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【翻訳英語版③巻発売】悪役アリス  作者: 来栖千依
第二章 寮生活はお静かに

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二話 煙の向こうの哲学青虫

 ダムとディーを部屋から送り出した私は、着替えることにした。

 自前の黒いトランクから、普段着のエプロンドレスを引っ張り出して着る。

 だが、強い畳み皺がついていてスカートの端がめくれてしまった。


「しばらく干しておかないと着られないわね……」


 脱いでハンガーに吊るし、ダークが用意してくれた赤いトランクを漁る。


 孔雀緑のラインが入ったジャンパースカートと、パフスリーブが上品なショートジャケットのセットアップがあった。ところどころにタータンチェックが使われていて、スカート裾にはレースも控えめにあしらわれている。

 胸元にリボンを結んだ私は、姿見に映して歓声を上げる。


「わぁ……。かわいい」


 色合い的に、昨日みんなが着たものとお揃いのようだし、これなら制服に見えないこともない。

 髪を結び、チャールズの部屋をノックする。

 制服に身を包んで出てきたチャールズは、校長室へ行くように指示した。


「次の渡航船が来るまでの間、生徒として学ばせてもらいたいと頼み込め。私は食堂で朝食の監督をしなければならないので同行できないが、ライオン寮、ユニコーン寮の両監督生が協力者だと言えば、聞いてくださるはずだ」


 校長室への行き方を聞いて、慌ただしい寮を出る。

 広場では、老人がしゃがみ込んで朝露のついた芝生の手入れをしていた。島には生徒と教師だけでなく、城内の整備や生徒の食事を作る校務員もいるようだ。


「おはよう、お嬢」


 歩道を歩く私の前に、眉間に皺を寄せたリーズが現れた。


「おはよう、リーズ。顔をしかめてどうしたの。まさか、悪魔を見つけた?」

「絶望してたのよ。この学校の年齢層、どうなってるわけ!?」


 リーズは憤慨した様子で、一まとめにしていた髪をかきむしった。


「どこを見てもおじいちゃん、おじいさん、ご老人、ご老輩! 教師も校務員も全員、骨張った皺くちゃよ! 優男に見えて実は肉食系な美形教師との放課後スクールラブを楽しみにしてたのに~!」

「それは、設定に無理があるような……。ここは絶海の孤島だもの」


 寄宿学校ブームの現在、さまざまな学校が全国に乱立している。

 九大校のように教養を大切にする学校もあれば、集金目的で生徒を集めてろくな授業もしないところもあり、志の低い教師は楽な仕事場を求めて各地を転々とするという。


 遊び半分の教師にとって、不便な孤島は避けて通る職場だろう。

 保護者からするとそういう教師がいないのは安心だが、気軽な恋人を求めていたリーズは悔しいようだ。嘆きを力に変えて、ぐっと拳を握る。


「お嬢、さっさと悪魔を見つけ出すわよ。ロンドンに帰って、渋いオジサマと優雅なデートをしてやるんだから!」


 そう言い切って、リーズは私の手に一枚の紙をのせた。


「これは?」

「アーク校の見取り図よ。新入生に渡される物を一枚くすねてきたの。中央棟は礼拝堂と棟を結ぶ廊下になっていて、左右の棟には教室や研究室、校長室なんかがあるわ。棟の間は中庭ね。敷地の東には運動場と小さな森、西にはボート遊びが楽しめる池。裏手は崖みたいで人の出入りは不可能。芝生広場の両側に二つの寮があって、城の小脇にある工場みたいな建物が食堂だわ。で、お嬢はどこに向かっていたの?」


「滞在許可をもらうために校長室へ。チャールズさんが言うには、この学校の全ての決定権は校長にあって、教師と生徒はそれに従うものなんですって」

「ちみっこい独裁ねぇ。民衆が子どもなら統治しやすそうではあるけれど」


 古城に入った私たちは、地図を頼りに進んだ。

 廊下に名画が飾られていたり凝った照明や調度品が使われていたりと、元が領主の城らしい豪華な内装だ。しかしながら、どこもかしこも古い。石を削って組み上げた壁にはヒビが走り、もしも大地震が起きたら崩れるのではと思われた。

 校長室は四階の廊下の先にあった。


「校長先生、失礼しますわ」


 重たい扉をリーズが開く。隙間から煙が流れてきて、私はむせかけた。


(焚火でもしてるの?)


 思い切って中に入る。

 部屋はリデル邸の温室ほどの広さで、奥の方は床より一段高く作られていた。


 壇上にある飴色の机の向こうには、誰かが座っているようだ。しかし部屋が白くかすんでいるのでよく見えない。かろうじて分かるのは、きのこみたいなシルエットだけ。

 コポコポという水音と、スパーっと息を吐く気配を頼りに、私は話しかけた。


「はじめまして。キャタピラ校長先生でしょうか?」

「そうじゃが、何かね君たちは……?」


 またスパーと音がして、煙はいっそう濃くなる。


「私はアリスと申しま――けほっ!」

「こんなに煙くちゃ会話もままならないわ」


 リーズが手さぐりで壁際まで歩いて窓を開ける。

 朝の風によって煙が払われると、檀上で水キセルを吸う人物と目があった。


「フー。まだ授業は始まっていない……まずは礼拝堂で祈りを捧げるべきじゃよ」


 キャタピラ校長は、八十歳くらいの老人だった。

 魔法使いみたいな丈の長いローブを着ていて、長い髪と髭は真っ白。肘掛け椅子に座っていたが、背骨が曲がっているらしく体が座面に埋もれている。

 水キセルを吸うために、皮膚がだるだるになった首を伸ばし、息を吐くとまた縮む動きは、葉の上を這う青虫みたいだ。


 好印象に見えるよう、私はスカートをつまみ上げてお辞儀をした。


「はじめまして、私はアリス・リデルと申します。女子寄宿学校に入るつもりが手違いでアーク校に来てしまいました。しばらく渡航船は来ないそうなので、ここで生活させてくださいませんか?」


