六話 嫉妬と無視と男心
声を掛けてきたのはフライとバッタだった。横柄な態度で私を睨んでいる。
「お前、生意気だぞ。女のくせにでしゃばるな」
「出しゃばらせたくないなら、私を名指ししなければよかったでしょう。それとも、あの程度のラテン語も読めないのかしら。男のくせに?」
「っ、口答えしてんじゃねえ!」
バッタが拳を振り上げた瞬間、ダムとディーが床を蹴った。目にも留まらぬ速さで私の脇を通り、二人の腹に蹴りを決めて床に伏せさせる。
「アリス、切り刻んでいい?」
「アリス、撃ち抜いていい?」
血の通わない冷たい声に、二人はブルブルと震え上がった。
フライなんて、ボロボロ涙をこぼしながら「こ、ここ、殺さないでくれ」と口走る。
怖いでしょうね。でも安心して。その二人、急所を突くのが大得意だから。ジャックみたいにみだりに一刀両断しないし、リーズみたいに爪を一枚ずつ剥ぐ拷問もしないわ。
……と言うと絶叫されそうなので、本音は黙って微笑んでおく。
「切るのも撃つのもだめよ。放してあげて。さっきのことだけど、私はたまたまラテン語が得意だっただけなんです。せっかく同じ学校に入ったのだし、分からない部分は助け合えばいいと思いませんか。お二人とも、私と同じライオン寮でしょう?」
解放された二人に動揺が走った。
「お前、僕らのこと知ってるのか?」
「もちろん。素敵な方々だったので、遠くから見ておりましたわ」
本当は食堂で見かけて、何気なく覚えていただけなんだけど。
私に好意を持たれていると勘違いして、二人はたちまちデレデレになった。
「そうだったんだ。因縁つけてごめん」
「女子なのに寮弟とかありえねーと思ってたの、どうかしてたわ!」
しめしめ、攻略完了。
遠ざかるいじめっ子に手を振っていると、後頭部に熱い視線を感じた。
「「じーっ」」
振り向けば、水色のジト目が私を見下ろしている。
「ふ、二人ともどうしたの?」
「浮気だ」
「誘惑だ」
「ただ世間話をしただけよ。次の授業に行きましょう」
社会学、正字法、幾何学……さまざまな教室を渡り歩いた私は、他の生徒からも「監督生の寮弟にふさわしくない」とやっかみを受けた。
日ごろから令嬢たちの嫌がらせを受けている私は、その程度で傷つくような少女ではないけれど、放課後になる頃にはへとへとに疲れ果てていた。
重たい体を引きずりながら、芝生広場に出る。
まだ空が明るいため、生徒たちはめいめいに放課後の時間を楽しんでいた。
ライオン寮へ向かう私の後ろを、ダムとディーはポケットに手を入れてついてきた。
「寮に着いたら私は眠るわね。真夜中の見張りを変わるから、夜の十時になったら起こしてくれる?」
しかしダムとディーの返事はなかった。
あれと思って振り返れば、二人は般若のように怖い顔をして、こちらをチラチラ見てくる生徒を睨みつけていた。
「ダム、ディー?」
呼びかけると一瞬で表情は元に戻った。
「「なあに、アリス」」
そう答える表情は甘くて、見間違いだった気さえしてくる。
夢かと思って頬をつまむと、ユニコーン寮の方から大声が聞こえてきた。
「ちゃんと聞いて!」
芝生の上で、ロビンスが背の低い少年たちを叱っていた。
すごい剣幕に、そばを通る生徒も心なしか身をすくめている。
「〝名無しの森〟へ行くのは禁止だよ。行ったら大変なことになる!」
「ロビンスさん、どうなさったんですか?」
近づく私にロビンスは涙目で訴えた。
「この子たち、クリケットに負けた罰ゲームで、立ち入り禁止の森へ入るつもりだったんだ。あそこは行方不明者が何人も出ている危ない場所だって教えたのに!」
行方不明者。気になる単語が出てきたので、私はすかさず尋ねる。
「迷いやすい森なのですか?」
「そうだよ。先輩たちは、あそこには怪物が棲み着いていて、迷子になった人間を捕まえて食べてしまうんだって言ってた」
非現実的な怪談は、好奇心旺盛な少年たちに聞かせたら、余計に探検に行ってしまいそうだ。
案の定、叱られていた少年たちがソワソワした。
それを見咎めたロビンスは、心配そうに懇願した。
「絶対に森へ入らないで。怖い物には近づいちゃいけないんだ。巻き込まれてから止めとけばよかったって後悔しても遅いんだよ?」
触らぬ神に祟りなし。
無謀な行動は見えている地雷をわざわざ踏みに行くのと同じだ。
事件を舐めてかかれば、いつか痛い目にあう。
「お説教はここまでにするね。今日は寮で反省すること! ごめんね、変なところを見せて」
「かまいませんわ。ユニコーン寮の皆さんは運動がお好きなんですね。ライオン寮の生徒はどちらかというと物静かな方が多いように思いますわ」
「寮ごとの特色ってのがあるんだよ。チャールズが指導しているせいか、ライオン寮はしっかりした子が多いよね」
すると、ダムとディーは大げさに頷いた。
「紳士は一日にしてならず」
「紳士はローマに続く」
「二人は難しい言葉を知ってるね。で、どういう意味?」
双子に負けず劣らずロビンスもキャラが濃い。
微笑ましく思っていると、兎耳をつけたトップハットが通り過ぎた。
はっとして視線を向けるが、ダークはこちらを見向きもせずに寮へ入っていく。
(あ、あれ?)
こんな距離で気づかないはずはないのに……。
きょとんとしていると、ベレー帽をいじりながら歩いていたジャックが寄ってきた。
「お嬢と双子! それに監督生の……」
「ロビンスでいいよ、ジャック。寄宿学校では苗字で呼ぶのが一般的らしいけど、アーク校は名前で呼び合うのが伝統なんだ。さん付けもいらないよ。生活で困ったことがあったら何でも言ってね」
ジャックを見るロビンスの目は慈愛に満ちている。
後輩というより、手のかかる子どもを見ているみたいだ。
しかし彼の態度は、子ども扱いが不服なジャックをむくれさせた。
「どうせ今のオレは小せえよ。お嬢、あいつは大丈夫だと思うか?」
「何かあったの?」
「どうにも態度がそっけない。まるで別人になったみたいだ。箱入りのお坊ちゃまだったんで、いきなり学校に放り込まれて疲れてるのかもしれない」
ただ幼くなったジャックとは違い、ダークは頭に角がある。人に見られないように細心の注意をはかっての生活は、想像以上にストレスが溜まっているはずだ。
(だから、私のことも無視したのかしら?)
以前のダークであれば決してそんなことはしなかった。
「できるだけフォローするが、お嬢も話を聞いてやってくれ。じゃあな」
行き場のないもやもやを抱えている間に、ジャックは寮へ入った。
小さくても彼は頼れるお兄さん分だ。
私は気持ちを切り替えて双子に笑いかけた。
「私たちも寮へ帰りましょうか」
ロビンスに手を振ってユニコーン寮を離れる。
二階の窓からこちらを見る人影に、双子はしっかり気づいていた。




