろう。――デウス・オルド・セクロールム――」
唱えられた呪文に、私ははっとする。
(悪魔学で習った呪文だわ!)
校長が唱えた瞬間、ロビンスの瞳の色が金色から底知れない黒へと変わった。
さっきのは、悪魔を調伏するための言葉だ。ダークには効かなかったが、契約書の持ち主から命じられたロビンスはひとたまりもない。
目を吊り上げ、嘴を大きく開けて咆哮する。
『ガァアアアアア!』
「どうたんだ、ロビンス!」
「様子がおかしいわ。離れて」
私は、チャールズの手を引いてロビンスから遠ざかった。
「ロビンスさんは、契約書を持っている校長には逆らえないの。私たちでそれを見つけて彼を解放しましょう。ダム、ディー、お願い!」
「「りょーかい」」
我を無くして暴れるロビンスに、ダムとディーが戦闘をしかける。
直接切りかかるダムと、その死角をついて矢を打ち込むディーの連携は完璧だ。
しかし、ナイフも矢も嘴や爪であっさり振り払われる。
「お嬢、怪我してないか。監督生も、よく耐えたな」
駆け寄ってきたジャックがサーベルで縄を切る。
手慣れた仕草に、チャールズは驚いた。
「お前たちはいったい……。いや、今はそれどころじゃない。契約書というのは、初代の城主がグリフォンと交わした物だな。城主は契約書を盗まれることがないように、マントの内側に張り付けて過ごしていたそうだ。そこが一番安全なのだという手記が、図書室に残っていた」
「校長はどこに隠しているのかしら」
ロビンスの話では、校内をくまなく探し回ったが見つからなかったそうだ。
どこかに秘密の隠し場所があるはず。
(そういえば、校長はいつも同じローブを着ているわね)
キャタピラ校長は、長いローブをずるずると床に擦って歩く。
そのせいで端が擦り切れているのに新調しない。
かつての城主がそうだったように身に着けているとしたら、たぶんあそこだ。
私は、チャールズをリーズに預けて、待機していたダークを呼んだ。
「契約書は、たぶん校長のローブの内側よ。私たちで始末するわ。あなたはロビンスさんをお願い。傷つけずに動きを封じられるかしら?」
「そういうのは大得意だ」
ダークは帽子に片手を添えたまま、ステッキを水平に構えた。
ツバから覗く青い瞳が、内側に炎でもあるようにキラリと輝く。
「悪魔グリフォン。俺と力試しをしようか」
ステッキの先から青白い光線が放たれた。
砲弾のようにロビンスに向かっていった光は、かざされた翼にぶつかって球状に広がり、彼を覆いつくして地面にくっついた。
光でできた鳥籠だ。閉じ込められたロビンスはがむしゃらに暴れる。
校長は、まさかグリフォンを封じられるとは思わずうろたえた。
「これでいいかな」
「十分よ」
私は、空に両手を伸ばして願った。
「――どうか、不死者たちを解き放って――」




