二話 監督生の探し人
「あの校長、意外といいパスを放つじゃないの!」
放課後、私はホクホク顔で二階にある図書室の扉を開いた。
数台の本棚が並んでいるくらいの規模を想像していたが、実際は吹き抜け二階分の壁が本で埋め尽くされた立派なものだった。
本は高級品だ。寄宿学校がこれだけの蔵書を集められるとは思えないので、かつての城主のコレクションだろう。
「ダムとディーは入り口を見張っていて。私が呼んだらすぐに駆けつけてね」
「「りょうかい」」
扉付近に二人を残し、壁を見上げて悪魔の本を探していく。
こっくりとした飴色の本棚には葉脈の彫刻が施されている、柱も梯子も日よけに至るまで芸術品のように精緻に作られていて、歩いているだけで心が沸き立った。
探し物のはずが、まったく違う棚に目を留めることもしばしば。
郷土史の棚に釘付けになっていると、後ろから咎める声が飛んできた。
「その辺りはよくクモが出るぞ」
古いダイニングテーブルを並べた閲覧コーナーに、眼鏡をかけたチャールズがいた。
誰もいないと思っていた私は、わずかに声を上ずらせる。
「ごきげんよう、チャールズさん! とても美しい図書室ですわね」
「他の生徒が利用しないので静かなのも魅力的だ。私は悩みがある時は必ずここに来る。数多の書が導いてくれる気がするからな」
「チャールズさんほどの人でも悩みがあるんですね」
「悩みばかりだぞ。監督生になってからは特に……」
チャールズは陰鬱さをにじませて言葉を切った。
優秀で完璧な彼が懊悩しているところなんて想像もつかない。たぶん、周りに心配をかけないように超然と振る舞っているのだろう。
最初は怖い人だと思っていたけれど、一筋縄ではいかない優しさを持った人なのだと、私は彼を理解し始めていた。
「チャールズさん、探し物を手伝ってくださいませんか。校長先生に、悪魔について調べるならここだと教えていただきましたの」
「悪魔のどんなことを知りたいんだ?」
「人間の体を大きくしたり小さくしたりする能力を持った者を探しています」
チャールズの眉間に皺が寄った。
「そんな能力を持った悪魔はいただろうか……」
ノートをめくる彼の手元には、分厚い悪魔図鑑とペン、蓋の空いたインク瓶がある。
開くページはぎっしりと文字で埋められている。
チャールズ自筆の、悪魔についてのレポートのようだ。
「熱心に学ばれていますね」
「最終学年では一つのテーマについて論文を書く。私は貴族の五男で、法曹でも銀行でもとにかく良い職業に就かなければ生きていけない。成績優秀者でなければ這い上がれないのなら、誰でも熱心になる」
限嗣相続制がある貴族では直系男子の誕生は歓迎されるが、さすがに五男ともなると跡継ぎ候補とは見なされない。下の子たちは自ら勉強し、人脈を作り、仕事に就いて給料をもらわなければ生活できないのだ。
「昔は、アーク校といえば家を継げない貴族令息のすがり先だった。優秀と認められて監督生になった生徒には国王と謁見する機会が与えられ、気に入られればそのまま召し抱えられたという。この城の最上階にある開かずの間には、国王に選ばれた主席監督生の肖像画がずらりと並べられているらしい」
国王に召し抱えられれば一生安泰だ。今はヴィクトリア女王の治世だから、彼女の周囲にもアーク校の出身者がいるのかもしれない。
「では、今年はチャールズさんとロビンスさんが女王陛下に謁見されるのですね」
「残念ながらそれは叶わない。女王陛下はご高齢を理由に、数年前より生徒との謁見をお断りになられている」
「まあ、あんなにお元気なのに……」
猟銃を担いで狩猟に出かける女王を思い起こす。
高齢ではあるが活力に満ちていて、いつも侍女たちと萌えを探している。ときめきの宝庫になる寄宿学校生との出会いを断る道理はないように思うのだが。
