† † 英国紳士の傷跡 † †
ゴン、ゴン、ゴウン。
銅鑼のような音を聞きながら、俺はドアに背をつけて座り込んでいた。
被ったシーツの隙間から見える部屋は殺風景で、一人ぼっちの身に染みる。窓から差す朝日に、舞った埃がキラキラと輝いているのさえ、どこか他人行儀に見えた。
(何を言う。自ら閉じこもったくせに)
訪ねてきたアリスを突き飛ばしてしまった。女性は行動を起こす前に悩み、男性はやった後に後悔するという言葉の通り、自己嫌悪で胸が押しつぶされそうだ。
ろくに角も隠せず、いつ恐ろしい本性が周囲に暴かれるか気が気ではない俺に、のんきにお菓子を持って会いにきたアリス。
しかも、お菓子は男子にもらった物だという。
罪作りな彼女は、自分がどれほど魅力的か知らずに笑顔を振りまいているのだろう。
若い女性がいない孤島において、アリスは荒れ地に一輪だけ咲いた花のようなもの。多感な少年たちが気に入られようと良からぬ行動に出てもおかしくない。
大きくなったトゥイードルズが護衛を務めているとはいえ安心できない。
ダムとディーもまた強力なライバルだと、アリスに寄り添う彼らを見て思い知った。
二人は野性的で美しい男性に成長した。
たくましい体に、肉食獣のような獰猛さを秘めて、アリスに近づく全てを威嚇する。あの迫力でアリスに迫っていたら、押しに弱い彼女の心は間違いなく傾くだろう。
いや、もうすでに傾いているかもしれない。
(君の心はまだ俺にあるのか? それとも――)
もう別の男に移ってしまっただろうか。
面と向かって尋ねる度胸がなかった俺は、キスして心を覗こうとした。
けれど、できなかった。
唇が触れる寸前になって、急に怖くなったのだ。
もしもアリスの心の中に自分の姿がなかったら。
別の男の影があったら。
「──っ」
想像するだけで恐ろしい。
彼女に捨てられるようなことがあったら、俺は死んだも同じだ。
『お前さえ生まなければ』
脳髄にしみ込んだ呪詛が、頭の中で反響する。
これは昔の記憶。
リデル男爵邸で角の隠し方を教わり、やっと人間になれたと喜んでナイトレイ領へ帰った、その晩。俺のせいで亡くなった、母の最期の言葉だ。
これは俺の烙印だ。
心の奥底に潜んだ弱点であり、トリガーだ。
悲しい出来事を繰り返さないために、せめてできることは、この姿を愛する少女の目に触れないようにすることだけ。
(アリス。君には、母のようになってほしくない)
この声が届いてほしい。届かないでほしい。
優柔不断な俺は、階下の喧騒が収まるまでドアの前から動けずにいた。




