三話 ハロウィンには毒林檎を添えて
林檎食い競争の出場者が決まった。
ライオン寮は私とダムとディー。
ユニコーン寮はジャックとダークと足の速い生徒だという。
ダークは最後まで出場をためらっていたが、双子に直々にお願いされて折れた。
そして迎えたハロウィン当日。
生徒たちは思い思いの仮装をして寮を出て、ある者はご馳走がある食堂へ、ある者はクリケットに興じに運動場へ、そして林檎食い競争の観戦にと繰り出した。
「活気があるわね」
髪を三つ編みにして赤いケープを被った私は、試合会場の芝生広場にいた。
持ってきたワンピースを改造して作った衣装の上に、これまた私物のケープを羽織っているだけだけど、一応〝赤ずきん〟の仮装だ。
隣にいるジャックは〝狼男〟である。
大きな獣耳と尻尾は、毛糸で作ってあるとは思えない完成度だ。普段着のシャツに茶色のベストを合わせ、手にはフェルト素材の爪を張り付けた手袋をはめている。
「林檎食い競争ってなんだと思っていたが、あれを口で取るのか」
視線の先には、手作り感あふれる木のスタンドがあり、糸で吊るされた林檎が揺れている。糸の長さがばらばらなのは、走者の身長に合わせているためである。
林檎は真っ赤に熟れきる直前で、少し黄色が差している。
「あ? あいつらまたお嬢を見てやがる!」
ジャックが狼ばりに威嚇して他の生徒を遠ざけた。
控室代わりのテントに近付くと、中からリーズが出てきた。
頭や首に巻いた包帯がひらひらとはためく。彼の仮装は〝ミイラ男〟だ。
白衣を着ているので、若干キャラ付けに困る。
「二人とも、会場の下見は済んだの?」
「ええ。イメージトレーニングもばっちりよ」
チャールズに聞いた必勝法は、最初の一口でしっかり噛みつくこと。噛みつきそこねると林檎が揺れて、再度歯を立てるのに苦労するのだそうだ。
「赤ずきんだ」
「狼だ」
テントから、チャイナ風の衣装を着た双子が現れた。
彼らの仮装は〝キョンシー〟だ。
目の下を青くしたメイクと、布量たっぷりの大袖が目を引く。
頭には、どんぶりを逆さにしたような中華帽を被っていて、巻いた腰布にそれぞれの武器を小道具っぽく挟んでいるのもポイントだ。
「ダム、ディー、なんて可愛いの……!」
私は我を忘れて身もだえた。
リーズも拍手で褒めたたえる。
「さすがイケメンは違うわね。とても寮にあったタペストリーとクッションカバーからできているとは思えないわ」
「オレの力作だからな」
ジャックが自慢げに鼻の下をこすった。
私たちの衣装は、ほぼ全てジャックが仕立ててくれたのである。
さすがリデル男爵家の執事。手先が器用だ。
双子はまんざらでもない顔で、私の周りにまとわりつく。
「「アリスもかわいいよ」」
「ありがとう。ダム、腰紐が解けそうだわ。結んであげるわね」
蝶々結びを作っていく手の動きを、ダムとディーはじっと見つめる。
熱心な視線に、私はふふっと笑ってしまった。
「二人とも、私の指を追う癖があるわよね」
大きくなっても体に染みついた習慣は変わらない。姿形は変わっていくけれど、その人が生きてきた証はちょっとやそっとで消えやしないのだ。
にこにこしていたら、双子は不満そうに口を逆三角形にした。
「子ども扱いよくない」
「下剋上も辞さない」
「きゃあ!」
こちょこちょくすぐられて、私は笑い出す。
見かねて止めてくれたのは、あさっての方向からの声だった。
「愛する双子たち、アリスに悪戯するのはやめたまえ」
鈴を転がすような声と共に現れたのは、ばっちり仮装を決めたダークだった。
テーマは〝吸血鬼〟。衣装はダークの私物だ。
スペンサージャケットは黒く、白いフリルブラウスと真っ赤なスカーフタイが目立つ。ズボンはロングブーツに押し込めていて、機動性もよさそうだ。