チャールズは興味深そうに尋ねてきた。
「まるで女王陛下に謁見したことがあるような物言いだな?」
「えっ? えっと、デビュタントの頃、お声をかけていただきましたわ!」
大慌てで誤魔化す。ただの男爵家の令嬢が、女王と文通をしているわけがないからだ。
(そういう意味ではぶっ飛んでるのよね、『アリス』って)
「悪魔についての調べ物だったな。該当の悪魔は知らないが、おすすめの図鑑なら紹介できる」
チャールズは、テーブルを離れて図書室の奥へと進み、悪魔を系統別に分類した本や重そうな図鑑を棚から選び取っていく。
「これらは珍しい悪魔を集めた本だ。重いので、私が寮まで運ぼう。その代わりと言っては何だが、一つ聞いてもいいだろうか?」
「もちろんですわ」
頷く私に、チャールズは真剣な顔で問いかけた。
「アリス嬢は渡航船の最終便でこの島へ渡ってきたな。その時、港でアーク校を訪問するという貴族に会わなかったか?」
私は瞬時に(ダークのことだわ)と思い当たった。
ロンドンを発つ前に、アーク校へ視察に行くという手紙を送っていたので、関係者はナイトレイ伯爵の到来を待っていたはずだ。
チャールズが気にかけているのは、監督生に入島者を案内する役目があるからだろう。
本当のことは言えないので、私は作り笑いで答えた。
「誰も見ませんでした」
「そうか……」
落胆した様子でチャールズは歩き出した。重い図鑑を抱えているせいか、足取りが心もとない。手を貸すかどうか迷う私の耳に、カキンという軽快な音が響いてきた。
窓の外を見下ろすと、ユニコーン寮の生徒が集まってクリケットに興じていた。
試合に参加する生徒もいれば、声援を送るだけの生徒もいる。弾ける表情を眺めていくと、運動場の隅で、鎖の柵に腰かけるロビンスを見つけた。
ユニコーン寮の中心人物なのに、彼は試合に呼ばれていないのだろうか。
いぶかしむ間に、試合には決着がついた。負けたチームが勝敗に文句をつけて、あわや乱闘になりかける。その騒ぎに乗じて、ロビンスは鎖を乗り越えた。
(え!?)
その先は名無しの森のはずだ。生徒は立ち入り禁止の場所である。
「どうしましょう、チャールズさん。ロビンスさんが森へ入ってしまいました!」
うろたえる私の横で、チャールズは葉の陰に消えていく背中を見送る。
「止める必要はない。私たち監督生は、島の地理を事細かく叩き込まれている」
「怪物がいるのでしょう。迷わなくても危険です。私、連れ戻しに行きますわ」
「やめろ!」
思わずといった様子でチャールズは叫んだ。運動場を走り回ったみたいに息を乱して、私にきつく言い含める。
「絶対に行くな。君が悪魔に目を付けられたらどうなるか……」
「悪魔? 怪物ではないんですか!」
ひょっとして『DRINK ME』の術をかけた犯人ではないだろうか。
私は、ぱあっと顔色を明るくしてチャールズに懇願した。
「それなら、余計に連れ戻さなくてはなりませんわ。ロビンスさんに何かあったら大変ですもの」
闘牛みたいに駆け出しそうな私を、チャールズは「だめだ」と再度止めた
「一般生徒の名無しの森への立ち入りは禁じられている。例外はない。図鑑は……悪いが君が自分で持って行ってくれ」
問答無用で会話を打ち切られた私は、扉付近でダムとディーと合流し、本を持ってもらった。
チャールズにお別れを告げて、ライオン寮――ではなく上階へ向かう。
本当は今すぐロビンスを追いたかったけれど、チャールズに監視されているだろう。
でも、このまま黙っている私ではない。
(悪魔がいる森。あそこに行けば罠を仕掛けた犯人と会えるかもしれないわ)
手に入れた情報は活きのいいうちに処理するのが、できる主人公である。




