二話 そして双子の手に堕ちた
仲良くなりたいなら昼に、相手を知りたいなら夜に話すといい。
夜は昼に比べて静かで、地表の温度が下がるので音が聞こえやすいからだ。
侍女のメアリは、音の拡散率なんて知らなかったが、夜の効能をこう語っていた。
『夜の静けさは、話し相手の警戒を解いてくれるんですよ、お嬢様。自分の心臓の音が聞こえるかもしれないと思ったら、人は嘘がつけなくなるんです』
アリスの部屋にいたリーズは、夕食を食べてきた双子と護衛を変わった。
「アタシもご飯を食べてくるわね。お嬢はぐっすりよ。起きるまで寝かしといてあげて」
「「はーい」」
椅子を背中合わせに置いて、ダムはドアに、ディーは窓に顔を向けて座った。
本当は、小さかった時みたいにベッドに転がりたいけれど、アリスを起こしてはいけない。
「ディー、アリスの寝顔が見たい」
「僕も見たいよ、ダム。でも我慢」
我がままを押し通した結果、アリスに嫌われたら目も当てられない。
ダムもディーも、大きくなれば色んなことが自由にできると思っていた。
例えば、嫌いな食べ物を残しても怒られないとか、夜更かしを当たり前にできるとか。
悪魔の術で大きくなって、これまでより少しは自由になったけれど、子どもの時には感じられなかった窮屈さが待っていた。
その最たるものが我慢だ。
ジャックやダークが、うっかりアリスに伸ばしかけた手で宙をかくのを見るたび、二人は不思議に思っていた。
アリスより体が大きいのに、どうして力ずくで手に入れようとしないの?
今ならその理由が分かる。大事な人を傷つけたくなかったのだ。
力ずくで迫っても好きな人は手に入らない。
摘んだ花を運ぶように優しく、丁重に扱わなければ、違う誰かのもとへ羽ばたいていってしまう。
「どうしたら、アリスは僕らを認めてくれるのかな?」
アリスをお姫様扱いしてしばらく経ったが、いまだに彼女はダムとディーを体が大きくなった子ども扱いしてくる。
背が高くなったら、声が低くなったら、アリスに男性として意識してもらえると信じていたダムは胸が苦しくてたまらない。
「どうしたら、元に戻れなんて言わなくなるんだろうね?」
苦しいのはディーも同じ。
幼いだけで、恋人の候補にもなれない現実に、幾度打ちのめされたか知れない。
元に戻ったら、アリスを腕の中に抱きとめられるのは五年後か十年後か。
彼女の背を追い越して、彼女を悠々と抱き上げる力を得るまでの間に、彼女は誰かのものに――花嫁になってしまう。
「僕、指をくわえて見ているのはもう嫌」
ダムは立ち上がって、寝息を立てるアリスの方へ近づく。
今はブランケットで隠れているが、カールのついた長いまつ毛も、つんと上を向いた鼻も、熟れた果実のように赤い唇も、つるんと白い肌も、アリスはどこをとっても美しい。
心も高潔で、身分も高くて、普通に生きていたら手が届かない人だ。
彼女が家族と認めてくれなければ、一緒にいられないほど尊い女の子。
しかし、ダムがアリスに抱いているのは、家族としての親愛じゃない。
欲しいキスはお休みの挨拶じゃないし、抱きついたらドキドキしてほしい。
ベッドに手をついたダムを、ベッドサイドに立ったディーがたしなめる。
「だめだよ。アリスに嫌われちゃう」
「嫌われてもいい。何も起きないよりはずっといい……」
ダムはブランケットを掴み、一思いに剥いだ。
すると、真っ赤な瞳と目が合った。
「……アリス?」
「おはよう、ダム」
――そう、私は眠っていなかったのだ。
数分前までは夢の中だったが、リーズが部屋を出ていく音で目覚めた。ほどなくして始まった双子の会話を聞きながら、メアリの言葉を思い出していた。
相手を深く知りたいなら、夜に話すといい。夜は人を素直にさせる。
隠していた本音を零れさせるにはちょうどいい。
「私に何をするつもりだったの?」
「……ごめんなさい」
二人は無言でベッドに腰かけた。
謝るということは悪戯でもしようとしたのだろう。子どもは、自分がどれだけ受け入れられているか探るため、わざと大人を困らせる行動をとる場合がある。
起き上がった私は、枕の下から拳銃を取り出して、ダムに握らせた。
「これは私が腹を割って話す証。拳銃に手が届かなければ、私はあなたたちに何をされても抵抗できない。それだけ二人を信頼しているのよ。大事な家族だもの」
すると、ディーはきゅっと眉根を寄せた。