上着は成人サイズだが、後ろの編み上げを絞ることでぴったりサイズに見せている。
とはいえ袖が長すぎるので、アームバンドを二の腕にはめて疑似的にマトンスリーブを作っていた。
仮装の完成度を底上げしているのは、頭に剥き出しになった二本の角だろう。
風葬の後に残った骨を思わせる乳白色は、作り物とは思えない迫力を放っていた。
「ダーク、その姿でみんなの前に出て平気? 無理してない?」
みんなが仮装をしていれば、本物の悪魔が紛れ込んでいるとは誰も思わない。
しかし、その証である角を人目にさらすには、特大の勇気がいるはずだ。
心配する私に、ダークは落っこちそうなほど大きなサファイヤの瞳をきらめかせた。
「心配には及ばないよ、俺が角を剥き出しにしていれば、グリフォンもどこかで接触してくるはずだ。生徒の危機に駆けつけてくると言うことは、常に学校全体を監視しているだろうからね。呼び寄せて、場合によっては痛めつけることも辞さない。それに――」
挑発するようにダークは双子に微笑みかける。
「君を独占するためには本気でいかないと」
不敵な表情にドキリとする私を、ダムとディーはぐいっと抱き寄せた。
「「負けないから」」
三人の間にバチバチと火花が散る。
そのまま、リーズ以外の全員でスタート地点へ向かった。
白線の横では、衣装の用意が間に合わなかったロビンスが、シーツを頭から被って「前が見えないよ!」と騒いでは周囲の生徒に笑われている。
しまいには、鋏を持ってきてもらって穴を開け始めた。
「うわぁっ。切りすぎちゃった!」
ドッと笑いが起きた。お化けの口を作ろうとして切りすぎてしまったようだ。
「もういいや、これで。急だけど、ユニコーン寮はねん挫した選手に代わって、おれが代走を務めるよ。よろしくね!」
ロビンスは、シーツの穴から顔を出して試合のルールを説明した。
「六人が一列に並んで、いっせいにスタートするよ。自分のレーンにある林檎を口にくわえて、ゴールテープを切った順番で勝者が決まる。林檎に手で触れたり、齧りそこねて落としたりしたら失格だから気をつけてね」
走る距離は、直線で三十メートル。
林檎をくわえて駆け抜けるには、足の速さと顎の強さが必要だ。
レーンの並びは右から、ダム、ロビンス、ディー、ダーク、私、ジャックの順である。
ダークとジャックの林檎は、かなり低い位置に吊るされている。
私の林檎は高めで、少しジャンプしないと届かないかもしれない。
こちらには背の高いダムとディーがいるので、私が苦戦しても何とかしてくれそうなのが救いである。
「そろそろ始めよう」
暗くなりかけた空を見上げて、チャールズが号令をかけた。
生徒は会場を囲み、所属する寮を応援する。
私は心を落ち着けながら、彼らの声援がグリフォンまで届くように願った。
片足を前に出してスタートの合図を待つ。
審判を務めるチャールズが片手をあげる。
「いちについて、よーい」
ひりひりするような緊張感の中、手が振り下ろされた。
ドン! 号令と同時に、服をくんと引かれる。
「え!?」
後ろを振り向くと、ジャックがスカートを掴んでいた。
「お嬢、悪いな。これがユニコーン寮の戦法だ。この試合、相手チームを妨害しても失格にはならない」
「なんですって!?」
そんなルールは聞いてない。前を見ると、ダークはディーを通せんぼしている。
全力で走っているのはダムとロビンスだけだ。
足の長さでダムが有利に見えたが、白い布をひるがえしてロビンスが前に出た。
(速い!)
クリケットで鍛えた脚力と身軽さで、ロビンスは誰より早くスタンドへたどり着いた。
ぴょんと跳ねて林檎に噛みつき、両足で地面に降りる。
ユニコーン寮有利だ!
