六話 童話的スペクタクル~大変身
もくもくと上がる白煙。倒れるテーブルと散らばるケーキ。転がるガラス瓶。
混乱の最中、煙幕の向こうからパサリと布の落ちる音がした。
煙が引いていくと、先ほどまでジャックが座っていた椅子の足下に、ぶかぶかのシャツを肩に引っかけた少年がいた。
「は? なんだこれ」
少年は吊りぎみの緑色の瞳を丸くして、袖から出た指先を見つめる。
黒い猫っ毛や、首からだらりと垂れ下がるネクタイに、どことなく見覚えがあるような……?
「う~ん。何も見えない。アリス、どこだい?」
またも高い声がした。声色は氷を叩いたように美しいが、口に布を押し付けたみたいにくぐもっている。
声の主は、やたらと大きなトップハットを首元まですっぽり被った少年のようだ。
顔が帽子に覆われているので視界が暗いのだろう。暗闇を歩く亡者のように腕を前に伸ばして、長すぎる袖をプラプラ揺らしていた。
過剰装飾の衣装は、まるでダークが着ていたもののようである。
「リーズ。私、とても嫌な予感がするわ……」
「奇遇ね。アタシも同じ可能性に思い当たっていたところよ。大人二人がこの調子ってことは、あの子たちはどうなったのかしら?」
リーズが振り向く。私も背後に視線を向けて――固まった。
「……え?」
双子がいた場所には、知らない青年が二人いた。
額がしっかりした彫りの深いイケメンだ。
艶々した黄色い髪は目にかかる長さで、その奥の水色の瞳はもの憂げ。
近くに転がるダガーとボウガンがミニチュアに感じるほど恵まれた体格と、全身から放たれる色香は、リーズがヒュウと口笛を吹くほど強烈だった。
いや、彼が口笛を吹いたのは、青年たちが好みの男性だからではない。
彼らが素っ裸だったからだ。
「きゃあああああっ!」
私は両手で目を覆った。
なりふりかまわず爆走した後みたいに、心臓がバックンバックンと跳ねる。
(な、なな、なんで裸なの! あの人たちは誰なの!? ダムとディーはどこに行ってしまったの!!?)
大混乱する私のつま先に瓶がぶつかった。
細い首には『DRINK ME』と書かれたタグが結ばれている。
――〝私を飲んで〟?――
ケーキの皿を俯瞰してみると、干し葡萄を並べて『EAT ME』――〝私を食べて〟と書かれていた。
これらを口にした四人は苦しみだし、突然現れた光が空に時計を描き、入れ替わるように見たこともない少年と青年たちが現われた。
どう考えても人間の仕業ではない。
「ふう、目の前が真っ暗で焦ったよ」
帽子をずるっと頭から引き抜いたのは、絵画から出てきたような美少年だった。
緩やかに波打つ銀髪は月の光を紡いだよう。長いまつ毛に彩られたサファイヤ色の瞳は目からこぼれ落ちそうに大きいし、小ぶりな鼻や薄い唇はお人形のようだ。
しかし、私を驚かせたのはその美貌だけではなかった。
(ウサギだわ!)
少年の容姿は、記憶にある〝ともだち〟の姿と重なった。
目の前に立っているのは、まさしくあの頃のダークだ。
頭にある二本の角だけが、当時の彼と違う。
「あなたなのね、ダーク。そっちの子はジャックよね。ということは……」
リーズにブランケットをかけられた二人の青年のうち、左目の下に黒子がある方が口を開いた。
「僕はダム」
続けてもう一人、右目の下に黒子がある青年も名乗る。
「僕はディー」
「やっぱりっ」
私は卒倒しそうになった。
あの天使みたいな双子が、こんなにも胸板が厚く、腹筋はシックスパックに割れた、細マッチョになってしまうなんて!
