† † 英国紳士の懺悔 † †
──眠れない。
目蓋を開けた俺は、体に絡まるシーツを解いて寝返りを打った。
人の気配がない部屋は、温度も雰囲気も寒々しい。
ジャック君と二人で使っている部屋だけど、アリスが訪ねてきた日から、彼は監督生であるロビンスのところで眠るようになった。
アリスを手酷く追い返した俺に怒っているらしい。
以前の彼なら寮ごと燃やし尽くしただろうが、切り裂きジャック事件の後から少しずつ怒りをコントロールできるようになってきている。
成長目覚ましい彼に対して、俺は逃げ回り引きこもり、あげくの果てに恋人にすら当たり散らした。
頭に指を這わせると、骨ばった突起にぶつかる。
「全てこれのせいだ」
夢から覚めるたびに、角が消えていないか確認してしまう。
小さな頃の癖が、体の成長が戻ったせいで再発した。
情けない。こんな姿はアリスに見せられない。
ふわっとカーテンが揺れた。やけに寒いと思ったら窓が空いていたようだ。
起き上がってカーテンを引いた俺は、いきなり飛び込んできた人影に押し倒された。
「わっ」
尻もちをついて、そうっと薄目を開ける。
はためくカーテンの真下で、かすかな星明りに照らされていたのは、血のように真っ赤な髪を夜風に揺らした少女だった。
ここにいるはずのない人物に、俺はしばらくあっけに取られた。
「……アリス」
「こんばんは、ダーク。今日はシーツを被っていないのね」
すっかり角を隠すのを忘れていた。慌ててベッドからシーツをはぎ取り、頭に被って背を向けるが、彼女は俺から視線を外さなかった。
「どうやって二階に……いや、君とは話すことはない。出て行ってくれ」
「あなたにはなくても私にはあるわ。ダーク、私、ダムとディーとキスしてきたの」
あまりにサラリと言われたものだから、反応が遅れた。
「トゥイードルズと……」
双子はよくアリスに親愛のキスをする。
おはよう、お休み、それ以外の時も。
けれど、アリスがしてきたというキスがそんな可愛らしいものではないことは、思考停止しそうになる俺にも分かった。
裏切りにカッとなって、気づけば俺はアリスの唇に噛みついていた。
「んんっ」
首をひねって逃げようとしたので、後頭部を乱暴に押さえつける。
漏れた声を飲み込んで、怯える舌を捕まえて、深く深く食らいつくと、アリスはくったりと脱力して俺に身をゆだねた。
こんな風に、双子にも甘えて見せたのか?
あのたくましい体にしなだれかかったと思うと、怒りで瞳がチカチカした。
胸に秘めていたアリスへの恋情が、火にかけすぎた偽ウミガメのスープみたいにドロドロに煮詰まっていく。
なぜ裏切った。
よりによって、なぜ愛しい双子なんだ。
俺は君を、こんなに愛しているのに!
頭が沸騰して我を忘れた俺は、悪魔の力でアリスの心に潜った。
俺はキスした相手の心を覗ける。
胸の奥にある感情や記憶を封じた小部屋の鍵を、主の許可なく開けられる。
一度開かれた心は脆弱だ。
何度か覗いているアリスの心も、心配になるくらいあっけなく開いて俺を招き入れた。
真っ赤なハートの奥の奥、アリスすら知らない小部屋のスクリーンに映し出された記憶は――。
「!?」
俺は驚いてアリスから離れた。
今見たものが信じられなくて、上気した顔でのぼせるアリスを穴が開くほど見つめる。
「キス、してない?」
記憶の中の三人の距離は近かった。
アリスは俺との恋が終わったと感じていた。
そこに付け入るようにしてダムとディーが迫った。
俺への当てつけに目を閉じたアリスだったが――双子は口ではなく、頬にちゅっと吸い付いた。
『ダークと仲直りできなかったら』
『僕らを恋人にしてね』
それで感極まって、アリスは泣いてしまった。
大泣きする彼女を慰めた双子は、俺と話した方がいいと説得し、ユニコーン寮の壁にはしごをかけて二階にあるこの部屋へ送り込んだのだ。
てっきり裏切られたと思い込んでいた俺は戸惑う。
「なぜ嘘をついたんだい?」
「……こうでもしないと、すぐに追い出されると思ったからよ」
アリスは俺に拒絶されないためにあえて嘘をついたと言う。
俺はそれにまんまと乗せられ、彼女の手のひらで踊らされた。
「それに、あなたに私の気持ちを伝えるなら、こっちの方が確実でしょう?」
ぐいっと引き寄せられて、今度はアリスの方から唇を重ねられた。
「あ」
柔らかな感触に頭が真っ白になった。
アリスからキスされたのは初めてだ。
瞠目していると、顔を離したアリスが恥ずかしそうに唇を尖らせる。
「私があなたをどれだけ好きか、分かってくれた?」
「……分かっているよ。前から、知っていた」
行動と相反することしか言えない自分に、苦笑いしか出ない。
「だが、これがある限り君の隣には立てないよ」
頭にある角に触れた。
ごつごつした感触は骨のようで、気持ちがズンと重くなる。
「心安らぐ時は眠っている間だけ。毎朝、鏡を見て絶望するんだ。今日もまた君に会いに行けないと……」
アリスは俺の角を『悪くない』と言ってくれた。
しかし、俺自身は悪魔の証を受け入れていなかった。
こんなもの無くなってしまえばいい。子どもの時からそう思って生きてきた。
アリスは知らないだろうが、角の根元には切り落とそうとして失敗した数だけ、ためらい傷が残っている。
彼女は本当にこれを気味悪いと思っていないのか。
俺を傷つけないために本音を押し隠しているだけじゃないのか。
劣等感と猜疑心が、体という器に溜まっていく。
体が小さくなったせいで、よりにもよって彼女の前であふれそうだ。
「人間の皮を被っていても俺は悪魔だ。いつか凶悪な本性を剥き出しにして君を困らせるかもしれない。角を消せなくなって、それを思い出した……」
声が震える。
頼りない俺を目にして、アリスも幻滅しているだろう。
誰もが賞賛する〝ナイトレイ伯爵〟は、俺が努力して作り出したものなのだ。
本当は怖がりで、人見知りで、シーツを被って閉じこもっていなければ息すらできない弱虫。
自分で自分が嫌になるのに、アリスはふふっと微笑んでくれた。
「今さら何を怖がっているの。背丈が縮んだって、角が出っぱなしになったって、あなたはダークじゃない。そもそもあなた、私が悪魔から逃げる令嬢だと思っているの?」
ポシェットを指さされて真顔になる。
そうだった。アリスは嫌なことをされたら、相手が俺でも構わずに発砲する。
彼女は、ただの心根の優しい貴族令嬢ではない。
勇敢で、高潔で、情け容赦なく鉄槌を下す、裏社会の秩序を守る処刑人だ。
もしも俺が身も心も凶暴な悪魔に変貌してしまったら、相応の罰を与えてくれる。
それなら、話してもいいかもしれない。
俺が隠してきた、真っ黒な秘密について。
「アリス、俺の昔話を聞いてもらえるだろうか」
「もちろん。私、あなたの昔のお話を聞くのは初めて」
アリスは嬉しそうだ。
ろくでもない話をするつもりの俺は、苦々しい気持ちになった。
二人でベッドに並び、アリスと二人で一枚のシーツをかぶる。
それだけで、部屋に満ちていた寒々しい空気が和らいで、喉が楽になった。
「……先代のナイトレイ伯爵は、子どもができないことに悩んでいた」




