五話 トゥイードルズの本気
天文学の授業を終えた私は、放課後の廊下を一人で歩いていた。
ダムとディーはいない。授業中でも遠慮なく私に話しかけて教師の怒りを買い、お説教ならびに居残り授業を受けさせられている。
(少しなら一人で歩いても平気よね。まだ昼間だし、護身用の拳銃は持っているもの)
久々の単独行動は爽快だ。
校内の見取り図はざっくりと覚えているし、今どこを歩いているのかは、壁に飾られた武器の数で見当がつく。
槍が一本あるのは数学とラテン語の教室がある西棟一階、二本は正字法の教室がある二階だ。剣があるのは東棟で、一階は一本、二階は二本、三階は三本と分かりやすい。
教室として使われるのは三階まで。
四階には教師の生活ゾーンと校長室がある。
(今日は、そっちの方まで行ってみよう)
私は、階段をひたすら上った。石の階段は階を重ねるごとにボロボロになっていった。手入れが全然されていない。
息を切らしてふと見上げると、踊り場にかけられた剣は四本。
四階に上がって静かに廊下を進んでいく。
開け放たれた大部屋にはベッドが複数並んでいた。
教師が寝泊まりしている場所だ。質素さは生徒が暮らす寮と五十歩百歩である。
寒いと思ったら窓が開いていた。外に顔を出すと、真下は崖になっている。
(古城の裏は崖だって、リーズが言っていたわね)
部屋を出た私は、五階に向かう階段を探して歩き回った。
オオコウモリのはく製が飾られた長い廊下を渡り、壊れかけのピアノがある舞踏室を調べて、見慣れた西棟の校長室の前に出る。
「あれ? 見落とした?」
東棟から西棟までくまなく調べたはずだが……。
来た道を引き返していくが、あるのは下りる階段だけ。上がるものはなかった。
「どこかの部屋の中にあるのかしら。……ん?」
見覚えのあるマークに視線が吸い寄せられた。
舞踏室の奥に、ひっそりとある木の扉。
そこには二つの寮の印である、ライオンとユニコーンが向かい合わせで彫られていた。
扉は鍵がかかっていて開かない。
鍵穴は二つあり、それぞれ金色と銀色をしていた。
(リーズが持っている鍵束にも、金と銀の鍵が一つずつあったわね)
あれは寮の鍵だが、同じ鍵でこの扉を開けられるかもしれない。
試してみたいが、今日の探険はここまでだ。
古代遺跡を探索する映画だったら、閉ざされた扉の奥には冒険者の命を奪う罠がわんさかある。誰にも行き先を伝えていない散歩で迷い込むには、いささかリスキーだ。
そろそろダムとディーも解放されている頃だろうしと、私は一番近い階段を使って階下に下りていった。
元は使用人用の通路だったらしく、階段は狭くて暗い。
教室との往来にも不便で、他に通る生徒はいない……はずだった。
「アリス! ここにいたんですね」
二階の踊り場に駆け上がってきたのは、先日、私にケンダルミントケーキをくれた、ぽっちゃり男子のブレッドである。
「私に何か御用ですか?」
「感想を聞きたくて。渡したケーキ、食べてくれた?」
聞かれてハッとする。彼がくれたお菓子は落として砂にしてしまったのだ。
「ごめんなさい。運ぶ途中で落としてしまったので、食べていないんです」
「そう……」
ブレッドは残念そうに背を丸めたが、すぐに立ち直って汗ばんだ顔を上げた。
「ぼくの部屋にはまだたくさんあるんだ。今から行こう!」
「ふえっ!?」
いきなり腕を掴まれて変な声が漏れた。
ブレッドは、そんな私を見て異常なほど興奮したようだ。ふひゅー、ふひゅーと荒い呼吸を繰り返す。
ゾクッとした私は、彼の手を引き剥がそうと前後に動かした。
「離してください。私は行きません」
「安心して。ぼくの友達もいるよ。みんな、アリスと仲良くなりたいよね?」
ブレッドの後ろからゾロゾロと生徒たちが現れた。
その中には赤いリボンをくれた男子がいた。他の生徒もユニコーン寮に所属していて、遠目から私を観察してした上級生たちだ。
「アリスちゃん、おれらと遊ばない。ここは女の子がいなくって退屈でさ」
「ちょっと羽目を外したくらいじゃ誰にもばれないさ」
「今年の監督生はお優しいから、不純交際がバレても平気だって」
下品な笑みで取り囲まれて、私はかえって冷静になった。
相手は男子が四人。ブレッド以外は力が強そうなスポーツマン体系だ。
(私の体術で、ギリギリ逃げおおせるかどうかね)
一般人相手に拳銃は使いたくない。持っていると知られたら最後、危険物所持で学校どころかこの島にいられなくなる。となれば取る手段は一つ。
ここは、前世で練習したアレを使う時だ!
