一話 深夜零時のチェイス
ドラゴンのうなり声のような雷鳴が轟く夜、私は足音を立てないように気をつけながら古城の階段を上っていた。
ランタンは持っていないが、暗がりに慣れている私の足は軽やかだ。
小さい時から闇は味方だ。
それに今は、頼もしい仲間も勢ぞろいしている。
前方にはリーズがいて、両側に双子、すぐ後ろにダークとジャック。
みんな制服を着ているので、陰の大群が移動している風にも見えるだろう。
「さあて、可愛い子猫ちゃんたち。ここからは各自で動いてもらうわよ」
剣が三本飾られた踊り場で立ち止まったリーズは、鍵束を私に握らせた。
「教師たちは大部屋にベッドを並べて仲良くおねんねしてるわ。場所は分かるわね?」
「もちろんよ。ターゲットには私とダークが接触するわ。ジャックはこの階段を退路として確保していて。リーズはキャタピラ校長に張り付いていてちょうだい」
キャタピラ校長だけは、校長室の隣の部屋で眠っているらしい。
「もしも校長が悪魔なら、教師が不死状態を解除されたのに気づいて現れるかもしれないもの。異変があったら、各自すみやかに退路を下りて、礼拝堂へ駆け込んで」
「礼拝堂には、昼間のうちに俺の紋章を仕込ませてもらった。せいぜい気づかれないように誘い込んでくれたまえ」
ステッキを小脇に抱えたダークは、角を剥き出しにしている。
帽子を被ると視界が塞がれるため、部屋に置いてきたのだ。
最初こそ悪魔の証を出すことに葛藤していたが、突破口を与えたのは双子の格言だった。
『角隠して命隠さず』
『角あれば憂いなし』
角を隠すことに気を取られてはいけないし、角がある悪魔だからこそダークは頼りになる、と伝えたかったようだ。
直球の励ましに、ダークは奮い立って帽子を手放した。
愛する双子に弱いところを見せられないと、彼なりの矜持もあったようだ。
一人の悪魔を救った双子は、素知らぬ顔で今回の作戦に参加している。
「「僕らは?」」
黄色い髪を揺らして尋ねた二人に、私は手を差し出した。
「あなたたちは私の護衛よ。烙印を使っている間、誰も近づけてはならないわ。人間も、悪魔も、それ以外もね」
暗に殺せと命じる。
双子は、眉一つ動かさずにコクリと頷いて、私の親指と小指をつまんだ。
リーズが手を重ね、上からジャックの小さな手が押す。
「「「すべてアリスの意のままに」」」
任務遂行を誓いあった私たちは、不思議な一体感に包まれた。
たとえ死地であろうとも進んでいける絆を宿したリデル一家を、ダークが微笑ましく見つめている。
自分も入れてと言い出さない彼を、私は好ましく思う。つまり彼は、この儀式が私たちにとってどれほど大切か、理解しているということだもの。
「それじゃあ、アタシたちはここでお別れね」
「お嬢、双子、気をつけろよ。ナイトレイも」
別れを告げたリーズとジャックは、瞬く間に闇へ溶け込んでいった。
四階に上がった私たちは、教師たちが眠る部屋へまっすぐ向かう。
「ここがその部屋よ。一番近くのベッドから烙印を使っていくわ」
小声で説明しながら鍵を開ける。
カチャカチャという物音は、本格的に振り出した雨音がかき消してくれた。
ダムとディーに退路を頼み、ダークと二人でベッドに近づく。
鼻ちょうちんを膨らましていたのは、正字学の担当教師だった。ひょうきんな性格が人気の先生だ。
私は、彼の授業を思い出して胸を痛めた。
彼の名前も校史に記載されていた。不死の術にかかっているとすれば、私の異能で解除したとたんに死んでしまうはずだ。
ごめんなさい、先生。恨み言は地獄で聞きますから……。
ダークに目配せした後、私は目を閉じて意識を集中した。
脳裏に三日月の紋章を描き出すと、烙印を焼き付けられた胸元が火照る。
(──どうか、アーク校に囚われた不死者を解き放って──)
服をすり抜けて、胸元から光の帯が伸びた。
幾重にもたゆたった光は、ベッドごと教師を繭のように包んでいく。
「っ!?」
急に背中がゾクリとした。頭の中で赤いエマージェンシーランプがきらめく。これは危機感。近くに強大な敵がいると全身全霊で知らせている。
ばっと振り向くと、視界いっぱいに藁色が広がった。
(なに?)