 しおらしくお願いすると、校長はすかさず問いかけてきた。


「どこで道を誤ったのじゃね?」

「え? えっと、恐らくロンドンで乗る汽車を間違えて……」

「そうではない。君はどうしてそんな間違いをおかす自分になってしまったんじゃね?」


 哲学的な質問に、私は困ってしまった。


「誰しも間違いをおかすものではありませんか? 完璧な人間なんていませんもの」

「問いかけに問いかけで返すのは、分からないからじゃ」


 校長はキセルに息を吹き込んだ。巨大なフラスコの中で、白い煙が渦を巻く。


「分からない。自分のことなのに。多くの人間がその解を探して、学問の迷宮に迷い込み帰ってこなかった。ここで学んでも、正解は見つけられんよ」


 そして、私の方に向かってスパーッと煙を吐きだした。


「すぐに島を出ていくがよい。泳いでいけばいいじゃろう」

「泳げないんです」


 ダークたちが元に戻るまでは島を出られないので、わざとうなだれて見せる。


「私に海を渡るのは不可能ですわ。どうかお慈悲をいただけませんか?」


 目にぐっと力を入れ、わざと涙を浮かべて両手を組み合わせる。

 これで大抵の男性は助けたいと思ってしまうはずだ。

 せっかく絶世の美少女に転生したんだから、生かさない手はないわよね!

 めそめそと(心の中ではにこにこで)見つめると、校長は喉を整えて一言。


「お慈悲……はあげられない。ここは男子校なので、すぐに出ていくように」

「そんな!」


 ショックを受ける私から視線を外した校長は、リーズに興味を移した。


「君は?」

「リーズと申しますわ、校長先生。最終便で着任した、養護教諭です」


 リーズは笑顔で大嘘をついた。当然、不思議そうな反応をされる。


「ようご? はて、おかしいのう。ここに新しい教師が入る余地はないはずじゃが」

「そうでした? 手紙をお送りしたはずですが」

「手紙、手紙……」


 校長は引き出しを開けて、送ってもいない手紙を探し始めた。

 リーズは首に巻いていたストールを手で払って近づくと、机に手をついて囁く。


『――汝、我がしるべに従え――』


 命じられた途端、校長の目が虚ろになった。

 腕からは力が抜け、手に握られていたキセルは床にゴトンと落ちる。


「われ、そなたのしるべにしたがう……」


 暗示にかかった。

 リーズは、してやったりという顔で、べーっと舌を出してみせる。

 そこには黒い薔薇の紋章が浮き上がっていた。


(さすがリーズ。トラブル続きでも『二枚舌おおうそつき』は冴え渡っているわ)


 彼の舌にあるのも、双子の頬に浮き上がったものと同じ烙印だ。

 悪魔に蘇らされた人間は、『悪魔のスティグマータ』と呼ばれる由縁でもある、烙印を焼き付けられる。烙印にはそれぞれ異能が宿る。


 リーズの能力は、耳に吹き込んだ命令通りに相手を操れるというものだ。

 副反応があって危険なのだけど、校長先生くらいのご高齢に使って大丈夫かしら。


『――アーク校に我らを受け入れよ――』

「おお……」


 やっぱり負担が大きかったのか、校長はぐぐぐっと首を縮めてうなった。

 やがて、こぽっと丸い煙を吐き出して正気に戻る。


「……そうじゃな。困っている令嬢を放り出すとあっては、英国紳士を育てる寄宿学校の規範に反する。次に船が来る季節になるまで、他の生徒と共に講義を受けるがよい。養護教諭の着任も許可しよう……」


「さすがは校長先生、そうこなくっちゃ!」


 さすがなのはリーズの方だ。私の泣き落としでは実現できなかった滞在許可を、無理やりではあるが取り付けたのだから。


「アタシたちはこれで。失礼しました~」


 リーズに背を押されて校長室を出た私は、そのまま礼拝堂を目指す。


「海を泳いで渡らずに済んだわ。ありがとう、リーズ」

「どういたしまして。無事に滞在は許可されたけれど、どうやってお嬢を守っていこうかしらね。アタシ以外に無理させたくないわ」


 体の大きさが変わった四人には、これからどんな異変が起こるか分からない。

 悪魔が近くにいることを考えると、私を守るよりも自分の身を守ってほしい。


「私、自分の身は自分で守るわ。悪魔はこちらを殺すつもりはないって、ダムとディーが言っていたの。もしも殺すつもりなら食べ物に毒を入れていたはずだって」

「分からないわよ。サディストなら、島を出て行けない口実を作って時間をかけてなぶり殺すわ。お嬢は悪魔に対して心を開きすぎよ」


 リーズは心配そうに私の両肩を掴んだ。


「お嬢、ここで一人になっちゃだめよ。今回は伯爵も頼ってはいけないわ。ジャックには伯爵を専属で守ってもらって、ダムとディーに護衛を手伝ってもらう。肝心の悪魔は、お嬢の指示でアタシが探し出す。それでいいわね?」

「ええ。上手くいくといいわね」


 不安になる私の頭に、リーズはチュッとキスを落とした。


「心配はいらないわ。アタシたち女は、綺麗に装ってさえいれば無敵だもの。今日は授業の前に始業式があるらしいの。礼拝堂に行きましょうか」


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