六話 たとえ一方通行の愛でも
古城からキャタピラ校長が現れた。
ローブを引きずって芝生広場に出て、震えるブレッドたちを睥睨する。
「なぜそのような行いをしてしまったんじゃね?」
「校長、私からご説明します」
前に進み出たチャールズの体が、バンと弾き飛ばされた。
ぎょっとした私の目には、しなった鞭が映る。校長が、彼の体を打ちのめしたのだ。
「校長先生、何をなさるんですか!」
間に割って入った私に、校長はまたしても息を吐いた。
「寄宿学校では鞭打ちでの指導が認められている。子どもたちは、適度に痛い目を見ないとつけあがるのじゃよ。鞭打ちは実に効率のいい教育法でのう」
「教育だとしても、なぜチャールズさんを? 彼は何もしていないではないですか!」
すると、伸びた眉毛に隠れていた目がギンと見開かれた。
瞳は白濁していて、本当に周囲が見えているのか不安になるほどだ。
「悪い生徒が生まれるのは、監督生の目が行き届いていないせいじゃ。生徒の代表である彼らが鞭打たれるのは至極真っ当じゃよ」
「そんなの横暴だわ。罪を犯していない人間が罰を受ける必要はありません!」
私は断固主張した。しかし、地面に膝をついたチャールズは校長の肩を持つ。
「……いいんだ。これは私が……私とロビンスが決めた、アーク校でのルールだ」
「ルール?」
意味が分からなくて眉間に皺が寄った。
私の横に立ったロビンスは、校長に向かってはっきりと告げる。
「この生徒たちは監督生が厳しく指導します。被害者にも相応の救済を用意することを誓います」
「よろしい。後は任せた……」
校長は満足げに鞭を丸めると、ずるずるとローブを引きずって古城に戻った。
私も双子も、ブレッドたちも、クリケットに興じていた生徒もろくに動けない中、ロビンスだけが活発に指示を飛ばす。
「悪いけどおれは試合を抜けるね。アリスちゃんに酷いことをした君たちは、後で指導が入るよ。ライオン寮の共有室で待っていること。双子くんたち、彼らを連れて行って見張ってくれるかな。すぐに行くから」
「ダム、ディー、お願いするわ」
「「アリスは?」」
「すぐに後を追うわ。ロビンスさんとチャールズさんがいるから安心して」
「「はやく来てね」」
ダムとディーが生徒たちを連れてライオン寮へ向かっていく。
芝生広場に平穏が戻ったのを確認して、ロビンスはチャールズのそばにしゃがんだ。
「チャールズ、立てる?」
「ああ」
痛そうな顔をしながらも、チャールズはロビンスの肩を借りて立ち上がった。
私は彼に怪我がないか目視で確認する。
(あら?)
チャールズの手には、今ついた傷の他にも多数の傷跡が残っていた。
「チャールズさんは、いつも校長先生に鞭打たれているのですか?」
「私だけではない」
チャールズがロビンスを見た。彼の手にも同じような跡が残っている。
「ここの教師はほとんどが体罰肯定派だ。不出来な生徒がいたら、気を失うまで鞭を振るう。私はその慣習を無くしたかった。だから、自分が監督生になった時、ロビンスと共に新しいルールを作って校長先生に直談判した」
それは恐ろしくも悲しい仕組みだった、
生徒が罪を犯したら、お仕置きは全て監督生が受ける。
生徒たちには、監督生が鞭打たれている姿を見て自省を促し、悪事に手を染めないように指導する。
監督生を生贄にして生徒の安寧が守られていると知り、私の心は乱れた。
「そんな理不尽なルールがありますか。どうしてお二人だけが辛い目に会わなければならないんです!」
「仕方ないんだよ。アリスちゃん。名無しの森でお墓を見たでしょう?」
ロビンスが言うのは、廃村にあった墓地のことだ。
