三話 ライオンとユニコーン
階段を下りていき、礼拝堂に入る。ドーム状の天窓から差し込む光に、広い空間を埋め尽くす学生たちが照らされていた。
制服は黒いテイルコートが基本で、ネクタイは寮ごとに色が異なっている。
ライオン寮が山吹色、ユニコーン寮が群青色だ。
礼拝の位置は寮ごとにまとめられているらしく、山吹色は左側に固まっていた。
私はそちらに歩き出す。
寄宿学校にいるはずのない女子生徒は目立つ。
指さされたり野次を飛ばされたりするたびに、リーズが投げキッスで黙らせていた。
(ダムとディーはどこかしら?)
黒い群れを流し見ていった私は、列の最前にいた双子に気づいた。
昨日と同じ服で、聖書を開くチャールズの横に気だるげに座っている。
「チャールズさん。校長先生の計らいで、次に渡し船が来る季節まで生徒として講義を受けられることになりました」
「よかったな。女生徒だからといって特別扱いはできないが、引き続きライオン寮で生活を手助けする。付き添いの方もだ」
「お嬢がお世話になりますわ。アタシ、滞在している間は教師として働くことになりましたの。アタシがいない間、お嬢をよろしく頼みます」
「それは、少し不安だな……」
顔色を曇らせたチャールズは、懊悩するように首を振ってから申し出た。
「仕方がない。アリス嬢には、私の〝寮弟〟になってもらう」
「寮弟、とは何でしょう?」
「上級生の身の回りの世話をする係だ。掃除や雑用をやる代わりに、その上級生から庇護を受けられる。いじめられそうな場合でも、有力な上級生の寮弟なら見逃される」
閉鎖的な学校生活では、ストレスがたまった生徒が暴力行為に走ることもある。
寮弟制度は、弱い立場におかれる下級生の救済措置なのだそうだ。
「私はライオン寮の監督生だ。私の寮弟になれば、よほどの愚か者でないと手出しはしてこない。常に付き添いがいないのであれば、利用できるものは全て利用した方がいい」
「では、利用させていただきますわ。チャールズさんの寮弟になります」
「手を」
チャールズはテイルコートに付けていたライオンの形のラベルピンを外して、私の手のひらに載せた。
「寮弟として仕える上級生がいる証だ」
ジャケットにピンを付ける私を、双子がむっとした表情で見つめてくる。
「「それいる?」」
「いるのよ、お嬢を守るためにはね」
リーズは二人の肩をぽんぽんと叩いて「アタシは、ユニコーン寮の可愛い子でも探してくるわ」と言って離れていった。ダークとジャックに成り行きを伝えに行くのだ。
「アリス、僕らは最上学年」
「アリスと一緒にいられる?」
「さあ……。できたら一緒に授業を受けられるといいんだけど」
双子は光の差さない瞳をチャールズに向けた。
「「アリスと授業を受けたい」」
「望むのであれば。教師の許可を得れば、どの授業も受けられるのがこの学校だ。ただし人気の課目は抽選なので注意しろ。ラテン語と正字法、数学、幾何学、スポーツ、天文学と悪魔学は、どの学年でも必ず受けることになっている」
さらっと上げられた教科の中に、引っかかる一語があった。
「悪魔学というのは初めて耳にしましたわ。何を学ぶのですか?」
眉をひそめる私に、チャールズは素っ気なく教えてくれた。
「読んで字のごとく、悪魔についての見識を深める授業だが?」
「そ、そうなのですか」
英国紳士って悪魔に詳しくないといけないのかしら。
チャールズが冗談を言っているようには思えなかったし、私の疑問は増すばかり。
鐘が鳴って、礼拝堂に校長と各教科の教師たちが現れた。全員ローブをずるずると引きずって壇上へ上っていく。その最後尾に白衣を羽織ったリーズの姿もあった。
(いつの間にあんなところに?)
チャールズは聖書を畳み、おしゃべりに興じていた他の生徒も口を噤む。
「「アリス」」
ダムとディーは、間に一人分のスペースを空けて座席をポンポンと叩いた。
私は考えるのを放棄してそこに座る。
シンと静まった礼拝堂には、説教台についた校長のしわがれた声が響く。
「アーク校に集まりし諸君、ここでは全てが学びとなるじゃろう。勉学に励み、敬虔に祈り、助け合いながら生活し、国に役立つ人間となるように。先生方を紹介する――」
壇上に並んで座った教師は、リーズが言っていた通り老人ばかりだった。
肌に刻まれた皺は深く、目元は落ちくぼんでいて、口元は険しい。杖をついている者も多く、古びたローブと相まって魔法使いみたいだ。
教師は名前と受けもつ科目を紹介されていく。
最後に紹介されたリーズは、白衣の裾をドレスみたいに広げて立ち上がった。
「新しく赴任してきた養護教諭のリーズです。皆さんの健康を保つお手伝いをするので、怪我をしたり風邪を引いたりしたら知らせてね。お話だけでも大歓迎よ。この学校や生徒同士の秘密なんかも教えてくれたら嬉しいわ。よろしくね~」
手を振る仕草は愛嬌たっぷりだ。しかし教師たちの反応はさまざまである。
微笑んで見守っている者もいれば、胡乱な視線を送る者もいる。
「若い教師が入ったのは私が入学して初めてだ」
チャールズが呟く。
生徒の多くは沸き立っていたが、ユニコーン寮側の最前に座るロビンスだけは、喉に骨が引っ掛かったような顔でリーズを見つめていた。
「――これをもって始業とする。皆の者、英国紳士たれ」
校長の話が終わった。
教師が退出すると、生徒も立ち上がって目当ての授業が行われる教室へ移動していく。
チャールズにおすすめの授業を聞いていた私は、生徒たちの間を流れるトップハットに意識を奪われた。
艶やかなシルクの帽子には、多数のリボンと十字架があしらわれている。
しかし、その下に頭はない。ダークの頭は、すっぽり帽子の中に入ってしまっていた。
前が見えないので、ジャックに手を引かれて移動している。
(角を見られないための苦肉の策とはいえ、目立つわね)
頼みの綱はジャックだ。
サーベル入りの布袋を背負っているものの、見た目は他の生徒と変わりない。生活のどこかでうっかり怒りが天元突破して、烙印の炎を出さないように祈るしかない。
「アリス、僕らも行こう」
「まずは、天文学」
「ええ。チャールズさんはどうされますか?」
「私は監督生の務めが残っている」
「それでは、また」
ダムとディーに挟まれて初めての授業に向かう。
危険な状況ではあるけれど、ちょっとだけ楽しみでもあった。
(私も学校に通うのは初めてだもの)
† † †
礼拝堂から未来ある少年たちが去ると、その廃れ具合がよく分かった。古びた学び舎では、時代遅れの伝統は重たく残り、少年たちの軽い息吹はすぐに消えてしまう。
朝日に照らされるロビンスは、日陰で険しい表情をしていたチャールズに顔を向けた。
彼ら以外の生徒は退出しているので、広い空間に二人きりだ。
「女の子が紛れ込むなんて困ったね」
「計画に支障はない」
顔を上げたチャールズは、手にしていた聖書を胸に当てる。
「ここに棲まう怪物は、必ずや私たちの見方をしてくれる」
盲目な信者のように強い決意をにじませるチャールズを、ロビンスは苦い気持ちで見つめたのだった。




