一話 酷な眠りはとつぜんに
ケープ付きのコートを羽織った私は、見覚えのない廊下を進んでいた。
後ろから、執事服をきっちりと身につけたジャックが気だるげについてくる。
私たちを先導するのは、衿の詰まったデイドレス姿の夫人だ。
カツカツという足音は力なく、丸めた背には哀愁が漂っている。
「マダム・サイラント。お嬢さまは、ナイトレイ伯爵家の夜会から帰ると、すぐに自室に戻られたのでしたわね?」
声をかけると、夫人はとある一室の前でぴたりと足を止めた。
「ええ。熱っぽいと訴えたので、薬を渡して休むようにいいつけました。そのあとすぐに悲鳴が聞こえて、駆けつけたら……このように」
夫人が開けた扉の向こうには、レースの天蓋を引いた立派なベッドがあった。
そのうえで、一人の少女が昏々《こんこん》と眠っている。
彼女は、『眠り姫事件』の新たなる被害者。
紡績会社を経営するサイラント家の一人娘マデリーン。
夜会で私の陰口を叩いた、貝殻イヤリングの令嬢だ。
じつを言うと、私は彼女がこの事件の犠牲になると知っていた。
攻略キャラクターの個別ルートに入って、すぐに起きるのがこの『眠り姫事件』だからだ。
(だけど、実際に目の当たりにするとスカッとはしないものね……)
こういった展開は、悪役令嬢が出てくる乙女ゲームにはよくある。
主人公をいじめたり、貶めたりした首謀者の令嬢が、めぐりめぐって身を滅ぼす。
ざまぁみろ!という気分になることから『ざまぁ展開』と呼ばれ、これを楽しみにプレイしている層もいるくらい人気があるのだが……。
他人の不幸は蜜の味とは言うけれど、こんな状況で高揚できるとしたら、その人の神経が異常だ。
私は複雑な気持ちでベッドに歩み寄った。
「よく眠っていらっしゃいますね」
夜会で招待客に渡された青薔薇は、陶器の一輪挿しに生けて、サイドチェストに飾られている。
側には外した貝殻イヤリングと、ブラウンガラスの小さな薬瓶がある。
「変な物音はしませんでしたか?」
「特に気になる音は聞こえませんでしたが……。悲鳴のまえに、窓が開く音を聞いたものがいました。けれど、使用人が駆けつけたときには、窓は閉じていましたし、誰も部屋にはおりませんでした」
ガラス窓は、上下に開け閉てするタイプで、内側からでなければ開けられない仕組みになっている。
私は、チラリと窓の下をのぞいた。
「ここは二階だけれど、落下防止の半柵がついているから、ロープをかければ登れないこともないわ……。あら、これは何かしら?」
私は窓枠に真新しい疵を見つけた。
細くこそぎとられていて、白い中木が見える。
マデリーンの指先を確認すると、爪の間に木くずが挟まっていた。
「お嬢さまがひっかいたようですね……」
私は、目の前の事実を脳内で組みたてていく。
「夜会から帰りついて、ネグリジェに着がえたマデリーンは、薬を飲んで早々にベッドへ潜ったはずよ。そこでイヤリングを外し忘れたことに気づき、ひとまず置いておこうとサイドチェストに手を伸ばして、窓をこじ開けようとする侵入者を見たのだわ……」
話しているうちに、だんだんと私は事件の顛末を思い出した。
眠り姫事件は、一見すると密室で起こったように見える。
しかし実際には、マデリーン自身が、窓の外にあらわれた秘密の恋人を引き入れていたのだ。
その恋人は、イーストエンドをねぐらに窃盗を繰り返している悪い男だった。
男は、部屋に引き入れてもらったあと、嫌がる彼女に薬を大量に飲ませて、金目のものを漁ろうとした。
だが、悲鳴に気づいた家族がすぐに駆けつけたせいで、何も取れずに窓から飛び降りるはめになったのだ。
窓は上下に開くので、上に寄せられていた窓は、自然に下りる。
これで密室は完成だ。
(男は、同じ手口で幾人もの令嬢から盗みを働いていたけれど、彼女たちの保護者は屋敷に警察が入るのを嫌がって、泥棒が入った事実を認めなかったのだったわね)
これは、物盗りの犯行だと結びつかなかった《《だけ》》の事件なのである。
冷静に分析する私に、夫人はとり乱してすがってきた。
「レディ・リデル、教えてください! どうやったらこの子は目を覚ますのですか。警察は眠っているだけだと軽く見て、ろくに対応してくれないのです!」
「落ち着いてください、マダム。犯人を見つけ出せば全て解決しますわ」
「では、もしも、犯人が、見つからなかったら?」
夫人の乾いた唇が震えた。
「それは……」
ゲーム通りに進めば、リデル男爵家が一丸となって犯人の男を見つけ出し、処罰する。
だが、それを言ったところで信じてはもらえないだろう。
私は、夫人を安心させるために話題を変えてみた。
「マダム、犯人を捕まえられるかどうかとは別に、お嬢さまを目覚めさせることを考えましょう。お医者さまに診せてみませんか?」
ゲームでは、ここで医者を呼ぶかどうかの選択肢があらわれる。
診察を受けさせると、風邪薬のせいで昏睡していると判明して、マデリーンを目覚めさせることができるのだ。
私はこれで解決できると思ったが、夫人は力なく首を振った。
「とっくに診せました。飲んだ薬の影響ではないそうですわ」
「えっ?」
私は目を丸くして声を上げていた。
「薬で眠っているのではないのですか? 私は、てっきりそうだとばかり……」
おかしなことに、この『眠り姫事件』は、私が知っている筋書きとは微妙に異なっているようだ。
ストーリーは私が前世でプレイした『悪役アリスの恋人』そのものなのに、スクリーンの裏側から物語を見ているような違和感がある。
(これ、ダークの個別ルートじゃないわよね?)
それなら、私はプレイしていない。
事件の真相など、知る余地もない。
固まっていると、ベッドサイドを調べていたジャックが、何かをハンカチ越しにつかんだ。
事件を解くヒントがあったのだろうか。
詳しくは分からないけれど、今は彼を信じるよりない。
「マダム・サイラント。安心してください。犯人は見つけます。お嬢さまのために、無事を祈ってください」
冷たい手に両手を添えると、夫人は涙を一筋こぼした。
私は、ゲームの登場人物にも親心はあるのだと思った。