「あそこには体罰で亡くなった生徒も眠っているんだ。鞭打ちの傷が治らずに高熱を出して死んじゃった子や、お仕置きから逃げたくて森に迷い込んで野犬に食べられちゃった子なんかがね」
だから、お墓参りは欠かさないのだと、ロビンスは明かした。
チャールズは、顔面に悔しさをほとばしらせる。
「体罰を無くしたい。けれど、私にその力はない。校長たちは私たちにとっての〝悪魔〟だ。図鑑に載っている悪魔より恐ろしい巨悪なんだ」
教育と称して生徒を鞭打ち、死に至らしめる教師たち。
孤島という逃げられない場所に閉じ込められた生徒にとって、彼らは文字通りの悪魔でしかなかった。
「私は苦しむ先輩や後輩をたくさん見てきた。そして誓った。この手で生徒を守り、校長たちをこのアーク校から追い出すんだと」
横暴な支配者への抵抗に、私は胸を打たれた。
監督生は最高学年の生徒がなる。
チャールズとロビンスに与えられたのは一年。常識的に考えれば、それまでに寄宿学校の方針を変えられるとはとうてい思えないけれど。
無理難題に立ち向かえるのも、彼らがまだ大人になりきらない少年だからなのだ。
「お二人に協力しますわ。どうやって校長たちを追い出しますの?」
「アーク校の現在の所有者はキャタピラ校長だ。彼の一存で新たな教師は入ってこない。だから私たちは、独自に新たな所有者を探している。何年も前から候補を探し、いくつかの貴族に視察に来るよう手紙を出した」
「だから、港で貴族を見なかったかとお聞きになったんですね」
アーク校からナイトレイ伯爵宛に届いた手紙。
あれは、チャールズが出したものだったのだ。彼が島に来る貴族を心待ちにしていたのは、キャタピラから所有権を取り上げられる有力者を待ちわびていたから。
しかし、到着を望まない者もいた。
キャタピラ校長である。
校長にとって所有者候補は目障りだった。ダークはアーク校に手紙を送り、視察に行く日時を知らせてあったので、罠をかけるのも容易い。
(〝罠の悪魔〟はキャタピラ校長なの?)
私は忌々しく思いながら校長室がある方を見上げた。
立場を利用して暴力を振るう卑怯なやり方や、悪魔学を少年たちに教える大胆さは、私がこれまで出会ってきた数々の悪魔と合致する。
(よく考えれば分かることだったわ。自分が悪魔なら悪魔に詳しいのも当然よね)
悪魔である校長は、アーク校を奪われたくなくて、視察に訪れたナイトレイ伯爵一行の体の大きさを変えた。
少年たちを蹂躙し、ここに君臨し続けるために。
「殺してしまえばよかったのに……」
私ならそうする。だって、体の大きさを変えたら誰が誰か分からなくなって、後から仕留めようにも困るもの。
「今、殺すと言ったか?」
独り言を聞きつけたチャールズが青ざめた。
校長を殺せと言ったように聞こえたのだろう。
内心ではそれでもいいと思っていたので、私は意味深に微笑んでおく。
「早くライオン寮へ行かなくては。待ちくたびれたダムとディーが、ブレッドさんたちをざく切りにしているかもしれないわ」
「それは大変だね。すぐ行こう」
ロビンスはチャールズと共にライオン寮へ歩き出した。私は彼らの後に続く。
寄り添う二人が腰に下げた金と銀の鍵が、慰めあうように音を立てた。
たとえ校長たちを追い出せても、来年には卒業する彼らに得はない。
見て見ぬふりを続けて、素知らぬ顔で島を出ていく選択肢だってあった。
そうしないのは、彼らがここを愛しているからだ。
かつての自分がそうだったように、残される生徒やこれから来る生徒たちに苦しんでほしくない。校史に名前が残らなくたって、感謝されなくったっていい。
愛したものたちが幸せでいてくれたら、それでいいのだ。
(愛を返してくれなくても、愛すのは自由なんだわ)
私は、シーツを被ったダークを思い出して、少しだけ救われたような気持ちになった。