「僕らはアリスの子どもじゃない」
「私は生んでいないけれど、リデル一家で育てていく子よ。元に戻ってほしいのは二人を愛しているからなの」
「僕らがほしいのは、その愛じゃない」
拳銃をシーツの上に置いたダムは、泣きそうな顔で私の肩に額をつけた。
黄色い髪が頬をかすめる。
その柔らかな感触は、羽根で撫でられているようだった。
「アリス、どうしたら僕らを好きになってくれるの?」
「ダークやジャックやリーズみたいに、僕らにドキドキしてくれるの?」
ダムと反対の肩に額をつけたディーの声は、細かく震えていた。
彼らをここまで追い詰めてしまったのは私だ。
私は、彼らを天使のような存在だと思っていた。彼らをこの手で守っていかなければと、いわば自分より下に見ていた。
庇護しているつもりで傷つけていたのだ。
彼らは私の無遠慮に切り刻まれないように、必死に手を繋いで自分たちを守ってきた。
「……そんなに苦しんでいるのに、私が好きなの?」
やっとのことで問いかけると、ダムとディーは顔を上げた。
私を見つめる水色の瞳は涙で濡れていた。
「うん。アリスがすき」
「だいすき」
聞き慣れた言葉の中には恋心が溶け込んでいた。
私が気づかなかっただけで、彼らはこれまでも伝えてくれていた。
好き。大好き。
精いっぱい背伸びをしながら、声にならない声で叫んでいた。
僕らを見て。僕らは君を愛してる。
それを遊びだと勘違いして、『私も』と答え続けた私は、悪魔みたいに残酷だ。
「私、どうしたらいい? どうしたら、ダムとディーは幸せになれる?」
いまだに彼らを〝可愛いトゥイードルズ〟だと思っている私が何か考えついたところで、それは彼らを切り裂く凶器にしかならない。
だから、馬鹿正直に尋ねる。
罵られても仕方がないとすら思うのに、二人は私を優しく抱きしめてくれた。
「「アリスに愛されたい」」
許しを乞うような囁きだった。
もしも私に否定されたら、一秒も生きてはいけないような声だった。
それで唐突に分かった。
彼らにとって私は神様なのだ。
自分が生きる世界を作って、何気ない日常を守って、寝ても覚めてもいつも心の中にいる存在。
決して本気で好きになってはいけない人。
そんな私に恋をしてしまったから、二人は苦しんでいる。
「ありがとう、私に恋をしてくれて」
感謝の気持ちを込めて、私は二人を抱き返した。
彼らが奥歯を噛んだ日々と比べて、なんて軽い台詞なんだろう。
でも、私は二人よりは大人だから、初めての恋が硝子細工のように儚いと知っている。
憧れを恋だと誤解するのはよくあることだ。女子高生が教師に好意を持つみたいに、幼さが招く一時の気の迷いなのだ。
ダムとディーも、成長していけば私への想いは過去の思い出になる。
それが自然だ。だから断らなければならない。
「二人の気持ちは嬉しいわ。でも、ごめんなさい。恋人にはなれないの」
「それはダークがいるから?」
「上手くいってないのに?」
「それは、そうなんだけど……」
ダークに拒絶された時を思い出して、憂うつな気持ちになる。
言われなくたって分かっている。
一度心が離れた恋人と、未来へ進んでいくのは難しいって。
ダークと私は別の列車に乗ってしまった。線路がどんな軌道を描いていても、いずれ赤い糸は切れる。
ううん。本当はもう切れちゃっているのかも。
そうでなければ、彼はフラフラする私を抱きしめて、優しい声で「俺だけ見てて」と囁いてくれるはずだもの。
「アリス、僕らから逃げないで」
「ダークじゃなくてもいいでしょ」
二人の声は甘ったるくて、さっきの決意がぐらりと揺れる。
そんな自分が何となく嫌だ。
(ダーク、助けて。私に、あなたを裏切らせないで)
心ではそう思いながら、私の心は双子の方へと傾いていた。
倦怠期の恋人にあてつける時って、たぶんこんな気持ちだろう。
なんで引き留めてくれないの。私を見ていてくれないの。あなたが優しくしてくれたなら、投げやりになったりしなかったのに。
全ての責任を彼に押し付けて、裏切る理由を探している。
「アリス、すき」
「だいすきだよ」
魔法の言葉で思考がショートした。
二人の顔が傾いだのを見て、そっと目蓋を閉じる。
ぼんやり霞かかった意識の片隅で、何の打算も抜きにウサギと遊んでいた頃を思う。
私が大切だったのは、彼か、それとも――。