周囲に散らばる子ども服の残骸が、悲惨さをよりいっそう盛り上げている。
(ああ……私の癒しはどこへ……)
現実を受け止めきれない私は、涙で袖を濡らした。
ダーク(小)はふむと顎に手をかける。
「俺たちは罠にかけられたようだ。俺と番犬君は十歳くらいに退行し、双子たちは十七歳くらいまで成長してしまった。ジュースを飲むと肉体の年齢が戻り、ケーキを食べると進むのかな」
それならと、ダムとディーはジュースを、ダークとジャックはケーキを口にした。
しかし、変化は起きなかった。
「変わらないようだ。悪魔の子がここまでできるとは思えないので、名のある悪魔の仕業だろう」
「ここにも悪魔がいるのね……。でも、みんなの命が無事でよかった。悪魔の術であれば私の異能が効くはずだわ」
気持ちを切り替えて腕を下ろした私は、精神統一して目を閉じた。
両手を胸の前で組み合わせて一心に祈る。
(――どうか、みんなを悪魔の術から解き放って――)
烙印のある胸元がぽわっと熱くなった。
服をすり抜けて現れた白い光の帯は、するすると伸びて四人を包み込む。
私には、悪魔によってもたらされた異常を解除する能力がある。
確かな手ごたえを感じながら見守るが――。
「あれ?」
光が散っても四人はそのままだった。
ダークは残念そうに垂れ下がった袖を揺らす。
「術の方が強いようだね。罠をかけた悪魔を探して解いてもらうしかないな。恐らく相手は、罠が発動したと気づいているだろう」
「ということは、ここに来るかもしれないってこと?」
青ざめる私に、ダークは冗談めかすことなく答えた。
「俺なら罠にかかった相手はすぐに仕留めるよ。一刻も早く動きやすい服に着替えるべきだ。幸い俺の持ち物でいいのがある。リーズ君、緑色のトランクを持ってきてくれないかな。三つあるもの全部」
「アタシ一人じゃ手が足りないわね」
「私も行くわ」
リーズと共に表に出て、荷車に詰まれたトランクの中から緑色のものを探す。ようやく見つけたが下の方に積まれていて、簡単には取り出せなかった。
あくせくしながら引っ張っていると、リーズの気配が尖った。
「まずいわね……。森の奥から誰か歩いてきてる。ランタンの光が揺れているわ」
「なんですって?」
相手が悪魔だったら絶体絶命のピンチだ。丸腰同然の姿では戦闘はおろか、満足に抵抗するのも難しい。最悪、この小屋ごと燃やされてバッドエンド。
私だけではなく、ここにいる全員の未来が絶たれる。
「急がなきゃ!」
やっとのことで引き出した三つのトランクを休憩所に放り込み、扉を閉めた。
はっとして見れば、人影は森を抜けてこちらに向かってきていた。
ドクドクと生々しい鼓動の音がこめかみを伝う。
「お嬢、アタシの陰から出ちゃだめよ」
リーズは私を扉に押しつけるようにして背にかばった。そして、さりげなく腰元に回した鎖に触れる。
私もポシェットに手を入れて、ごくりと喉を鳴らした。
古城の上に広がる空は黄昏。
山火事のように揺らぐ赤を背景に、その誰かは黒いローブをひるがえした。
私は目を凝らして相手を分析する。
年齢は十八才前後。身長は高く痩せ気味。ランタンを所持。武器はなし。
悪魔かどうかは――不明。
「はあい、素敵な島ね。貴方お一人?」
先手を打ってリーズが話し出した。
怪しい人物に積極的に声をかけるのは、それ自体に防犯効果があるためである。もしも悪意を持って近づいてきていた場合、動揺して攻撃を諦めることが多い。
功を奏してか、相手は立ち止まりむっとした表情になった。
「私が複数人に見えるか。ここは寄宿学校のための島だ。リゾート地と間違えたのか?」
チクチクした口調で、メープルブラウンの髪を撫でつけた青年は言った。
ショート丈のローブ、テイルコートやズボン、靴までただならぬ黒さだ。ネクタイとベストの山吹色が、肥えた畑に咲いた花のごとく鮮やかに見える。
服は、たぶん寄宿学校の制服だ。
しかし、生徒に扮した悪魔かもしれないし油断はできない。
正体不明の相手に委縮してなるものかと、私は声を張って答えた。
「間違っておりません。私たちはアーク校の新入生とその付き添いですわ」
「それはおかしい。ここは男子校だ。すぐに戻れ……いや、もう船は出てしまったのか」
私たちを運んできた船は遠くで波に揺られていた。
これで、悪魔がいる孤島に閉じ込められてしまったことになる。
冷や汗をかく背後で、扉がキイと音を立てて開いた。
「そのご令嬢はとある男爵家の出身で、女子寄宿学校に入られる予定なのだと船内でお聞きしましたよ」