私は目いっぱい息を吸い込んで、あらんかぎりの大声を出した。
「この人痴漢ですーーー!」
「なんだ!?」
大音量に生徒たちはひるんだ。その隙に、私はブレッドの股間を蹴り上げる。
「うぐっ」
「ごめんあそばせ!」
すかさず両手で突き飛ばすと、二人の生徒を巻き込んで階段を転がり落ちていった。
私は勢いよくスタートダッシュを決めて、階段を二段飛ばしで駆け下りた。もしも足を踏み外して落ちても、男子生徒にいたずらされるよりマシだ。
無事に一階に足を着いたら、今度は横から伸びてきた手に髪を掴まれた。
「きゃあ!」
「はははっ、つーかまーえたー」
待ち構えていたのはフライとバッタだった。フライが掴んだ髪の根元から、ぶちっと凄まじい音がしたので、十円ハゲができているかもしれない。
「何するのよ。離しなさいっ! むぐっ」
バッタに布で口を塞がれて叫ぶこともできない。
そこに、ブレッドと他の生徒が、打ち付けたところを手で押さえながらやってきた。
「この女、よくもやってくれたな」
「羽交い絞めにして連れて行こうぜ」
「その前に大人しくさせろ。腹でもなぐっときゃいい」
バッタが拳を握り、私のお腹を殴ろうととした、まさにその瞬間。
彼の目元すれすれを矢が通り過ぎた。
「うわっ」
矢の飛んできた方を見ると、ボウガンを構えたディーと、ダガーをくるくる回すダムがいた。
「アリスに何をしてるの?」
冷たく問いかけるダムの瞳は半分閉じられている。
眠たいのではなく、カメラのシャッターのように攻撃対象を絞っているのだ。
獲物となった生徒の方はまだ戸惑っている。
「ち、ちょっと遊んでただけだ。お前らは何でそんなもの持ってんだよ!」
「聞いているのは僕。手を離さないと殺す」
ダムはダガーの先をフライに向けて、瞳を光らせた。
うろたえたフライは髪から手を放す。
私は思いっきり尻もちをついたが、その間も双子の視線は動かない。
「アリスをどうするつもりなの?」
今度はディーが口を開いた。それに、バッタが罵声を飛ばす。
「うるさいな! ほっとけよ!」
「「答えろ」」
血の気が引くような声を残して、ダムは消えた。
いや、高速で動いたといった方が正しい。
フライに一足飛びで近づいたダムは、襟を掴んでダガーの切っ先を左目に当てた。
「三秒待つ。答えなかったら、瞳を一つずつえぐるね」
「え、えぐる?」
「いーち」
問答無用でカウントダウンが始まった。フライは答えざるを得ない。
「ぼ、僕たちは」
「にー」
「ただ、彼女と仲良くなろうと」
「さーん。左目さんにお別れ、する?」
こきっと首を傾げられて、フライは口から泡を吹いた。
すかさずバッタが答える。
「あ、あんたたちばかり女子を独占してずるいだろ! たまにはこっちにも良い思いさせてくれよ。なあ?」
「あー……。もう無理」
ダムはフライから手を引いて、ぐらっと体を傾げた。
長い前髪が揺れて、水色の瞳が覗く。
そこには明確な殺意が浮かんでいた。
「ディー、全員殺していい?」
倒れた私を抱き起こしたディーは、こっくりと頷く。
「ダム、ぐちゃぐちゃにしていい」
「だめよ!」
さすがに十円ハゲ容疑での断罪は看過できない。とはいうものの、二人が来てくれなかったら、私がおぞましい目に会っていたのも事実。
罪にどれだけの罰を与えるか。幼い頃から闇の世界で生きてきた双子にとって、手心を加えるのは何より難しい問題なのだ。
(殺してやりたいほど憎くても、殺してはならない相手もいるって教えないと)
リデル一家の一員である双子に教育を施すのは、当主である私の務めだ。
「彼らの犯行は未遂よ。あなたたちが手を汚すに値しないわ」
「……ざく切りでもダメ?」
「だめです。可愛く首を傾げてもだめ」
不満げなダムは、ディーと「真夜中にこっそり殺る?」「授業中の方が目立たない?」と不穏な会話を繰り広げている。
「おい、今なら逃げられるぞ」
生徒たちがひそかに移動を始める。ディーはそちらを見もせずにボウガンを撃った。
矢は彼らの行く手にトスっと刺さり、生徒たちは「ひええ」と腰を抜かした。
「逃げたら殺す。アリス、僕らはどうしたらいいの」
「監督生に相談して、彼らの処遇を決めてもらいましょう」
「「わかった」」
双子は武器を制服の下にしまった。
「僕らについてきて」
「逃げたら足を撃つよ」
ブレッドやフライを一列に並ばせ、手を繋いだ状態で歩かせる。さんざん殺気を浴びた生徒たちの足はガクガクだ。
芝生広場に出ると、クリケットに興じていたロビンス、ベンチで分厚い本を読み解いていたチャールズが気づいて寄ってきた。
「アリスちゃんと双子くん、何をやっているの?」
「この生徒たちに乱暴されそうになったんです。髪を掴まれて、無理やり寮へ連れ込まれそうになりました。ダムとディーが助けてくれなかったらと思うとゾッとしますわ」
「お前らがやったのか?」
問い詰められた生徒たちは、ビクビクした表情で「お前が言え」「おれは計画に乗っただけだ」と責任を押し付けあった。
チャールズは問いただすのを諦めた顔で、ボロボロになった私に視線を戻す。
「恐ろしい目に遭ったな。二度とこんなことがないよう、監督生である私たちがしっかり指導を──」
「フー。騒ぎは困るのう……」