よく見れば、それは獣の足。
私の顔から二十センチほどの位置に、発達した肉食獣の足が浮いていた。
ドクドクと騒ぐ鼓動に耳を傾けながら、ゆっくり天井を仰いでいく。
頭上にいたのは、奇想天外な異形だった。
ライオンの体に鷲の頭と翼がついている。鋭い瞳は金色だ。
獲物を狙うような目でこちらを見下ろしていた。
「動くな」
ダークがステッキを掲げた。
頭の角に目を留めた怪物は、驚いた声で漏らす。
『君は悪魔だったのか……』
見た目は怪物でも、人間の言語が通じるようだ。
(交渉できるかしら?)
とっさに考えた私だったが、間髪入れずに真横から黒い影が飛びかかった。
「戦闘は先手必勝」
仕掛けたのはダムだ。
私がダークに飛びついて床に転がるのと同時に、怪物は翼を羽ばたかせて天井へ舞い上がった。
ディーはその動きを追ってボウガンを放つ。
「後援は不言実行。アリスは?」
「もちろん総員退避よ!」
教師たちも起き出したし仕方ない。
私は、ダークの手を掴んで廊下に飛び出した。
続けてダムが、ディーが転がり出てきて、全員でジャックが待つ階段へ向かって走る。
少し遅れて、後方から羽音が聞こえてきた。怪物が追いかけてきたのだ。
生死をかけた追いかけっこのスタートである。
怪物は右側の翼が破けている。
廊下が狭いこともあってスピードは思ったより速くない。
(階段に逃げ込めば逃げられるわ!)
「う、わっ」
ダークの足がもつれた。
以前より歩幅が狭いのに加え、引きこもり生活で筋力が衰えているせいだ。
私のこめかみを嫌な汗が伝う。
リデル一家でもっとも優先されるのは私の安全だ。リーズもジャックも双子ですらも、有事の際には身を挺して私を生かそうとする。
けれど、私にとってもっとも大切な存在はダークだ。
みんなが私を守ってくれるように、私は彼を守りたい。
そのためには走るだけではいけない。どこかで大胆な行動に出ないと、階段に着くまでに追いつかれる。
びゅうッと頭上を風が通り過ぎて、前方に怪物が降り立った。
「なっ!?」
階段への通路を塞がれてしまった。
私は足に急ブレーキをかけて、ダークを抱きとめる。
ダムとディーは私たちを背にかばって、それぞれ武器をかまえた。
「「アリス、別の階段に」」
「双子も一緒だ。あれは俺が止める」
ダークがステッキを振るうと、先から光の粒子が流れ出て、怪物と私たちの間に紋章の壁を作った。
怪物は、光の壁に体当たりしはじめる。
ドン、ドンと重たい音が響くたびに、紋章に亀裂が走っていく。
「長時間は持たないようだ」
「こっちへ!」
私たちは方向転換して横道へ入った。
オオコウモリのはく製が飾られた廊下を走り、ピアノのある舞踏室に入る。
走り抜けようとした私は、開きっぱなしになっていた扉に気づいた。
(ここなら怪物を足止めできるわ)
鍵をかけられるのは、こちら側からだけ。
「ダム、ダークを抱いて走って! ディーは、ジャックとリーズを回収して礼拝堂へ!」
「「りょうかい」」
ダークを抱き上げたダム、ディーが部屋を出たのを確認して、私は巨大な扉を閉じた。
大急ぎで鍵をかけると、事態に気づいた双子が戻ってくる。
「「アリス?」」
「いいから! ここは私に任せて先に行って!」
必死に呼びかけたら、困惑したツッコミが返ってきた。
「アリス、それ」
「死亡フラグ」
「あっ!」
私は青くなった。パニック映画にありがちな、迫りくる危機から仲間を助けるために自己犠牲するキャラみたいなことを無意識にかましてしまった。
「だ、大丈夫だから! 礼拝堂で逢いましょう!!」
お別れを告げた私は、扉を離れて辺りを見回した。
(隠れられる場所を見つけないと)
壊れたピアノは当てにならない。足の折れた椅子も同様だ。
「そうだわ!」
ライオンとユニコーンが彫られた扉があったのを思い出して、私は奥へ走った。
鍵束から金と銀、二つの鍵を選んで差し入れる。
簡単に鍵は回り、ギイッと音を立てて扉が開いた。
とにもかくにも中に入って扉を閉ざす。
ちょうど怪物が舞踏室に飛び込んできたが、こちらには気づかなかったようだ。
(ダークたち、さっさと礼拝堂へ向かっているといいけど……)
怪物が扉を破ってきた場合に備えて、私はさらに奥へと急いだ。
短い廊下の先に小さな木の階段がある。ここが五階へ上る通路だったようだ。
足音を立てないように駆け上がる。
「ここは……回廊?」




