二話 すれ違いは裏切りのはじまり
「アリスちゃん、これ」
昼食を終えて数学の授業へ向かう私に、赤いリボンが差し出された。
手渡してきたのはユニコーン寮の生徒だ。確か四年生で、廊下ですれ違うたびにチラチラ見てくるので覚えていた。
「綺麗なリボンですね。それが何か?」
「実家の荷物に入っていたから、よければ」
「私にくださるのね」
お礼を言うと、生徒は短い悲鳴を上げて走り去った。角を曲がってすぐガッシャンと大きな音がして、甲冑の頭が転がってきたが大丈夫だろうか。
少なくとも生きているだろうと判断して教室へ入る。ぽっちゃり系男子のブレッドが近づいてきて、「甘いものは好き?」と青い包装紙を開いた。
中には、板チョコみたいな大きさの白い固形物がある。
「湖水地方で人気のケンダルミントケーキってお菓子なんだ。ロンドン育ちのご令嬢には珍しいでしょ。あげるよ」
「お部屋でいただきますわ。ありがとう、ブレッドくん」
愛想笑いで受け取る。
渡した生徒も周囲で様子をうかがっていた同級生も、わっと盛り上がった。
「ダム、ディー、お菓子をもらったわよ」
「「ふーん」」
後ろを歩いていた二人は、据わった目で凄まじい怒気を放った。
表情は子どもが見たら大泣きするレベルで極悪。『この道一筋五十年、僕らに殺れないものはない』みたいな視線を向けられた私も思わず泣きそうだ。
固まっている私を、片手をポケットに突っ込んだダムが強引に抱き寄せる。
「はやく座ろう」
「授業が始まる」
私を挟んで座った双子は授業の間中、ずっと不機嫌だった。
その後も移動するたびに違う生徒からプレゼントをもらった。
ダムとディーの表情はどんどん険しくなっていって、頬に『呪呪呪』という幻が見えるようなって、やっと放課後。
「明日からは空のバスケットが必要だわ」
贈り物を抱えてライオン寮までの道を歩いていると、トップハットを両手で支えた美しい少年が横切った。
「ダーク!」
私は感激して名前を呼ぶ。なかなか顔を合わせる機会がなかったのだ。
ダークは、ビクリと肩を跳ねさせて振り向いた。
「アリス……」
「あれから体調は変わりない? 罠の悪魔なんだけど、まだ探している最中なの。もう少しの辛抱よ」
畳みかけるように報告すると、ダークの表情は曇った。
顔からは血の気が引き、色づいた唇は細かく震えて、青い宝石のような瞳はうるむ。
「来ないでくれ」
切羽詰まった懇願に、私はきょとんとした。
「何かあったの?」
「君の顔を見たくない。……すまない」
それだけ告げて、ダークは歩き去った。
ぼう然とする私を、その場に残して。
「顔を、見たく、ない……」
婚約者に突き放された衝撃は、雷のように頭のてっぺんから私を貫いた。
痛いわけじゃない。
ただ、時間が止まってしまったかのように、心が動かない。
抜け殻になる私の前に、ジャックがひょこっと顔を出した。
「お嬢、大丈夫か?」
「ジャック……。ダークはどうしちゃったの。顔を見たくないって言われたわ」
「あいつ、お嬢に対してもそうなのかよ」
彼もダークに手を焼いているらしく、ベレー帽の上から頭をかく。
「ああだと、こっちのペースまでおかしくなる。ほんっと、うぜぇ……」
角が消せない不安と、不本意な学校生活が、心身に影響しているのかもしれない。
「私、ダークの話を聞いてみるわ。明日は授業がお休みの日よね。お菓子を持ってユニコーン寮へ行くから、紅茶の準備を頼むわね」
翌日の約束を取り付けた私は、立ち止まっていた双子を振り返った。
彼らは、冷ややかな瞳でユニコーン寮の二階を睨んでいた。
「ダム、ディー?」
呼びかけると表情が和らいだ。
「寮に戻ろう」
「リーズが待ってる」
王子様がするみたいに手が差し出される。
その仕草に、以前のダークが重なった。
「ええ。帰りましょう」
左手をダムの手に、右手をディーの手に重ねる。
二人は大事そうに私の手を包み込んで、にっこりと笑った。
「「三人一緒にね」」
双子の優しさは、ダークに冷たくあしらわれて心細くなった胸にするりと入ってきた。
私は良くないと思いながら彼らに甘えて、その日は手を繋いだまま寮へ戻った。