ギャラリーは盛り上がるが、彼は走り出さなかった。
それどころか、くわえた林檎をペッと地面に落とし、自分の林檎に齧りつく寸前のダムに飛びついた。
いきなりタックルされたダムは、苛立った顔をロビンスに向ける。
「なに?」
「噛んだらだめだ。これは毒林檎だよ!」
「どういうことですか」
ジャックに手を引かれて駆けつけた私に、ロビンスは必死に訴えた。
「林檎に似てるけど、これはマンチニールっていう木になる実だ。噛んだらたちまち口の中が焼けついて、痛みで水も飲めなくなっちゃう猛毒なんだよ。毒にあてられて死ぬ人もいるんだ。本当は青い実のはずなんだけど……」
「赤く塗られていたようだ」
ダークはしゃがんで地面に転がった実を観察していた。
歯型に白い果肉がこそぎ取られて、周辺の塗装がはがれ、青い皮が覗いている。
「誰がこんなことを……」
おののく私たちの元へ、リーズとチャールズが駆けつけてきた。
「どうした!」
「チャールズ。これマンチニールの実だよ。誰が用意したの?」
「試合用の林檎は校長先生が用意してくださる。例年通り、アーク校の敷地に植えられた木から採れた物が使われているはずだ」
「マンチニールの実を間違って採ってしまったのでしょうか?」
私の推理を、チャールズは暗い顔で否定する。
「その木は寒い地域には自生しない。恐らく島の外から持ち込まれたんだろう。貨物船の積み荷は、全て校長先生が管理している……」
「校長先生が、私たちを殺そうとしたんですね」
命を狙われる心当たりは一つしかない。
私たちが不死者を解放しようとしたのがバレたのだ。
チャールズは立ち上がって、ざわつく生徒たちに呼びかけた。
「林檎が渋くて噛めないそうだ。今年の勝負は引き分けとする」
応援席では、落胆の声があがった。
「会場の片づけは明日行うので、このまま放置しておくように。勝った寮の者が食べられるお菓子は、今年は全員で分けることにする」
全員が食べられると聞いて、生徒たちは楽しそうに食堂へ向かい始めた。
チャールズは彼らに背を向けて、深刻さを隠した。
「……私はユニコーン寮にロビンスを休ませに行く。君たちはライオン寮へ戻れ。決して一人にならないように。リーズ先生、彼らを頼めますか」
「任せて。貴方たちも気をつけるのよ」
チャールズはこくりと頷いて、ロビンスと歩いて行った。
ロビンスは歩行も会話も問題なくできている。猛毒を噛んだ後とは思えない。
本当は毒なんてないのだろうか。
地面に転がる実に手を伸ばしたが、先にダークに取られてしまった。
「君は触れない方がいい」
果汁に触れたダークの指先は、あっという間に赤くなる。
「なに平然と握ってんだ!」
ジャックが叩き落とすが、毒素で荒れた肌はただれてしまっていた。
ダークはまったく痛みを感じていないような顔で手を広げる。
「魔力で浸食を食い止めてもこれだ。この毒では、噛みついた人間が平気でいられるはずがない」
「人間では耐えられないというの?」
私の頭の中で、これまで集めた情報が、パズルのように繋がっていく。
ダークたちの成長をおかしくした罠の悪魔。
孤島に棲むという伝説の怪物。
生きているはずのない校長と教師陣。
不憫な生徒とそれを守るグリフォン。
そして、毒の効かない監督生――。
「分かってしまったわ……」
難問ほど、解けると拍子抜けするものだ。
このアーク校にひそむ悪魔の正体も、善と悪、相反する二つの要素が折り重なって分かりにくくなっていただけ。
人間のように、どちらも持ち合わせている可能性に、最初から思い当たるべきだった。
「グリフォンを迎えに行きましょう。罪人を業火の向こうへ送るために」
私はそう言って、古城の上階をねめつけた。
ろくでなしの悪魔を地獄へ堕とすのは、どれほどか気持ちいいだろう。




