三話 誰が彼女を殺したの?
重たい幕開けにアリスがたじろいだが、俺は続ける。
「彼は交霊術で悪魔を召喚して妻の体に宿らせた。十月十日後に生まれた男の子は、二本の角がある悪魔だった。産んだ妻はそれを見て発狂した」
彼女は夫が悪魔を召喚したことを知らなかった。
自然に妊娠したと思い込んでいたので、生まれ落ちた悪魔を自分の子どもだと認められなかったのだ。
「俺は母親に『化け物』と呼ばれて育った」
「酷い言葉だわ……」
アリスの顔が曇る。
彼女は両親にも使用人にも愛されていたから、想像しにくいのだろう。
たった一人の母親から罵られる人生を。
「母は俺を見ると泣き叫ぶので、数える程度しか姿を見たことはなかったよ。俺はトゥイードルズくらいの年齢になっても角を隠せなくて、いよいよ困った父はリデル男爵が悪魔に詳しいと聞きつけて俺を預けた。そこで君と出会ったね。それに、やっと角を隠せるようになった。俺は嬉しくて、領地に帰ると真っ先に母のもとへ行ったんだ」
忌々しい角がなくなった俺を見て、母は喜んでくれるはずだ。
自慢の息子だと認めてくれるはずだ。
領主の城ではなく別邸で暮らしていた母は、俺が帽子を外して駆け寄っていくと、みるみる青ざめた。
『――何をしにきた、この化け物!』
「角は隠してあったのに?」
「母にとって角は問題ではなかったんだ。彼女にとっての俺は、自分の子宮に住み着いた〝悪魔〟であって息子ではなかった。俺は、角さえなければ愛されるはずだと必死だったけれど、そんなの母には関係なかったのさ」
その後、俺は一生分の罵詈雑言を聞いた。
――角を隠して人間を騙すつもりか。お前なんか産みたくなかった。私が不幸なのはお前のせいだ。死ね、死ね、死ね――
それらはアリスの耳に入れるのははばかられたので、やんわりと濁しておく。
シーツから半分顔を出した彼女は、心配そうに俺を見つめる。
「その後、お母様はどうされたの?」
「死んでしまったよ。俺をたくさん罵ったせいで、心臓発作を起こしたんだ」
壊れた機械のように急に静かになった母は、ばたんと倒れた。
俺は母を抱き起して呼びかけた。
――お母様、大丈夫ですか。僕です、ダークです!
必死の呼びかけに何を思ったのか、苦しそうに顔を歪めていた母は、最期の力を振り絞って俺の顔を覗きこみ、そして――
『お前さえ生まなければ』
そう言って、力尽きだ。
目の前が真っ暗になった。もう何をしても愛してもらえない。
いいや、初めから無理だったのだ。
角があっても、なくても、母にとって俺は息子ではなかったのだから。
「父もじいやも事故だと言ってくれた。だが、俺は自分が母を殺したと思っているよ」
それは違うわ!
アリスならそう言うような気がして寂しくなった。
同情はいらない。
俺は、彼女に自分について知ってほしいだけ。
今さら責任の所在を別にしたって、母が俺を罵って死んだ事実は変わらない。
俺はこの罪を背負って生きるつもりだ。責任逃れのための慰めなんて必要なかった。
反応を待っていると、ヘビーな昔話に閉口していたアリスは、
「それは辛いわね」
とだけ言った。
ずいぶんとあっさりしていたので、俺はきょとんとしてしまう。
「それだけかい?」
「ええ。あなたは自分で自分を罰すると決めて生きてきたのでしょう。それを否定するのは他人のエゴだわ。贖罪のために長い間生きてきた人の無実を証明したって、罪を被るよりみじめな気持ちになるだけよ」
「……そうか。そうだよね、君はそういう子だった」
あっけらかんとしているアリスがおかしくて、俺は声を出して笑った。
涙目で体を震わせる俺を、彼女は不服そうに見つめてくる。
「あなた、また私を笑ったわね」
「ごめん。嬉しかったんだ、本当に」
アリスは、いつでも予想のはるか上をいく言葉を返してくる。並大抵のことには動じない胆力があるし、同情が時として刃になることも知っている。
俺が母殺しの悪魔でも、アリスは何も変わらない。
彼女を知るごとに、もっともっと好きになる。
体を満たしていた不快な感情が、彼女への恋心で押し流されていく。
「アリス、次に俺が君を傷つけた時は、ためらわずに殺してくれ」
「あら、そのつもりよ」
アリスはポシェットから取り出した拳銃を、俺の額に当ててうっとりと笑う。
「もしもあなたが裏切ったら、その頭に角より目立つ風穴が開くわ。覚悟してね」
拳銃をかまえる姿は、まさしく悪女だ。
いや、彼女の年齢を考慮すると〝悪役令嬢〟の方がふさわしい。
「はぁ……。アリス、離れている間に募った想いを吐き出してもいいだろうか? そういうところも好きだよ」
「許可を得る前に話さないでくださらない?」
「それは失礼。自分の話ばかりする紳士は嫌われるね」
おどけてみせると、アリスは「調子が戻ってきたみたいね」と武器を下ろした。
「ご機嫌ついでに聞いてくれない。罠の悪魔が見つかりそうなの。私の推理では、校長か教師のうちの誰かだわ」
アリスが語ってくれたのは、教師たちが悪魔の術によって不死者になっているのではないかという疑惑だった。
噂の出どころは生徒であり、開校時に同名の校長と教師がいることは確認済みだという。
「問題は悪魔を見つけた後なの。術を解かせるには、こちらが優位に立つ必要があるでしょう。でも、悪魔に悪魔の子の異能は通用しない。ダークが頼りなのだけれど、その姿でも戦える?」
「問題ないよ。悪魔の力は体の大きさには比例しないからね」
悪魔は序列によって強さが決まる。
薔薇の悪魔ベルナルド、鏡の悪魔スージーは、地獄では貴族なのだ。
俺も地獄で生まれていたら、彼らのように立派に人間を屠る悪魔になっていただろう。
「悪魔を陥れる時は俺も行くよ」
「ありがとう。とっても心強いわ!」
喜ぶ顔も可愛いなと思いながら、俺は近くに置いたステッキに触れる。
教師陣の中に罠の悪魔がいるなら、ユニコーン寮に入ってから絶えず感じている気配は何なのだろう。
わずかな違和感は隠したまま、俺はアリスの計画に耳を傾けた。




